明治37年の御製です。
天地も うごかすばかり 言の葉の
まことの道を きはめてしがな
明治神宮の「365日の大御心」では、次のような口語訳になります。
「この広大な天地をも感動させるほどの、歌の言葉にこめる人の心のまことの道を、深く究めたいものである」
至誠、天に通ず。
明治天皇ほどの偉大な一霊四魂をお持ちであれば、祈りは神々に通ずるものと思います。
私利私欲では浄心から離れてゆきますが、天皇の大御心は日々途切れることがありませんでしした。
無私の祈りこそ、まことの道、惟神の道なのです。
「陛下は公の天職を御尽しになる御資格の外は、殆んど御自分様即ち私と云ふ側面はないのである。又御物好みと云ふこともあらせられぬ。例へば、先帝の御住居と云ふのは、貴族の夫れと選ぶ所はなく、寧ろ一層御質素で ある。単に御用を達するに過ぎぬ。御旅行をなさるゝにも、決して御慰みの為めとか御楽しみの為めになさるのでなくして、必ず国家の御用の為めになされたのである。土工を御起しになつても、御自分様の御好みより出でたものはなく、皆な国家の夫々の必要上からなされたので、或は外客の接待に要するとか、或は天職を御尽しになる必要から起つた公の建物の外は、御許しがなかつたのである。又御用品と雖も、御好きで御買上げのことはなく、何れも殖産興業の奨励の為めとか、美術を保護する為めとか、凡て公の大御心が動機となつて御用ゐになつたのである」』(「明治天皇」下巻・ドナルド・キーン著)
明治天皇こそ、史上稀なる素晴らしい天皇だと思います。
即位の礼の後、新天皇は大嘗祭を行う事で神々に受霊(ウケヒ)をされます。
ですので他の皇族とは全く異なる神聖な次元に立たれるわけですが、宮中祭祀を真摯に行う事だけでその神聖さを維持するのではなく、明治天皇のように、至誠通天を可能にする大御心を持ち続けることが求められるのだと思います。