父親から虐待を受け、犬小屋で育った男がドラァグクイーンとして虚構に生き、社会に牙をむいていく。


ジョーカーと似てると思ったけど、ジョーカーよりも人の痛みに寄り添った、優しい映画だと思った。


黒人刑事との最後の取り調べシーンが印象的。


「なぜ話したの?」

「同じものを持ってる」

「それは何?」

「痛み」


最近読んだ「旅芸人のいた風景」と、

この映画の読後感が似ていた。


「芸は身を助ける」という言葉があるけど、

それは決して経済的な事だけをさしてるんじゃないんだなと思った。


無理解が差別を産んだり、人に痛みを与えるなら、それはもう正直、無くしようがないと思った。当事者にならないと見えない景色なんざ、いくらでもある。


子育てなんか、まさにそうじゃないだろうか。


ベビーカーは、小回りが利くように車輪は小さめに作られていたりする。でもその分、段差とかにはとても弱い。電車とホームの段差は、ベビーカーを押す前は無いも同然だっだけど、今じゃとても怖い存在だ。降りるときはベビーカーを持ち上げて、慎重に降りる必要がある。


ところが、後ろにいた断崖世代のオッサンなんか、(想像だけど)ベビーカーなんて押したこともないもんだから、理解が出来ない。我先にと、ホームへ降りたつ。急ぎの予定もない癖に。


俺はそんなオッサンに舌打ちしながら、ベビーカーを押すわけだけど、当事者じゃなかったら、そのオッサンにいずれなっていたかもしれない。


あるいは、既に、当事者じゃない自分の無理解で誰かを傷つけているかも。


最近はそんなこんなでイラつくことが多くなってきているから、気をつけようと思う。

特に俺は無神経だから。


人の痛みが理解できるようなイケオジに、

私はなりたい。