2017年は日本の風俗を知ることから始めようと思いました。彼を知り、己を知れば、百戦して危うからず、と孫子も言っていたではありませんか。日本を知ることが大事です。そこで、「イザベラ・バードの日本紀行(上・下)」を読みました。

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1871年に英国淑女によって書かれた日本旅行記で、2008年に読みやすい現代語で再度出版されたものです。なんでも、日本史界隈では非常に有名な書籍らしいですね。私は高校生時代に世界史専攻でしたから、イザベラ・バードなんて名前は知らなかったのですが、日本史専攻の友人に話をしたら当然のように名前を知っていました。

 

 

歴史を愛する私は、大変な感銘を受けました。ほんの150年前の、明治維新直後の日本の姿が、英国人の目を通して子細に描かれています。特筆すべきは、日本の貧しい地方の状況について、ありのままを述べている点でしょう。

 

イザベラ・バード氏は、東京から北海道(蝦夷)を目指すのですが、当時もっともメジャーな東北ルートである奥州街道を敢えて避け、外国人にとって前人未到の会津西街道を旅します。

 

 

■貧しい明治時代の地方

日光から会津を通って新潟に至る会津西街道の記述については上巻で登場します。この部分はこのドキュメンタリー書籍の白眉だと私は思います。未開で、みすぼらしく、不潔で、貧しく、害虫がはびこり、皮膚病が蔓延する、あまたの村と人々。しかし、人は親切で礼儀正しく勤勉であり、外国人女性の一人旅も可能である。そんなエピソードが何度も登場します。

 

【エピソード1】

---引用開始---

第14信 藤原にて

浜飛び虫が砂浜から現れるように、蚤の大群が畳から飛び出してきたのです。しかも縁側でも手紙の上に飛び上がってきます。……土壁の隙間にはなにやら虫が這っているし、むきだしの垂木からは蜘蛛の巣がぶら下がっています。畳は汚れと年代で茶色くなっており、米はかび臭くて洗い方が足りず、卵は古くて、お茶もかびの臭いがします。……夜になるとわたしの部屋では甲虫、蜘蛛、わらじ虫が、宴会を繰り広げます。……馬が馬蠅を持ち込みます。寝具には防虫剤をまきましたが、毛布が少しでも床につくと、もう蚤にやられて眠れなくなります。

---引用終了---

 

【エピソード2】

---引用開始---

第17信 津川にて

……鶏、犬、馬、人間が薪をたいた煙で黒くなった粗末な平屋にいっしょくたに暮らしており、山になった家畜の糞尿が井戸に流れ込んでいます。幼い男の子で着物を着ているのはひとりもいません。ふんどし以外になにか見に付けている男性はわずかで、女性は上半身裸のうえ、着ているものはとても汚く……おとなたちは体じゅう虫にかまれた跡が炎症を起こしており、子供たちは皮膚病にかかっています。……彼らは丁重で、親切で、勤勉で、大悪事とは無縁です。

---引用終了---

 

これらは、ほんの150年前の明治時代の、日本の田舎の話です。

 

明治といえば、文明開化の華々しい様子ばかりが描かれるのが常であり、それはすなわち東京・横浜等の大都市部を舞台としているわけです。「るろうに剣心」の世界観ですね。ガス灯があり、スキヤキがあり、アイスコーヒーがあって、洋服を着て最新武器・戦艦を買う。そんなイメージが一般的だと思います。日本は一気に文明を開花させたのだと。

 

しかし、それらは大いに一面的な明治維新像であることに気付かされます。

 

明治維新後も、時代に取り残された、というよりもおそらくは江戸時代よりも劣悪になった、上記のような凄まじい不潔と貧困があったのです。明治政府に敗れて賊軍となった会津地方に於いて、明治維新後も継続する悲惨な状況があった。敗れた会津藩士が青森に流れて斗南藩士として過酷な生活を送ったことは良く知られていますが、会津に住み続けた土着の農民たちも厳しい生活に置かれたことは、この本を読むまで想像していませんでした。

 

繰り返しますが、これはたった150年前の話です。我々の祖父母の祖父母の話であり、結構最近のことなのです。そんな最近の生活環境がそれほど劣悪だったという事実は、俄かには信じ難いことです。現代の会津では、例え山の麓の街であっても、清潔で高機能なセキスイハイムに住み、トヨタ車を駆ってユニクロやジャスコに行き、アマゾンで注文すれば2・3日でパナソニックの家電が届きます。電気・水道、住居、クルマ、生活家電、インターネット、などなど、あらゆるものがこの150年で凄まじい進歩を遂げ、会津の人々の想像を超える劣悪な生活環境を改善した。ただただ驚きしかありません。これだから歴史はやめられない。

 

現代の地方に行くと、どこもユニクロとジャスコばかりで、各地方の独自性が廃れてしまいツマラナイという話があります。私もそれには一部同意します。しかし、そういう画一的だけれど便利なサービスの登場により、地方の人々は(商店街は絶滅してしまったけれど)それなりに清潔で便利な生活をエンジョイしている側面もあるのかもしれません。たしかにユニクロは低賃金で地方経済の雇用の足しにはならないかもしれないけれど、実際その製品品質は折り紙つきです。高価で独自性のある地元産品も素敵ですが、その地元で生活する多数の一般消費者にとっては、どちらが良いのでしょうね。地域文化を破壊するユニクロ等は、「罪」の部分がクローズアップされがちですが、「功」の部分があることも忘れてはいけませんね。

 

 

■真実に迫る描写

話が逸れました。この本の素晴らしいところは、「不潔」「醜い」「貧しい」といった筆者の感想が、オブラートに包まず記されているところにあります。これは大変ありがたいことです。おかげで、150年前の日本の田舎の真実を知ることができるのです。当時のイギリス人の高慢さを感じさせる表現も多少ありますが、当時、大英帝国とはそういうポジションに居たのです。その文脈でいうと、イザベラ・バード氏は、それなりに土着文化への理解があり、大英帝国人にしては謙虚な方であったと思います。こういう部分も含めて率直な時代描写があふれていると私は思いました。

 

最近の大河ドラマなどは、変に「当たり障りの無い」内容に改変されていて私には少々残念です。例えば真田丸の「きり」は真田幸村の妾としては登場しない。現代エンターテイメントとして、視聴者への配慮があるのでしょう。けれど、そういう時代だったのだから、正直に描けばいいのに、と私などは思うのですがね。臭いものにフタをしていては真実が見えなくなってしまいます。「真実vsモラル」の問題は投資では非常に重要なテーマですから、別の機会にメモしたいと思います。

 

もし仮に、イザベラ・バード氏の日本紀行文の内容をそのまま現代技術で映像化したら、明治維新後の真実の姿を知るための、素晴らしい作品になると私は思います。しかし、視聴者からクレームの嵐を受けるでしょう。

会津を冒涜している!とか。

裸を出すな!とか。

日本人はそんな不潔ではない!とか。

食事時にやめろ!とか。

それくらい、ドギツイ内容だと言えます。

 

残念な世の中になったものです。こんな調子で「理想化」ばかりやって、キレイなところだけ見せながら世の中が回ってしまうと、どんどん真実から離れて行ってしまいます。でも本書は、結果として改変をせずに、筆者の見聞きした生の情報を翻訳してくれました(※現代にそぐわない表現を改変すべきかと悩まれた様子が冒頭の注意書きから読み取れるのですが)。真っ直ぐな訳者の仕事に、感謝です。当時の時代を知るのに、余計な理想化は不要です。

 

 

■日本人の精神

さて、そんな歯に衣を着せない記述が続くイザベラ・バード氏ですが、この紀行文では、どこの地を訪ねても、ほぼ一貫している彼女の印象があります。

 

それは「日本人は、礼儀正しく親切」であるということ。

 

「汚い」「醜い」「貧しい」と辛辣な言葉を正直に重ねる外国人の彼女が、人々の人間性についてはこのような高い評価をしている。当時の地方の日本人は本当に「礼儀正しく親切」だったのだろうなという確信が持てます。下手に理想化をしていないから、こういう真実が見えてくるのです。非常な不遇の状況下にありながらも、「礼儀正しく親切」であることを貫き通していた会津の農民たちがいた。明治初期の会津は明らかにOECDの絶対的貧困ラインに該当しそうですが、それでも精神は「礼儀正しく親切」でありつづけた。日本人として感動し、誇りに思います。

 

他方で、現代日本と対比したとき、モヤモヤしたものが残ります。

 

明治時代初期よりも遥かに物質的/身体的に豊かになった現代日本。害虫は出ない、皮膚病もない、きれいな水を飲み、飽食を楽しみ、快適な家財がある。現代日本は絶対的貧困を完全に脱している。現代日本の地方は、いまや豊かで健康的な生活を謳歌しているはずです。イザベラ・バード氏が明治時代に感じた日本の地方の「負の側面」は、ほぼ払拭されたと言っても過言ではないでしょう。

 

しかし一方で、「正の側面」はどうか。こんな豊かになった現代日本の地方は、明治初期と同じように、旅人に対して「礼儀正しく親切」であるという精神性を保持し続けているのでしょうか。「負の側面」が折角無くなったのに、「正の側面」も無くなってしまっては、大変悲しいことです。私はこれを知りたい。

 

正直に言うと私は、東京に住んでいますから地方の事情は詳しくはわかりません。しかし現代の東京砂漠に於いては、おそろしいほどに礼儀が失われ、人が電車内で倒れても知らんぷりという驚愕の不親切が横行しています。自己中心的なモンスターペアレンツ、意味不明なモンスター顧客も生息しています。おそらくは明治都市部にも多少はあったであろう礼節という「正の側面」は、現代東京では大いに失われている。この恐るべき無礼/不親切までもが、現代の地方に輸出されてしまってはいないか、それが心配なのです。

 

近いうちにフラリと会津街道に出かけてみようと思います。バード氏に再びお見せできる日本人の精神性が、地方に残っていると良いなあ。東京人の精神性の惨状など、見せられたものじゃあないですからね。

 

 

 

■社会経済ネタブログとして言いたい

こうやって過去の歴史を振り返ると、明治初期の絶対的貧困を見事に脱した日本の姿が見えてきます。しかし、それを達成すると、こんどは相対的貧困だと世の中は騒いでいます。いつまで「富」について議論すれば良いのかは、終わりが見えません。私は、かつてのおぞましい貧困を脱したいま、これ以上国民全体で「富」を追い続けることが有益なのかどうか、疑問なしとはしません。

 

「絶対的貧困は、ラインが低すぎるのでそれを脱したからといって満足するな!」というお叱りを頂きそうです。私もそう思います。絶対的貧困とは、定義はWikiをみて頂ければわかりますが、少々複雑です。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%A7%E5%9B%B0%E7%B7%9A

現代日本における具体的な数字は探しても見当たりませんが、どうもほぼ100%達成してしまっているようで、日本ではもはや絶対的貧困は問題にならないのです。素晴らしいことです。「絶対的貧困」は、日本ではもはや適用する意味のない基準なのです。

 

そもそも「絶対的貧困」というのはOECDの定義ですから、日本でそれを無理に利用する必要性はありません。日本独自で何か独自の「貧困」基準を作ったらいい。日本における最低限の物質的・身体的な豊かさとは何なのかを独自に定義する。それで、現代日本はそれを達成できているのか、検証してみる。日本で「富」と「貧困」の問題を語るためには、まずは「日本に於いては」どれほどの「富」と「貧困」があった場合に「解決すべき状況」と認定されるのかを明確にする必要があります。貧困を語るには、日本基準が必要なのです。

 

OECDの基準に盲目的に従って「相対的貧困が次なる問題だ」と騒ぐのだけはカンベンです。絶対的貧困はもはや日本には無関係な基準なのに、相対的貧困は日本に適用できる基準だなど、そんな都合の良い解釈を展開してはいけません。OECDに追従するのではなくて、我々の頭で考えなければなりません。OECDが悪いといっているわけではない。自分達で考えた結果、OECDと同じ基準が作成されればそれでもいいでしょう。自分で考えて作ることが大事だと思うのです。

 

そうして作成した日本基準。

その日本基準を達成できていないなら、社会で努力しましょう。

その日本基準を達成できているのなら、「富」についてはもういいじゃないですか。

 

いま議論すべきはおそらく富ではない気がします。それよりも、貧しい明治日本に存在した「精神的な豊かさ」に目を向けて良いのではないでしょうか。豊かな現代日本人が幸せを感じないのは、相対的貧困が存在するのが理由では恐らく無い。きっといま失われつつある「精神的な豊かさ」がより大きな問題ではないでしょうか。相対的な「富」の多寡よりも、疲弊した日本人の「精神」に焦点を当てることは出来ないものでしょうか。

 

 

以上、歴史探訪は、広がりがあって面白いというメモでした。

 

 

2017年も、歴史的な動きを基礎に、世界の経済情勢がどのように変わっていくかを考え、それをベースに投資方針を決定していきたいと思います。