私、実は学生時分に、この新聞社の編集局でアルバイトをしていました。
初めはその大きさや権威にのまれました。
でも局で働き出して、実際に紙面を作っている編集デスクやキャップの方たちと言葉を交わすようになり、彼らの頭の回転の速さや見識の広さに舌を巻きました。普段は若造の馬鹿話にも付き合ってくれましたが、いざ事件が起こるとさっと表情が変わります。プロの表情になり、語気が粗くなり、編集部は戦場と化します。
私にとってはそれはとても有意義な数年でした。
チャップリンが亡くなった時の1面の写真は、私がキャップに命じられて資料部(あの社は調査部と呼称していました)から取り寄せました。それを机上に並べさせました。彼は私が大のチャップリンファンだということをなぜか知ってくれていました。
で、こう言いました。
“お前はチャップリンと訊いたらどの写真選ぶ?”と。
記憶にブレがなければ…確か、映画キッドの写真を選んだはずです。
そんなこともあって当時はあの新聞社は大好きでした。
時を経て、平和ボケの私もさすがに日本のメディアは偏向しているとやっと気づきました。
ここに挙げたらきりがないほどです。
ありもしないことをでっち上げ、そのせいで日本は国際社会から軽蔑視されるという事件もこの社の記事が原因です。
国益を損なったのはこの一件だけではないのです。
私はそれでも浮気せずにずっと購読していたのですが、さすがに購読を辞めました。
今年7月、安倍さんが亡くなりました。
翌朝の社説は、たしか、モリカケサクラ疑惑を解明せぬまま亡くなった…というような論調で書かれていたと動画配信のニュースで知りました。
そういう新聞なのです。
公平性も公共性もありません。
この新聞社の紙面は“活動家ビラと同じだ”という評論家さえ居ます。
安倍さんだろうが誰だろうが、我が国の元首相です。
その方が亡くなった次の日にそれはあまりにひどい記事です。
しかも社説と言えば天声人語と並んで、お偉い記者さんしか書けない記事。
いわば朝日の顔。朝日の主張ともいえるものです。
事件に関しては不可解なことが山ほどあるのに、誰も何も言わない。
マスコミ全体が誘導したとおりに暗殺は、宗教団体の問題にすり替わってしまいました。
そんな偏った新聞を私は子ども達に勧める気はありません。(どの新聞も勧められません)
厳しいことを言うなら、そんな新聞の記事を入試問題として取り上げる学校にも行ってほしくないくらいです。
インドは安倍さんが亡くなって国中が喪に服してくれました。
日本は何をしましたか?
お葬式のすぐそばで反対を唱える集会をしていました。
ご家族はどんな気持ちでそれを見たでしょう。
日本はそんな国ではなかったはずです。
そんな国になった原因の一端にメディアはいるはずです。
だからテンセイジンゴはNGなのです。