またあの芝生で走りたいな

京都の病院から鴨川を見ながら
息子のヨシはそう呟いたことが
ありました。

小学校のマラソンを
思い出していたのかな。



⋯いつぞやか、
僕の過去を息子に分けたという
わかりにくい文章を投稿しました。

ヨシが亡くなる時、
僕の命を息子に譲れないなら、
どうか神様⋯僕の人生で
一番楽しかった時間を
息子に切り与えて下さいと。

どうかヨシよ、
過去に遡って
僕を乗っ取れ!と。



10代後半で突然、
性格がクルリと反転した
当時の僕は、なぜか
緑コーデにこだわっていて
(緑はヨシのトレードマーク)

毎日が楽しくて仕方なく、
いろんなチャレンジをしたり
様々な場所に行き、
たくさんの人に出会いました。

ある時は
サハラマラソンに
参加したりもしたのですが、

レース途中のサハラ砂漠での夜、
(ベーステントで)
取材で同行中の
作家さんに呼び出され、

「経歴をみると日本人では
君だけド素人で何故参加したのか

全くわからない(笑)理由を聞かせて」


といわれたりしました。

「自分でもよくわかりませんが
なにか時間がもったいない気がして(笑)」



僕自身の思い出の中にあった
ヨシの緑色のサインのおかげで、

故人はいつまでも傍にいるし、
振り返れば、出会う前から既に
見守ってくれていた⋯
ということもあると信じられます。

⋯あの時、病院での
鴨川の風景には戻れなかったヨシ。

でも、その川沿いの芝生は

緑色の僕が何度も走った道なのです。