JR線ホームから近江鉄道の電気機関車達を見るだけで、後ろ髪ひかれる思いでJR線に乗車しました。
近江八幡駅に着いたら路線バスに乗って八幡堀まで移動です。近江八幡は、八幡山城を居城とした豊臣秀次が整備した城下町で、八幡堀はその大動脈といえます。有名な近江商人も、この堀とともに発展していきました。豊臣秀次というと、その最期が悲劇的だったということもあり、どこかネガティブなイメージを持っていましたが、領内統治という点ではなかなか優秀だったようです。
近江八幡水郷めぐりの舟です。船上で近江牛のすき焼きが食べられるコースもあるようです。
堀沿いには桜の木も多く、満開になると素敵な景色になりそうです。
近江八幡のルーツともいえる日牟礼八幡宮。もともとは、秀次が築いた八幡山城の場所に八幡宮の上の八幡宮、現在の八幡宮の場所に下の社がありましたが、築城の際に上の八幡宮が下の社と合祀され、現在のようになったそうです。
私が訪れたときは、四月中旬に行われる八幡まつりの準備中でした。
近江八幡市で有名なものの一つに、近江兄弟社とメンターム(私的にはメンソレータムの方が記憶に残っています)があります。八幡堀の近くにある近江兄弟社資料館には、メンターム(メンソレータム)に関する資料が展示されていました。なかでも、かつて出回っていたメンソレータムのバッタモンの展示には興味深いものがありました。
近江兄弟社の創立者であるウィリアム・メレル・ヴォーリズは建築家でもあり、彼の作品のいくつかが、八幡地区の中にあります。八幡地区は、商家町の面影を残し国の重要伝統的建造物群保存地区になっていますが、その中にあってもヴォーリズの作品は周囲から浮くことなく、落ち着いた街並みを形成しています。