以前に書いた手記をここにアップしたいと思います。
古神道の視点から、祓祝詞を考察します。

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「諸々の禍事罪穢」

ここで先ず考えないといけないのは、これらの罪穢れを生じさせた主体は何かという点だ。祓祝詞では、禍事罪穢が祓う対象となっているが、大祓祝詞では、罪を祓うとあるだけで、禍事や穢れをどうするかという点は欠落している。大祓祝詞は、禍事と穢れを祓いの対象としていないのだろうか。

「現代人のための祝詞-大祓詞の読み方」の現代語訳では、読み返しても何を言っているのかよくわからない。
「安穏な国として平穏にご統治なさる、そのような国のなか全域に、次々と増加していく、そのような天上界の立派な人々が間違えて犯したというさまざまな罪過行為は、天上界における罪と地上の人々が犯した罪というように、実に多くの罪過が表れてくるだろう」とある。

大祓祝詞の原文では
「天の益人等」とあるが、これをどう解釈するかが問われている。本田霊学では「国の中に生れて来る天の益人」を「ふえてゆく人民で青人草とも称えて居る」と説明している。
天の益人等=人間ということであり、祓いの神事の対象は、人間が犯した禍事罪穢れに他ならない。だから人間の責任として自らに起因する禍事罪穢を、神の力を以て消滅して頂こうということ。

「現代人のための祝詞-大祓詞の読み方」では、諸々の禍事罪穢を「すべての悪いこと、災いを招くこと、(さらには)不浄なこと」とする。

「善言美詞」では「曲事は神意に反する事。罪とは天津罪・国津罪のことで、積むとか包み隠すという意味がある。また穢れとは生気が枯れる、抜けていくという意味がある。」と説明している。出口氏の説明は、本田霊学から見ても概ね頷けるものだ。