明治3年の駒場野行幸 | gayasan8560のブログ

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明治3年4月17日、明治天皇が駒場野(現在の東大駒場キャンパスのあたり)で行われた観兵式を総覧されました。これを記念した「明治天皇駒場野聖蹟碑」が現在も駒場小学校の敷地内にあります。

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隣接する東大駒場キャンパス内から撮影

この駒場野行幸は、明治3年4月という絶妙?な実施時期のおかげで、いろいろと興味深いものとなっています。

このとき、明治天皇が駒場野観兵式で総覧されたのは、どのような軍隊だったのでしょうか? 薩摩、長州、土佐の3藩から献兵されて御親兵が誕生したのが明治4年2月ですから、この時期には、まだ天皇直属の軍は存在してません。つまり駒場野観兵式では、諸藩の藩兵が集まって行進していたことになります。
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出典:「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C10070812600、 明治3年 駒場野連隊大練記 (防衛省防衛研究所)」

上の資料は、駒場野までの行幸行列の手順(行列の順番)を整理したものです。これによれば、行幸行列に参加している部隊として、鹿児島藩兵、高知藩兵、山口藩兵などの名前が書かれています。幕末物のドラマや小説などを観たり読んだりした人間には、薩摩藩、土佐藩、長州藩でないことに少々違和感があります。しかし、江戸時代から明治2年6月に行われた版籍奉還まで、「藩」という名称が公式に用いられたことはありませんでした。「藩」とはあくまで俗称だったのです。版籍奉還による府藩県三治制が確立されて初めて「藩」が公式の名称になったわけです。そしてそのときに、正式な藩名称として定められたのが鹿児島藩、高知藩であり、山口藩だったのです。ただし、明治4年7月の廃藩置県により藩は消滅したので、ほぼ2年程度しか「藩」が公式文書に使われることはありませんでした。
ここで駒場野行幸の実施時期を想い出してください。”明治3年4月”、見事に版籍奉還と廃藩置県の間に行われています。つまり、駒場野行幸に関する公文書は、「藩」という名称が正式に使用されている、貴重なものということになります。

明治天皇が直属軍以外の観兵式を唯一総覧された、そして「藩」という名称が公式に使用された貴重なイベントが、この駒場野観兵式だったのです。