「あと一歩」という状態まで来てから、波打ちながら全く回復しない。
症状は出たり出なかったり。
気力も思考力も低下しているので、考えがまとまらない。
緩やかに時間ばかり浪費していく日々。
もちろん苦痛。
苦痛だけど、かつてに比べれば軽微なので、今のまま死を待つのもいいかと思ってしまう。
やはり1日の中で何度か死にたくなる。
京都に来てからのトレンドは首吊り。
飛び降り主義だったけれど、複数人に先を越されたのでなんか萎えた。
住まいのすぐ近くに線路があって、轟音とともに列車が通過していく。
最近、これを聞くと、列車に飛び込むのもオツなもんだと思うようになった。
割と強めの衝動に駆られるけれど、音を聞いてからでは間に合うはずもない。
すぐ上の部屋の住民の足音がうるさい。
kenじーさん宅の場合、隣室がうるさく、kenじーさんは度々その住人に殺意を覚えていた。
今回も、部屋主は、「殴り込んでいいよ。私が許可する。」と言う。
生活音で他人に知らず知らずのうちに殺意を抱かれている、というのが集合住宅の罠。
無神経は時に不本意な死を招きますよ...うふふ...私が発狂しない事を上の階の住民は願いなさい。
とはいえ、私はその程度の足音には寛容。
さほど気にせず生活できる。
何故なら、那覇のゲストハウスがことごとく酷かったからだ。
足音耐性がついてるんだな、と勝手に思っている。
反面、部屋主がさほど気にならないと言う、隣室のガキの泣き声が気に障る。
1日に1~5回ほど繰り返される。
しかも、全て同じパターンで泣く。
蝉の鳴き声並みの風物詩だ。
休みでどっか行っている時以外、3ヶ月間毎日繰り返された。
さすがに私も嫌になった。
「クソガキが、胎内に戻れ!」と思う。
今年に入ってから、すっかり幼児がダメになってしまった。
何故なのかよくわからない。
うるささと煩わしさに、殺意すら覚える。
9月9日昼。
そんな外的要因が全て無く、とても静かだ。
その静かな中、左下背部の衝動的な痛みに苦しんでいる。
フラッシュバック的なモノだ。
これが1日の間、そういうものを想像してしまう度に襲って来る。
自分1人の部屋で延々と苦しんでいる。
第一期ひきこもり時代から、20年間変わらない現実である。