大和心は、惟神(かむながら)を理想としています。

これは信仰などの宗教的な世界から離れなければ、感じとれない独特な世界です。古神道には、戒律や教義など一切ありませんから。

 

孔子は、論語の為政第二の四で「七十にして心の欲する所に従って矩(のり)を踰えず」と言っています。

 

この「矩」の意味はとても深く難しいのですが、簡単に言うと大自然の摂理に即した正道ということです。

 

孔子はあれこれたくさんの事を語り、何かにつけ戒律めいたルールを弟子たちに説きましたが、彼の最終的な理想は、論語にもあるように、戒律や倫理観等々何にも束縛されずに、自然のままに生きて、それが「道」にかなっているという境地でした。

 

荘子の「逍遥」にも似た世界なのですが、それこそが古神道でいう「惟神」なのです。

 

魂の真の自由を求めるならば、なぜ自らを無理に束縛し、他の価値観でがんじがらめにするのか、ということです。そんな針金をまかれた盆栽みたいな生き方は、言わば他所からの借り物のようで、魂の「あるがまま」からは程遠いと思います。

 

本来の古神道が宗教ではないと言われるのは、一般的に宗教団体が完備しているような要素がないからです。教祖も、教義も、経典も、戒律もなく、寺院や聖堂等も必要なく、信仰や礼拝、布教や布施(寄付)も全く求めていません。神と人(霊止)が直接向かい合い自然のなかで融合するだけです。

 

仏教が伝来する前の神道を古神道と言い、その後の神道と明確に区別しているのは、古神道が仏教の影響を受けて、本来の姿を失ったからです。

 

神仏習合により、神道は残念ながら全く別物になってしまいましたが、江戸時代に本居宣長ら国学者達の努力により少しずつ本来の姿に戻ってゆきました。それが明治時代になって、再び方向が変わります。

 

明治天皇が明治4年に神仏分離を決めたことで、神社から仏教色が排除され、徐々に神道らしくなってきましたが、今度は国家神道として政治利用されるようになってしまいました。

 

天皇は本来、神祀りの祭祀長でしたが、表舞台に立って政治的な権威を持ち、祭祀以外の役割を持たされるようになりました。神職は公務員となって官僚的な制度に組み込まれ、組織化されました。

 

戦後、国家神道は解体され、今度は宗教法人として新たな時代を迎えます。国からの援助がなくなったことで、宗教団体として経済面に腐心するようになりました。確かに管理にもたくさんの費用がかかりますので、ある程度はやむを得ないのですが、本来あるべき姿をやや見失っているように思う時もあります。

 

昭和の時代、人知れず由緒ある数十社で神社の祓いが行われました。神仏習合の時代から積もりに積もった穢れを、夜、古式に則って神祓う神事でした。神社本庁事務総長を始め、ごく少数の幹部方も関与されていました。当時の記録の中に、事務総長の書かれた文章を見ることができます。いつの時代でも真に憂う良心ある方々はいるのです。でも神社が宗教法人となった以上、残念ながら、将来的にも仏教伝来前の姿に戻ることはないでしよう。

 

大和心の支柱となっている古神道は、記紀を見まれば明らかですが、古来、天皇の祭祀として行われていたものです。ですから、いわゆる宗教の様に世に広めるものではありません。皇室の祭祀として、時代を超えてその本質が真摯に伝承されてゆけばよいのです。

 

ただ記紀によれば、武内宿禰の様な天皇の祭祀を支える存在が必要になります。天皇お一人ではできませんから。それが明治時代を最後に、大正時代以降、天皇の側近からいなくなってしまったことが残念です。

 

そして、昭和になってから皇室祭祀が大幅に削減されました。ついには某侍従長が皇室の最も重要な祭祀である「新嘗祭」をもやめさせようとするなど、天皇が本来務めるべき役割を妨げようとするに至りました。なんとも悲しいことです、、