以前に書いた手記をここにアップしたいと思います。
古神道の視点から、祓祝詞を考察します。

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「祓戸の大神等」

この祝詞の一番難しいところはここだ。
一般には瀬織津比売・速開都比売・気吹戸主・速佐須良比売の四柱の神々を指すと言われている。しかし速開都比売神を除いて他の神々の名は記紀には登場しない。その為、国学者たちもそれぞれ自分勝手な説を述べている。

本居宣長は、瀬織津比売を八十禍津日神に、速開都比売を伊豆能売に、気吹戸主を直毘神(神直毘神・大直毘神)に当て、速佐須良比売は須勢理毘売命だという。しかし信頼できる根拠はなく、説明に無理がある。


例えば、瀬織津比売や気吹戸主について、普段は偽書としていた「倭姫命世記」の記述を根拠にしている。また須勢理毘売命については、そもそも伊邪那岐大神が禊をした時に生まれた神ではない。無理して辻褄を合わせようとするのは、説明に困った為だろう。

平田篤胤は、瀬織津比売と速佐須良比売を枉津日神、伊吹戸主を大直毘神、速開津比売を伊豆能賣としている。だがこれも頷けるレベルの根拠はない。


記紀に登場しない神々が、神道の根幹にかかわる重要な神事で主要な役割を担うという事実をどのように受け止めるか。これは古事記編纂の主体が誰かという問題とも深くかかわってくる。

梅原隆は「稗田阿礼=藤原不比等」、古事記と日本書紀は「宗教的に藤原独裁体制を合理化する書」だという。なら何故、「中臣の祓え」とも言われる大祓祝詞の四柱の神々を古事記に登場させなかったのだろうか。その一点を以てしても、梅原説は説得力を失う。