青函連絡船の思い出など(メモリアルシップ八甲田丸) | gayasan8560のブログ

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趣味の鉄道、街歩きネタを中心としたブログです。鉄道については、主に歴史的視点からの記事が多いです。

白鳥号で函館に行くまで少し時間が空いたので、青森駅はずれの旧連絡船桟橋に係留されている八甲田丸の近くまでブラブラしました。
八甲田丸は、昭和63年3月13日の青函連絡船廃止時の下り便最終に使われたれ船です。現在はメモリアルシップとして展示されており、函館港側で保存されている摩周丸とともに機械遺産にも登録されています。

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線路の一部と可動橋も残されています。せっかくなら貨車積み込みの再現とか行ったら人気が出そうですが、設備の維持費用がかさんで無理なんでしょうね。

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桟橋建屋までの連絡橋の駅ホーム側入口です。閉鎖されているので、八甲田丸に行くには駅外に出て道路を歩いていく必要があります。
かつて青函連絡船全盛期には、列車が到着するたびに連絡船への乗り換え客が、この連絡橋を我先にと走っていったそうです。私が青函連絡船を利用したのは、廃止数年前の頃で利用者も少なかったのですが、それでもこの連絡橋を小走りに通った記憶があります。
連絡船に乗船するときに乗務員の方々が並んでお出迎えしていたような記憶があるのですが、どうも記憶が曖昧です。出港時の銅鑼の音を聞くと、なんかすごい遠くに行くような気がしました。確かに時間的には、夜行列車と連絡船を乗り継いで北海道に行くのは、飛行機でハワイに行く程度の距離感がありました。
私が利用した頃は、青森から函館までは3時間50分。北海道新幹線では東京~新函館北斗を最短で4時間10分程度で結ぶということなので、隔世の感があります。
船内では「海峡ラーメン」というのが食べられました。私も食べましたが、ウエイトレスさんが一人でキビキビと働いている姿に感銘を受けたものの、肝心のラーメンについては、特にどうということもない味でした。連絡船廃止後に書かれた連絡船の思い出に関する文章には、「海峡ラーメンの味が忘れられない!」的なものも多々見られましたが、個人的には無くなっても、そんなに惜しくないラーメンでした。
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八甲田丸の脇に、「青函連絡船戦災の碑」がありました。青函連絡船の悲劇というと洞爺丸事故が有名ですが、太平洋戦争末期の米軍の空襲でも大きな被害を受けています。昭和20年7月14日・15日の2日間に行われた空襲により、沈没8隻、大破4隻の被害を受け400名以上の犠牲者を出しました。当時の青函連絡船の保有隻数が12隻なので、要は全滅ということです。
当時の国鉄は、7月中旬に青函連絡船への空襲があるという情報を入手し、軍に対して連絡船の一時疎開を申し入れたものの却下されたという話もあります。なんともやりきれない話です。

そんな先人達の労苦を偲びつつ、青森駅から白鳥号で函館に向かいました。