今回は、前回記事で紹介した多胡碑を除く上毛三碑の残り2つ、金井沢碑と山上碑を紹介します。
(2)金井沢碑
多胡碑から車で10分ほどで金井沢碑に着きました。碑の近くには、最近整備されたらしい乗用車10台ほどの駐車場とトイレがあります。そこから、これも最近整備されたらしい木製の階段で少し丘を登ったところに金井沢碑があります。
右の方に最近整備されたらしい駐車場の柵がみえます。
金井沢碑も多胡碑と同様に頑丈な建物の中にあり、スイッチを押すと数分間照明が付くようになっています。
多胡碑は多胡郡建郡の記念碑という公的な性格を持つ石碑であったのに対して、こちらは神亀三年(726年)に三家氏(みやけし)を名乗る豪族が、先祖の供養と一族の繁栄を祈って建てた私的な石碑となっています。
碑文の内容は上の説明板にもあるように、祖先の供養と一族の繁栄を願う内容になっています。また、碑文の中にある「群馬」は現存する最古の用例なのだそうです。和銅六年(713年)の改正令により、郡郷名は好字二字とすることになり、それまでの「上毛野国車郡」が「上野国群馬郡」となったことが、この碑文により確認できます。
どうでもいいことですが、上毛三碑にはそれぞれご当地マスコットが設定されているようですが、金井沢碑のマスコット「カナピー」だけが女の子になっています。
(3)山上碑
金井沢碑から車で10分も走らない距離に山上碑はありました。石碑の近くに駐車場(トイレ付)があるのですが、そこに至るまでの道路は乗用車がすれ違うのも難儀する狭さでした。世界記憶遺産に登録されて観光客が増えると大変なことになりそうです。
山上碑は名前のとおり山の上にあるので、駐車場からは石段を130段近くも上る必要があります。「猪注意!」の標識もありました。
山上碑には、この階段を上らなければなりません。三碑の中で、ここが一番アクセス条件が厳しいです。
石段を上り終えて最初に目に入るのが山上古墳です。柵も立ち入り禁止の看板もないので、石室に入ろうと思えば入れます。ただし、通路は非常に狭く這って進まないとならないので、泥だらけになる覚悟は必要です。私は自重しました。
古墳の隣に、やはり覆屋に守られた山上碑があります。
石碑の正面です。
石碑の側面です。自然石の正面だけを加工していることが良くわかります。
石碑の碑文は以下の通りです。
辛巳歳集月三日記
佐野三家定賜健守命孫黒売刀自此
新川臣児斯多々弥足尼孫大児臣娶生児
長利僧母為記定文也 放光寺僧
放光寺の僧だった長利が母(黒売刀自)の供養のため建てたもので、碑文の前半は母の出自(実家、嫁ぎ先)の説明になっています。
この碑が建てられたのは天武天皇10年(681年)にあたり、三碑の中で最も古いものであるとともに、ほぼ完全な形で残っている石碑としては、日本最古のものだそうです。
隣接する古墳は、黒売刀自の父親のために築造されたもので、後に黒売刀自も追葬されたものではないかと言われています。
今回の訪問は週末だったのにも関わらず、多胡碑に隣接する多胡碑記念館に数人見物客がいた他は、まったく他の人を途中で見かることがありませんでした。今度は気候の良い時期に、のんびりと歩いて周ってみたいものです。地元の人には申し訳ないのですが、来年に世界記憶遺産への正式登録が決まったとしても、現状の静けさが保たれてほしいと思います。