以前に書いた手記をここにアップしたいと思います。

「大祓祝詞」を佐藤卿彦先生の著書「顕神本田霊学幽斎記録篇」を手掛かりに考察します。



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(注)「祝詞用語表現辞典」では、「皇(すめ・すめら)」を「天皇及び神に関係する事柄の上に付けて、尊敬・称賛の意を添える」とある。また「神漏岐、神漏美」を「男女二柱の皇祖神の尊称」「具体的に宛てられる神名には諸説ある。」とする。また「皇」(すめ・すめら)を「天皇及び神に関係する事柄の上に付けて、尊敬・称賛の意を添える。」とする。

(注)「祝詞新講」では、皇は「玉などを緒で統める」、睦は「睦まじく親しい」の意であり、皇睦は「次の神漏伎命神漏弥命に冠せられて、天皇の親しき皇祖神を申す」とする。

(注)竹田恒泰氏は、『天皇を「すめらみこと」と読むと、特定の天皇、もしくは今上天皇を指すのに対し、「すめろき」と「すめらぎ」は、皇祖もしくは皇祖から続く皇統を意味し、古より続く皇統の連続性を含んだ文脈で用いられる』。
『三島由紀夫は生前、日本人が最後に護るべきものは、天皇ではなく、敢えて三種の神器であると言った。「すめらみこと」と「すめらぎ」の意味の違いを考えると、この言葉の重みを改めて噛みしめることができる。もし天皇の玉体と三種の神器が同時に危機に瀕し、いずれか一方しか護れない場合は、玉体ではなく三種の神器を護らなくてはならないという意味だ。
 三島の言う三種の神器とは、すなわち皇統を意味する。皇統さえ守れば、天皇は継承されるが、玉体を守るために皇統を破壊してしまったら、元も子もないという発想だろう。
 ただし、玉体と神器が同時に危機に瀕するとは極端な譬えである。「すめらぎ」を護り伝えることに、誰よりも真剣に努力あそばすのが「すめらみこと」であり、我々国民は、「すめらみこと」を護ることにより「すめらぎ」を護ってきたのである。』
 

 この竹田氏のこの見解は正しいと思う。