こんにちは。オグ・ヨーコです。
千葉県の右下の方に移住して、
海の近くで4人の子供を子育て中。
直感と二種の数秘術の智慧を使って
皆さんがご自分の中にある答えをみつけていくお手伝いをしています。
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土曜のことです。
大好きな地域の神社さんに寄付をしにいったんですね。
寄進っていうんですかね。
去年、東京にあるマンション(ローン返済中)を手放すと直感がきて、
ありがたい流れで、素晴らしい若者とご縁があり、その方との取り引きでありがたいお金をいただきました。
話していてとても真っ直ぐな人柄に心を打たれ、契約時にたまたまプライベートなお話になり伺っているうちに、直接いただく手付け金の重みに感極まりました。
その時に、このお金の一部は神社さんに寄付をしようと決めていたのです。
そのことを金曜の午後に急にまた思いたち、
もし翌日の土曜がお日柄が良い日だったらば、ついに決行するタイミングだ!と自分の中の直感がおりたんですね。
翌日の土曜日を調べたら一粒万倍日&大安の素晴らしい吉日でした。
おりしも一昨日は節分、前日は立春ですからね。もう間違いないなと。
思い立った時間がすでに遅くて、
末っ子の学校の迎えも一時間後、銀行の窓口営業が閉まるのもあと一時間以内っていうタイトな縛りの中、
即車を飛ばして、銀行にいって窓口で新札に交換して、
子供迎えにいって、
神社さんに事前のご連絡をいれて・・
翌日、4人の子ども達を歯の定期検診に連れて行ったり、学校で必要なものを買ったり、家事もあったり、ここ数日ワンオペデーで非常にバタバタしながらも、どうにか神社さんに連絡をいれておいた時間に間に合いました。
そしたらですよ。
そこは由緒あるといっても田舎の神社さんですから、いつもは神主さんが平服で神社内のあれこれ境内の補修作業などを忙しそうにしてらっしゃるんですけど、
社務所前で正装で待っていらっしゃって・・・
驚くやら身が引き締まるやら。
「社務所にどうぞ」
と、中にいれてくださって驚きました。
木製の古い昔ながらの厳かな社務所はしゃむしょだけにさむそう(←)だったのですが、
中に入るとストーブががんがんたかれていて、畳も座布団もじんわり暖かい。
私のためにずいぶん前もって暖かくして用意して下さったのがわかりました。
こちらの神社さんや神々に移住当初から、沢山の苦しいときに大変支えてもらったこと、などをお伝えして奉納。
そして帰ろうとしたら、
「よろしければ、奉納ということで祝詞奏上を本殿でされませんか。」と言って下さって
本殿にて祝詞奏上していただくことになったんです。
ひょえ~。
なんにも知らないし、ただ包んで寄付としてお渡しして帰るつもりだったので、嬉しくて嬉しくて。。。。
これが去年、伊勢神宮で11月、12月と御神楽奉納した人とは思えないド素人さよ・・・
そこの神社さんは、「国吉神社」さんといいますが、
隣り合わせで「上総出雲大社」「日御碕神社」「金比羅社」など他にも摂社・末社があるんですね。
こちらの「上総出雲大社」は出雲大社から正式に分社としてわけられ認められている神社の1つで、関東には正式な分社は2つか3つのみだったと思います。
お一人の神主さんが全てを管理されていまして、神主さんになられたここ10数年ほどで相当きれいに整備されたんです。
先ほどあげた4つの神社さん全てにとってもお世話になってどの神様にも感謝しているので全社への奉納です。と話したこともあって、
「国吉神社」と「上総出雲大社」の両社で祝詞奏上と榊の奉納をさせていただくことができました。
ラッキーーーーーーーすぎる!!!
無心で想いのみで動くと、こういうことがあるんですよね。
ここだけの話ですけどね、私、御朱印に興味がないんですね。
ご神木をあれこれ触ってエネルギーをえることも、
クレクレ星人みたいであまり食指が動かない。
私も観光で神社に行くことが大好きなので参拝には色々な形があってこそだと思いますが、
ただ、平伏して感謝する気持ちが根底にあることが、真髄にふれることだと感じますね。
で、なんだっけ。
祝詞奏上は、ものすごかったです。
ここの神主さんの祝詞の声をちゃんと聞いたの初めて!
いつも朝とか夕方とか人がほとんどいない時間にいくから、、、
もう本当に言葉で言い表せない祝詞でした。身体が、肌がビリビリしました。
出雲大社分社の太鼓の音なんて、本当に地響きじゃなくて神響きっていうのかな。
すごかったです。
来年、こちらの神社さんの屋根の補修に多額のお金がかかるそうなので、
そちらに充ててくださるそう。
よかった。。。。
マンションを購入してくれたあの素晴らしい若者に伝えたいけど、こういうことは知らないところで起きるもの。
きっと神様もわかってらっしゃるはずです。
このタイミングで寄進できたことは、意味があるでしょう。
直感ってそういう導きがありますから。
☆☆☆
おまけです。
金曜の夜、夢でリアルな夢をみたんです。
今は施設に入っていて何年も会えていない叔父が、
私や兄、従兄弟たちと旅館の宴会場のような綺麗な広いところでおしゃべりしているんですね。
もうすごく元気そうで、昔みたいにテンポものりもよくて
みんなと笑っておしゃべりしているんです。
なぜか、私と旦那さんはその脇でベランダで楽しそうに布団を干しているんですけどね笑
他にもそのメンバー中心で別の場所での別の夢もみたのですが、
忘れてしまいました。
目が覚めて、不思議なリアルな夢をみたな~と思っていました。
そしたら、その日の夜、
つまり夢をみた次の日、土曜の夜ですね。
叔父さんが施設でなくなったそうです。
あとから聞くと、叔父さんはその数日前から昏睡状態だったようで、
なくなる前に私に何か伝えにきたのだと思います。
私は、叔父さんが「楽しかったよ」って言いにきたんだと感じています。
叔父さんが子供が好きだったことも伝えてくれていた感じです。
他にも感じたメッセージがあるけど、ここには書かないでおきます。
こういうことって、怖くはないんですよね。
目に見えないことって、怖いって決めているのは人間の観念で
そもそもはエネルギーだから、感じるか感じないか。
特に最近の私は、感じます。
観念を手放しているし、感じることへの許可、感じて何かのお役にたつことにも許可をしていますから。
こういうことは、もう人生で何回目だろう。
お役目を感じます。
では、また!