こんにちは。オグ・ヨーコです。
千葉県の右下の方に移住して、
海の近くで4人の子供を子育て中。
直感と二種の数秘術の智慧を使って
皆さんがご自分の中にある答えをみつけていくお手伝いをしています。
☆☆.。.:*・゚*:.。.☆☆.。.:*・゚*:.。.☆☆.。.:*・゚*:.。.☆☆
今日、湧いてきた一言は
『足元をみる』
幸せはどこか、夢にえがく世界の先にあるんじゃなくて
どこかの凄い人になったら
手に入るのではなくて
今の自分にあることは間違いないのだけど
みてないのね、自分をよく。
何がしたくないのか、
何に違和感を感じるのか、
何に心が浮き立つのか、
何をもっとしてみたいのか、
今夜、どんな風に夜を迎えたいのか。
細かくみつめて
できる範囲で行動にでてあげる。
つまり、答えは自分の静寂なところにあるから
よくよく自分をみつめて
満たすこと。
そんな風に感じてる、
今日のたそがれどき
今日の車窓からw
☆おまけ☆
例えば、昨夜、
すでに寝入ったこどもたちと並んで寝るとき、
末っ子の平和な寝息を聞きながら
末っ子の温かい脚に私の脚を並べるようにして
愛しい幼な子の体温を感じながら寝る幸せ
それから、
私はとにかく今、神社巡りが楽しくて仕方ない。
(御朱印のためではないです。御朱印は特に興味ない派です。)
それになんの意味があるからじゃなくて、
ただ楽しいから。
その楽しいことを自分にちゃんと許可している、ということ。
夫婦間でも、これは嫌だと思ったら、嫌だと思ったとちゃんと声にだすこともしている。
それで旦那さんが直す、直さないが大事じゃなくて
大事なパートナーに思ったことを言わないという我慢を自分にさせない。
なぜなら、それは私にとっての違和感だから。
違和感も喜びも全て、人さまざま。
神社がなんの意味があるのか、子供の寝息が癒やされるのか癒やされないのか、思ったことを大事な人に言う言わないに対して
他の人がとう思うか、どう評価するかは本当に全く関係のないこと、なんです。
自分の奥底の静寂なところの感覚をわかってあげれて、いつでも行動にうつせて満たせるのは自分しかいないんですよね。
では、また明日!