建国記念の日に、地理の授業を・・・ | 中学受験を見直したい(隊)+α

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我が塾には旗日は無関係だ

2月11日、平日と同じように授業をした。

 

今日の理科は谷先生にon-lineでお願いし、私は社会だけ。

 

我が教室は個別指導が多く、講義はしてこなかったが、

本年度、二人が同じ進度で勉強することになり、講義を再開した。

 

で、今日の社会は地理。

新5年といっても、まだ現実は4年生だ。

日本の地形も行政区分も、地図の見方も、近隣の国も世界の国も・・・

とにかく基本ができていない。

 

よって、社会は少し別メニューでゆるり進めることにした。

地方ごとに見ていくことにした・・・。

で、今日は九州地方。

 

九つの“クニ”、筑紫、筑後、豊前、豊後、肥前、肥後、日向、大隅、薩摩・・・

旧国名である。現在の地方区分では沖縄も入れるが

昔は当然そういう考え方はない。

 

さて、この旧国名で一つだけ異質なものがあるのだが

お気付きだろうか?

地理というよりは、漢字の問題かもしれない(^^ゞ

 

私が言いたいのは、日向である。

なんと読むか?

“ひゅうが”ですね。

でも、“ひむか”とも読めますね。

私は“ひむか”派です。

 

そして、この漢字、“向”だけは

動作を含んでいませんか?

 

“向かう”です。

 

ここまで書くと、

はは~んと納得していただける方も居るかと・・・m(_ _)m

 

そうです。

ここから “日(東)に向かう” と考えるのです。

“ひむか”の背側には、高千穂があります。

 

“九州を出た一団”は、ゆるゆると東へ勢力を伸ばしてゆきます。

そして、“ヤマト”の地に治まります。

 

ところで、なぜ大和、つまり奈良だったのか?

 

その答えは稲作をはじめとする農耕です。

奈良は盆地で周りを山が囲んでいます。

当時、北側は広大な湖でした。

奈良は森が多い。

ということは・・・

 

農耕で収穫したものは“調理”が必要です。

だからこそ土器が居るのですが・・・

燃料はどうしましょうか?

そうです、だから“森”が必要なのです。

水があって、森があれば、暮らし向きは上がります。

 

日本には太古、縄文人が居て、

そこに“大挙して”弥生人が大陸から渡ってきて、

縄文人にとって代わり、高い文明を伝えた・・・

そのように学校で教わりました。

でも、それ、少し違っていたようです。

 

今では色々な科学が、それを後押ししてくれますが

日本の歴史学者だけは、頑なにそれを受け入れません。

“日本は遅れた国だった”と子どもに教えたいのでしょうか。

 

発掘調査をしただけでわかる、縄文時代と弥生時代の違いを挙げておきます。

縄文人の人骨には受傷人骨が“乏しい”ことです。

まぁ、これにも反意はあるでしょうけどね。

 

農耕民族と戦争は、結びつきにくそうですが・・・

でも、実際は逆です。

 

狩猟と採集で食料を調達していた縄文人の方が平和的だった

そういう考え方があります。

じゃ、なぜ弥生人は戦争をしなければならなかったのか?

 

ところで、なぜ大陸から、大挙して日本へ渡ってきたのでしょうか?

米作りや、漢字や、仏教を教えてあげようと思って

来てくれたのでしょうか?

 

絶対違いますね(-_-;)

 

私は口角に泡を飛ばしてまで

“真の国史”を子ども達にすり込もう・・・

などとは考えていません。

 

でも、それこそ

与えられた情報をまずは並べて、

時系列や種類別にして

検討してみるだけで

何かしら見えてくるものがあるはずです。

 

社会は暗記の科目・・・

と、私も普段は言っていますが

本当は、暗記の上に考察が乗っかる科目です。

 

ちゃんと訳があって、そこに人が移り住んだり

交わったりしていたのです。

 

歴史というと

人類の起源とか四大文明などが教科書のトップを飾ります。

この中に縄文文化は入っていません。

これらの国に先駆けて日本では

人類史上最古の“土器”が作られていたのに、です。

 

土器を焼くには高温が必要です。

低音で焼ける土器は、地面で焼いたのでしょう。

でも、高温で焼く必要のある土器制作には“窯”が必要だったはず。

すると、その高温で“他のもの”を作っていたとしても

何ら不思議もありません。

 

私たちが習ったことは本当でしょうか?

 

もう一つ。

人種が代々受け継がれてきたのなら

骨格もそうですが、もう一つ共通点があるはずです。

言語です。

 

もし、弥生時代に、“大陸”から、大挙して人が

渡ってきてのなら、

そして、縄文人に取って代わったのだとしたら

今の私たち日本人は、日本を話していないはずです。

漢字はもらったかもしれないけれど

話し言葉としての日本語があったから・・・

そうでは、ないのかなぁ(^^;

 

考える社会のすゝめ(^_^)v