以前に書いた手記をここにアップしたいと思います。
古神道の視点から、祓祝詞を考察します。

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「掛けまくも 畏き」

これは、主に修祓の際に、つまり神事を行う前段階の祓いで多く用いられている。

「現代人のための祝詞-大祓詞の読み方」によれば
「掛けまくも」は「口に出して言うことも」の意。
「掛く」は「心の中で思う」「口に出して言う」
「畏き」は「霊力威力のあるものら畏敬の念を示すときに用い」

「祝詞用語表現辞典」では「言葉に出して申し上げることも恐れ多い」とある。
 
このわずかな言葉には、深い意味合いがある。

それは神とは何か?という定義だ。

 

本居宣長は「古事記伝」で、神について
「尋常(よのつね)ならずすぐれたる 徳(こと)のありて可畏き物を 迦微(かみ)とは云なり」
と述べている。祝詞の方が古いから、宣長が祝詞の趣旨を受け止めたということになろうが、問題はさらに深いところにある。

新井白石が「古史通」で、「神とは人也。我國の俗凡其尊ぶ所の人を稱して加美といふ」と説いたことで、「神は人なり」という考え方が広まってしまった。


これは古事記が当時の人達にわかるように説神理で物語調に書かれていたこと、そして本地垂迹説などの影響もあったろう。また、各地の神社で天皇や神功皇后、菅原道真や徳川家康等の人間を御祭神として祀っていたことも、ひとつの傍証になったと思われる。


しかし本来の神とは、造化の神であり、宇宙それ自体、そしてその法則や働きを意味する。