以前に書いた手記をここにアップしたいと思います。

「大祓祝詞」を佐藤卿彦先生の著書「顕神本田霊学幽斎記録篇」を手掛かりに考察します。



******************

『○皇が親神漏岐、神漏美の命を以ちて。


 皇が親とは、神界に於いて神々を統べる大元霊「天之御中主大神」の御事である。


 神漏とは、神々が溢(コボ)れるように充満している様の事を申し、高皇産霊神=神漏岐。神皇産霊神=神漏美と申す。此の御名は幽界の事について大きな御役目を持って活躍を致して居り、是が小さく活動される時は、現体に化出致して、伊邪那岐・伊邪那美 と成られる。それ故に、漏岐と諾(ナギ)、漏美と冊(ナミ)とは同じである。只一つの天地を区分し て設神理(神理を設定する意)であれば図の如くとなる。


 去来地気(イザナキ)の”気”の順還は万古不易であり。伊諾は去来のことで大気の往来である。那は”地”の事である。』(「顕神本田霊学幽斎記録篇」)
 
(注)「祝詞新講」では、「スメ(皇)」は「玉などを緒で統めるのをスム、スブというのと同義で、天下を統め治め給う君の意で、他の名刺の上に冠して接頭語のごとく用いられる」として皇神、皇御祖、皇御孫を例示している。「睦」は「睦まじく親しいの意の語で、これもしばしば接頭語のように用いられる」。ここでは「皇睦」は「次の神漏岐命神漏弥命に冠せられて、天皇の親しき皇祖神を申すのである」とする。

(注)「古語拾遺」では、「神漏伎、神漏弥」について神漏伎を高皇産霊神、神漏弥を神皇産霊神としている。