昭和20年代前半の路線バス事情(燃料事情) | gayasan8560のブログ

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戦後すぐの頃の世田谷区内の路線バス事情を調べようと思い資料を漁っていたところ、面白いものを見つけたので紹介したいと思います。

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資料:東京急行電鉄一般乗合自動車事業免許申請書添付資料(昭和24年4月提出)
(国立国会図書館所蔵資料より)

上表は、昭和24年3月末現在の東京急行電鉄保有のバス車両数を使用燃料別に整理したものです。

車両数の区分が、「実在車」、「整備車」、「実働車」の3区分になっているのが興味深いところです。いったい「実在車」とは何でしょうか。書類上は有ることになっているけれども、空襲で焼失してしまい登録抹消も行っていない幽霊車両があったのでしょうか。ひょっとすると部品取り用の車両になってしまったものかもしれません。

使用燃料の種類をみてみると、戦後3年半たった時点でも依然として「薪」や「木炭」を燃料とする車両が無視できない割合で存在していることがわかります。電気バスも5両”実在”しています。もちろん環境に優しいから使っているわけではなく、燃料事情というもっと切実な問題で使わざるをえなかったのでしょう。
実在車・整備車ベースでは圧倒的にガソリン車が多いのですが、実働車ベースになるとガソリン車が大きく数を減らし、軽油(ディーゼル)車に肉薄されています。実働率(実働車÷実在車)で考えると、代用燃料車(木炭や薪)よりも低い有様です。
せっかく苦労して整備しても走らせるガソリンが不足していたようです。もしも、ガソリンエンジンの整備車をフル活用できれば、この時点で代用燃料車を一掃できたでことでしょう。

車両の絶対数も不足していたでしょうし、せっかく整備した車両も燃料不足で動かせない状態では、満足にすべての免許路線を営業することができず、多くの路線を休止せざるを得ませんでした。

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資料:東京急行電鉄一般乗合自動車事業免許申請書添付資料(昭和24年3月提出)
(国立国会図書館所蔵資料より)

上の表は、休止中の路線について、その再開優先順位を整理したものの一部です。最優先で再開すべき路線として8路線が示されています。ここで注目したいのは、表の下から2番目に記載されている休止年月日です。3番目から8番目までの路線は、戦争中の昭和18年、19年に休止となっていますが、1番目から3番目までは戦後の昭和22年に休止となっています。
鉄道の場合、もっとも輸送力が不足したのは軍の統制が厳しかった戦争中ではなく、燃料事情(石炭、電気)が悪化した昭和21年から22年にかけてだったといわれていますが、乗合バスについても似たような事情だったと推測されます。

昭和23年頃から徐々に状況が好転していったようで、休止路線の復活や新たな路線開設が行われるようになってきました。そのきっかけとなったのが、最初の表で軽油として区分されているディーゼルエンジン車、具体的には米軍払い下げのトラック改造車両です。従来車両と比較して馬力があり、従来車両を鉄道の付随車のように牽引して走る親子バスというものも存在したようです。最初の表を見る限り、燃料事情も軽油の方がガソリンよりもましだったようです。払い下げの際に、ある程度軽油の割り当てなどの配慮もあったのかもしれません。

昭和22年頃を底として、徐々に将来の展望が見えていた世田谷区内の乗合バス事業ですが、休止路線の復活、路線新設にあたっては、もう一つ解決しなければならない問題がありました。絶望的なまでに酷い状態にあった道路の整備状況でした。
次回は、当時の最悪だった道路状況の中で、どのように路線開設を行っていったのか、具体例で示していきたと思います。