私(自分)がみてきたシリーズの第2弾です(第1弾は社交ダンスの変遷でした

 

きっかけはけやきさんKEIさんのブログ

デモにまつわる不思議なあれこれ

 

そういわれてみればアマデモ(主にホテルデモ)って一般人からしたら

不思議なことが沢山あるなあと思いましたよ

そこで自分が見てきたことや聞いてきたアマデモのあれこれを

時系列にそって書いてみようかな

やっと今ダンスに関しては農閑期にはいりましたしね

 

1980年に入る頃(1979年だったか1980年だったか)

まだ20代でした

友人二人に引きずられるようにして入った社交ダンス教室

ここから本格的に私のダンスライフが始まりました

この顛末は私の一番初期のブログに書いてます

 

その1年後、友人の一人がアマデモを踊りました

そのお教室としては初めてに近いホテルパーティー

立食でしたしアマデモは友人1組だけ

今思うとホテルパーティーとしてはかなりカジュアルなものでした

アマデモンストレーションという存在をこの時初めて知ったのです

自分とは関係のない話、でもいいなああというのは記憶に残りました・・

これが後の自分の初デモにつながります

 

それから2,3年後

その頃五反田にあった助川ダンス教室に通い始めました

1週間に1回30分のレッスンです

どのくらい通ったのでしょうか、1年か2年

 

その頃 お教室への階段の横の壁に何枚かの写真が飾ってありました

春秋会と書いてあって年代が書いてありましたね

それはアマデモの集合写真でした

煌びやかに着飾ったマダム達がそうですね~20、30人くらいでしょうか

花束を抱えて写真に納まってました

じっくりと見たわけではありません

全く自分とは関係のないお金持ちの人達の世界と思ってましたから

 

いつ頃からそれが始まったのかはわかりません

 

その頃はダンス教室全体がほぼ完全に競技スタイルを教えるようになっていたと思います

 

その頃聞いた話です

社交ダンスつまりゼネラルダンスが隆盛を極めたのち

急速に巷の社交ダンスパーティー、所謂ダンパがすたれてしまった頃です

 

社交ダンスの教室にはダンパで踊りたい人達が通っていたのだそうです

1年もたたないうちにダンパで踊るのには十分なくらいに踊れるようになる

だからお教室をやめちゃう

新しい人はお教室に来るけど1年もしたらドンドン辞めていく

 

生徒(お客)が継続して通ってくれるように

モチベーションがあがるように、発表会をやればいい

それで考えられたのがアマデモだったとか

競技スタイルで踊るアマデモなら何年だって習いにきますから

 

教室運営の側としても教師の立場からしてもありがたい

それで一気にホテルでのアマデモが広まっていったらしいのです

 

当初はほんの限られた富裕層だけのものだったらしいのです

一番最初に聞いた頃はアマデモの掛かりは100万と聞きました

本当かどうかはわかりません

レッスン代、出演料、先生へのお礼(パートナー料)

ドレス(オーダーしかありませんでした)、先生の衣装(燕尾またはラテン衣装)

お席代(10席分)

そりゃああそれくらいは行くでしょう

 

実際には、1980年代以降の数年で

アマデモは少し頑張れば手が届く存在にまでなってきていたようです

以前のアマデモの常識

自分の衣装と一緒に先生の衣装も作る・・

これは1980年代後半には姿を消しました(多分)

余談ですが、

先生が生徒に作ってもらった衣装を下すのは生徒とのアマデモの時

これが当時の常識でした(少なくとも生徒の側の常識)

先生が競技会で最初に着てしまって大騒動になったなんて話も聞きました

 

やはり続くになりますかね