明治36年の御製です。

 

をさめしる 八島の国の 外までも

 静かなる世を わがいのるかな

 

明治神宮の「365日の大御心」では、次のような口語訳になります。
「自分が統治するこの大八島の国はいうまでもないことだが、そのほかの国々までも、穏やかで平和な世であることを祈ってやまないことだ。」

 

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この御製も日露戦争の前年に詠まれたものです。

いつの世も、国際社会に拘わらずに一国だけの平和を追求するのは不可能です。

我が国の平和は、他の国々の平和と共にあります。

世界を俯瞰する明治天皇の智慧と見識は、卓越したものでした。

神勅を守り抜くにはどうすればいいのか、それには日本が他の国々から尊敬されるような、高徳で、強く、誇れる国になることでした。

 

明治天皇の元、短期間で世界の列強に一目置かれる国になりましたが、明治36年時点では未だ充分ではありませんでした。国力を高め、人々の生活を豊かにすること、そのために天皇は多くの人々に会い、広く情報を集め、いま日本が、そして世界がどうであるかを知ろうとしました。

 

その真摯な姿勢は、治世の初期から最晩年までずっと同じでした。特に明治44~45年、御病気が悪化されているにもかかわらず、天皇は日々の職務を怠りませんでした。当時の記録を見ますと、泪がこみ上げてきます。

 

『天皇の健康状態は、日に見えて悪化していた。それでもなお天皇は、国事に積極的な関心を持ち続けた。』

『天皇は日課の務めを守り、相変わらず内閣閣僚、外国大使等を引見し続けた。もっとも、これが天皇の衰弱した健康状態に重い負担となっていたことは確かなことだった』

『七月十日、天皇は東京帝国大学の卒業証書授与式に臨幸した。階段の昇降にひどく難儀な様子で、天皇は軍刀を杖がわりに使 った』(以上「明治天皇」下巻・ドナルド・キーン著)