武道
- 日本の武道は元来 武道に戦いの技術をささげるための物であったが、明治維新以来様々な術的、論理的、制度的変更を得て武道という現代的に編成された
- 魚住孝至はこの武道の現代化を論ずるさい嘉納治五郎、阿波研造、植芝盛平という3人の偉大なる武道家の業績に焦点を当て、この現代化の過程において同じ様に影響力を持った植芝盛平をはじめとする他の武道家たちの名前を挙げている
- 山岡鉄斎は幕府軍の無血降伏につながる交渉準備として江戸城の攻撃を防ぐことで明治維新において重要な役割を演じた剣豪である
- 武士が血を流すことなく、争いごとを防ぐというのも奇妙なことだと思うかもしれないが、この姿は剣術に関する鉄斎の考えが象徴している
- 鉄斎は武家に生まれ武士になるための教育を受けたが、禅の修行をし、それによってサムライの収容の在り方を世の平和のためにつかえるはずだと考え武藤流を編み出した。
- 嘉納治五郎は様々な流派の柔術の技を習って新しい武道を創始しこれを柔道と名付けて新鍛錬法として広めた
- 私たちは国際的スポーツとしての柔道とオリンピックとしての柔道とオリンピック招致に活躍した嘉納のイメージになら親しんでいるため、彼こそが柔道をオリンピック競技にした人物だと思いがちである
- しかしながらジョン・スティーブンスによると嘉納は柔道を1940年の東京オリンピック競技に加えるようなていがんはしなかった
- それどころか彼は柔道を競技に加えるのを嫌がった
- 何故なら柔道はスポーツではなく芸術であり化学であり生き方であるからである
- 嘉納は植芝の合気道にも興味を持ち何人かに合気道を学ばせた
- 植芝は武道を技術の寄せ集めではなく生き方であるといったと、されており嘉納は自分が柔道において具現化しようとした精神を合気道を見たのかもしれない
- 阿波研造は由美と禅を書いたヘリゲルの弓道の師として世界的に知られている
- この本の中で一番有名なのは泡が無心の禅を実践して見せる場面である
- ある日ヘリゲルはじぶんがなかなか上達しないことに嫌気がさし、的を狙わずに的を射るという泡の考えに関するいささかの疑念を表明した
- 阿波はその後、彼を同情に呼び火をつけた選好を前に置くように言った
- ヘリゲルは暗い中庭を歩き的のところまで行き言われたとおりにすると又、師の元に戻った
- それから阿波は連続して2本の矢を放ちそれがどうなったのか見るように言った
- ヘリゲルは的のところへ行き動転してしまった
- 最初の矢が的の真ん中に刺さっておりその矢を引き裂いて二本目の矢が刺さっていたからである
- 師はそれらの矢をまじまじと見つめた
- ”最初の矢は?”と師は言われた
- 大した技ではないと思うだろう
- これだけ何年もけいこをしていれば的が良くわかっているから真っ暗でもどこに的があるかわかっているはずだと
- だが最初の矢に当たった二本目の矢、これをどう説明する
- 少なくとも私はこの一矢は私の物でないことを知っている
- ”それ”がいたのであり”それ”が当たったのだ
- 仏前と同じようにこの的に対して神戸をたれようではないか
- 刀を持たない剣術
- 生き方としての武道
- 無心の矢
- これらは武道の教えの中に繰り返し表われる逆説である
- これらの逆説はちょうど武道は禅の考案のように論理的思考を口説するのであり、それらを理解するためには実戦さえすればいい
- 武道を学ぶときには自分の弱気と向き合うことになる
誤字すみません!