明治37年御製

 

國といふ くにのかゞみと なるばかり

 みがけますらを 大和だましひ

 

日清戦争と日露戦争に際して、明治天皇は「開戦の詔勅」を出されました。
そして、そこでは必ず国際法に関する一文が明記されました。

 

たとえば、日清戦争の詔勅には「国際法に戻らざる限り」とあり、日露戦争の詔勅には「国際条規の範囲に於て」と書かれています。これは日本が戦争に際して国際法を順守するという道義国家としての宣言でもあります。


ところが、大東亜戦争の時は、昭和天皇が何度も念を押されたにもかかわらず、東条英機首相は「開戦の詔勅」に国際法の順守に関する文言を入れようとしませんでした。

 

その理由として挙げたのは作戦上の問題で、天皇が以前から反対していた「タイ国シンゴラ海岸上陸作戦」において、中立国タイの了解が得られない場合に、国際法違反になるとの懸念があったためです。

 

もしも開戦直後に国際法違反になった場合、天皇が詔勅に嘘を書いたということになってしまう、だから書くべきではない、という意見でした。最終的に東条の主張通りの内容になりましたが、この一件は大東亜戦争全体を象徴するかのような国家としての姿勢転換点になってしまいました。