9月9日 | 10で神童15で天才20過ぎればただの人

10で神童15で天才20過ぎればただの人

幼少期に将来を期待されて育った田舎育ちの男性が、不登校・自殺未遂を経て暗い人生に突入した日々を綴る日記...だったのが、鬱から立ち直り社会経験を経て旅人に転身し、現在はホテル会社の代表取締役となり多忙な日々を描く奮闘記になりました。

「あと一歩」という状態まで来てから、波打ちながら全く回復しない。
症状は出たり出なかったり。


気力も思考力も低下しているので、考えがまとまらない。
緩やかに時間ばかり浪費していく日々。
もちろん苦痛。
苦痛だけど、かつてに比べれば軽微なので、今のまま死を待つのもいいかと思ってしまう。


やはり1日の中で何度か死にたくなる。
京都に来てからのトレンドは首吊り。
飛び降り主義だったけれど、複数人に先を越されたのでなんか萎えた。

住まいのすぐ近くに線路があって、轟音とともに列車が通過していく。
最近、これを聞くと、列車に飛び込むのもオツなもんだと思うようになった。
割と強めの衝動に駆られるけれど、音を聞いてからでは間に合うはずもない。


すぐ上の部屋の住民の足音がうるさい。
kenじーさん宅の場合、隣室がうるさく、kenじーさんは度々その住人に殺意を覚えていた。
今回も、部屋主は、「殴り込んでいいよ。私が許可する。」と言う。
生活音で他人に知らず知らずのうちに殺意を抱かれている、というのが集合住宅の罠。

無神経は時に不本意な死を招きますよ...うふふ...私が発狂しない事を上の階の住民は願いなさい。


とはいえ、私はその程度の足音には寛容。
さほど気にせず生活できる。
何故なら、那覇のゲストハウスがことごとく酷かったからだ。
足音耐性がついてるんだな、と勝手に思っている。

反面、部屋主がさほど気にならないと言う、隣室のガキの泣き声が気に障る。
1日に1~5回ほど繰り返される。
しかも、全て同じパターンで泣く。
蝉の鳴き声並みの風物詩だ。
休みでどっか行っている時以外、3ヶ月間毎日繰り返された。

さすがに私も嫌になった。
「クソガキが、胎内に戻れ!」と思う。
今年に入ってから、すっかり幼児がダメになってしまった。
何故なのかよくわからない。
うるささと煩わしさに、殺意すら覚える。


9月9日昼。
そんな外的要因が全て無く、とても静かだ。
その静かな中、左下背部の衝動的な痛みに苦しんでいる。
フラッシュバック的なモノだ。
これが1日の間、そういうものを想像してしまう度に襲って来る。

自分1人の部屋で延々と苦しんでいる。
第一期ひきこもり時代から、20年間変わらない現実である。