明治36年御製

 

吾が心 及ばぬ国の はてまでも

 よるひる神は 護りますらむ 

 

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明治天皇のこの大御心があればこその「掩八紘而為宇」(橿原奠都の詔)だと思います。

 

日本書紀によれば「兼六合以開都、掩八紘而爲宇」とあるのに、いつのまにか「八紘一宇」に変わってしまいました。大正時代の日蓮主義者・田中智學氏の作だと言われていますが、やはり「八紘を掩ふて宇と為す」と本文通りに受け止めたいと思います。

 

「兼六合以開都、掩八紘而爲宇」を書下せば

「六合を兼ねて都を開き、八紘を掩ひて宇を為さむ」となります。

この文章の意味はかなり難しいです。

 

「宇」ですが、漢和ペディアを見ると

①のき。ひさし。やね。いえ。「殿宇」「堂宇」「廟宇(ビョウウ)」 

②そら。天。無限の空間。「宇宙」

③天下。天地四方。世界。「宇内(ウダイ)」 

④こころ。精神。度量。「気宇」「眉宇(ビウ)」

とあります。①は詩経、➂淮南子にあるようです。

 

新編日本古典文学全集 (2)日本書紀 によれば、

四方の国々を統合して都を開き、天下を覆って我が家屋とすること。

「爲宇」は「屋宇」の意。とあります。

 

これを現在に当て嵌め、広く外国まで含めての「爲宇」と解してよいのかどうか、私にはわかりません。神武天皇の時代、世界の五大陸(ユーラシア大陸・アフリカ大陸・南北アメリカ大陸・オーストラリア大陸・南極大陸)までは想定していなかったと思うからです。

おそらくは我が国全体という意味だったのでしよう。

 

ただ、その精神はと言えば、➂の「世界」全体に神の御稜厳が及ぶことを願うことになりますが、それは天皇の大御心に沿うものでしょう。明治天皇も御製に詠まれておられますから。

 

よものうみ 波しづまりて ちはやぶる 神のみいつぞ かゞやきにける