『「私」がない明治天皇の有名な言葉に「私は京都が好きである。ゆえに京都へは行かぬ」があります。「私は京都が好きである」ならば「ゆえに京都にはよく行く」とか、「京都に行きたい」となるのが普通です。「私は京都が好きである。ゆえに行かぬ」は、日本語としてもおかしいでしょう。ところが、天皇の価値観からすれば、これが当然なのです。
たとえば、明治天皇が京都がお好きで京都へよくお出ましになったなら、「隣の大阪は嫌いなのか」ということになってしまう。だから天皇は、好き嫌いを含めて自分の好みを口にすることがありません。』(「日本人の原点がわかる国体の授業」竹田恒泰著)

 

竹田氏の本を読むと、天皇陛下の大御心を随所に感じられます。

えこひいきしない。平等に接する。それによって国民全員と等距離に立たれています。

中々できる事ではありません。

 

『天皇は民の父母としてすべての人と平等に接します。県にしてもそうですし、企業にしてもそうです。どこかの企業だけ特別視したり、ある県だけ特別に優遇すれば、国はまとまらなくなります。ですから、すべての国、地域、人々、組織を平等に愛する必要があるのです。
聞くほうも聞くほうですが、記者会見で昭和天皇に「天皇陛下はお相撲がお好きでいらっしゃいますが、どの力士を応援していらっしゃるのですか」と質問した記者がいました。昭和天皇は「好きな力士はいるが、これを話すと新聞が書くし、ほかの力士がかわいそうなので言えないね」とお答えになっていらっしゃいます。』(同書)

 

昭和天皇も同じ御心だったんですね。

 

『皇后陛下や皇太子妃殿下がお召しになっているファッション、お持ちのカバンを注意して見てください。どのメーカー、ブランドか一目見て分かるようなものは、決して身に付けていらっしゃらないでしょう。あえて選んでいるのだと思います。』(同書)

 

英国の王族などはいつもファッションが話題になります。

どこそこの超高級ブランドだったとか、マスコミもこぞって書き立てます。

 

 

ところが日本では、こんなエピソードがあります。

 

 

『「あまりの人気で今上天皇陛下徳仁さまも持たれていました。マークなしの製品をご注文いただきました」(同社)
当時高校生だった天皇陛下が通学される様子を記録した映像には、文字がいっさい入っていないマジソン・バッグの特注品が映っています。』

 

そこまで気を使われていたとは。

でもそれが平等を貫く皇室の姿なんですね。

凄いと思います。