以前に書いた手記をここにアップしたいと思います。
古神道の視点から、祓祝詞を考察します。

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 本田親徳翁は1857年頃に霊学を大成させるが、帰幽された1889年迄の32年間、M8以上の地震は一度もない。
 1854年12月23日東海地震(M8.4)、同年12月24日南海地震(M8.4)、次は1896年三陸沖地震(M8.2-8.5)ということで、1855年から1889年まで見事に大地震の空白期間である。
 

 次に、副島種臣翁についてだが、副島翁が本田翁に師事したのは維新後(1873)のこと。西郷隆盛翁の紹介による。副島翁は1871年(明治4年)に外務卿となるが、宮中に関係するのは1879年(宮内省一等待講)からで、1887年の宮中顧問官を経て、1888年枢密顧問官になる迄の11年間、明治天皇の傍らにいた。1873年に副島翁が本田翁に師事することになってから、1888年副島翁が天皇の側近を辞去するまでの31年間も、やはりM8以上の地震は起きていない。本田翁の御存命中と重なる期間なので、どちらがどうとは言えないが。

 古事記や日本書紀の幽斎記録をみると、すべて天下国家に関わるものである。故に此の法を、「皇法」という。本田霊学も、本来の在り方は天下国家そして地球レベルであり、個人の悟り等を目的としていない。個々の悟りは、天命、神命、大義等に向かって努力精進する過程で、当然の様に訪れるものと理解されている。
国土の祓い、そして大自然の祓い。幽斎の大義はそこにあるとも言えよう。

 本田翁の時代、1857年~1889年までの32年間、そして佐藤先生の時代、1952年~1994年までの42年間、合計して74年間にわたり、日本の国内・領海内で記録したM8以上の地震は一度もなかった。幽斎との因果関係は証明できないが。


 残念なのは、佐藤先生に匹敵するレベルの審神者、大久保藤男翁レベルの神主等が揃わないために、1995年以降公式・正式幽斎が行われていないことだ。もちろん人間側のリクエストではなく、神界からの命によって行われるわけだが、恐らく今後数十年は無理だろう。