以前に書いた手記をここにアップしたいと思います。

「大祓祝詞」を佐藤卿彦先生の著書「顕神本田霊学幽斎記録篇」を手掛かりに考察します。



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 『○独神(ヒトリカミ)とは、独は、霊交(ヒトリ)の義でぁる。無始無終の神徳を以て、誰かが、何かが造化するとも無く自然に生(ナ)り賜える状態を申す。』(「顕神本田霊学幽斎記録篇」)

 別天津神は単体での働きも行うため、独神という表現になったのだろう。後述する本霊、本力、本体が細分化されてゆくにつれて神の働きが多様化してゆく。
「神道辞典」では「独神」を「単独で生成した神。」とする。ちなみに日本書紀には独神という表現はない。

『○隠身也とは、 「カクレミにマセリ」と訓む。肉眼では見る事が出来ない為に、是を神(神はカクレミの略語)と申す。故に造化の神々を始めとして、天神地祗(アマツカミ・クニツカミ)八百万の神をカミと称えるのは皆此の義である。(「顕神本田霊学幽斎記録篇」)

 本田翁はその著書「難古事記」で「隠身也」について、「身を隠したまひき」とする他の思想家とは異なる説明をしている。


 「未ダ天地モ列星モ造化ナキ大真空ニシテ隠形シ給フベキ現形アラザル時ナルニ、其御隠形何物二寄り隠シ給ヒシヤ」「未ダ産霊ノ神モ生レ坐サヌ時ナルペキニ何物ガ其ノ隠身セザル神ノ形ヲ見、何神力此神ノ隠身ノ時ヲ実見シテ隠身シ給ヘリト語り伝ヘタリシヤ」


 つまり天之御中主神ひと柱しかいないのに、何から、何故身を隠さなければならないのか、天地の始まりの時にどこに隠れるというのだろうか。「無形」の最たる神なのだからそんな必要はないという意。