汽車ポッポのお話 | gayasan8560のブログ

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趣味の鉄道、街歩きネタを中心としたブログです。鉄道については、主に歴史的視点からの記事が多いです。

前回からの続きです。
フジサン特急に乗って河口湖駅に着いた中年オヤジの一行は、ここから路線バスに乗って御殿場駅に向かいます。今日の宿泊は修善寺温泉。いっきに富士山東方を半周し、さらに伊豆半島も南下しなければならないので、物見遊山している暇なんてありません。それにしても、ほぼ二十年ぶりに訪れた河口湖駅は、当時の駅舎の両側に大幅な増築がおこなわれたようで、見違えるように綺麗になっていました。外国人観光客も多く、世界遺産の威力をまざまざと見せつけられました。

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河口湖駅からは、路線バスで御殿場駅に向かいます。それにしても、今回乗車したバスの運転手さんといい駅員さんといい、外国人観光客相手に立派に英語で対応されていました。よっぽど社内で英会話の特訓をされたのでしょう。
乗車したバスは忍野村を経由する路線でした。それもあって、今回の旅行でもっとも富士山が綺麗に眺められたのは、このバスの車窓からでした。

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最初はガラガラだったバスですが、御殿場市内に入ってから乗客が増えてきて、御殿場駅に着いたときには、座席が全部埋まるくらいになっていました。
御殿場駅では、列車の発車までのわずかな時間に立ち食い蕎麦で昼食を済ませます。昼食を食べ終わったら、もうあまり時間がないのですが、D52が静態保存されているポッポ広場には行かなければなりません。

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富士には月見草、御殿場線にはD52が似合います。屋根のない雨ざらしですが、きちんと手入れされているようでした。ところで、この場所が「ポッポ広場」と名付けられているのにはある理由があります。

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汽車ポッポ広場にある歌碑です。ここ御殿場駅は、あの有名な童謡「汽車ポッポ」のモデルになった場所なのでした。
この童謡は、作詞家である富原薫さんが御殿場駅で見た風景をもとに作詞されたのだそうです。実は富原さんが御殿場駅で見たのは、兵隊さんが駅から汽車に乗っていく風景でした。御殿場という場所柄、演習場帰りの兵隊たちだったのかもしれません。そのため歌詞も現在のものとは違い。例えば「ぼくらをのせて」が「兵隊さんをのせて」、「鉄橋だ 鉄橋だ 楽しいな」は「兵隊さん 兵隊さん 万々歳」となっていたりします。現在の歌詞は、終戦後に富原さん自身によって改められたものです。
広場にある歌碑は、意図的なのかどうかわかりませんが、そういう経緯についての説明がありません。残念です。

兵隊さんで満員の軍用列車を牽引する汽車ポッポの奮闘を思い浮かべながら、我々はわずか2両編成の電車で三島駅に向かいます。ただしスピードだけは、当時を大きく凌駕しており、まさに「畑もとぶとぶ 家もとぶ」勢いで三島駅に向けて疾走していったのでした。