
息子ヨシの月命日である今日、
自宅に置いていた遺骨を分骨しました。
大きなほうは明日の朝、
亡くなった父親の分と一緒に
お墓に納骨します。
⋯思えば息子の葬式の時、
なぜ理不尽に我が子を
運命のようなものに
奪われてまで
おとなしく儀式を
こなさなければいけないのか
怒りを抑えるために
涙さえ出てこなかった。
葬儀屋の丁寧な説明にも
ご導師様の有難い言葉にも
儀礼や礼儀も知っているけれど
そんなことしてられるか!と
終始無礼であった気がします。
そして墓のなかに
まるで死んでしまったかのように⋯
ヨシの遺骨をいれてたまるかと。
親戚が親がまわりが
どう思おうが
知ったことじゃないと。
⋯けれども三年たった今、
父親の死を穏やかに
涙で見送ったら、
(父親の希望どおり)
息子ヨシの骨を
半分はお墓にいれようと
思いました。
骨に魂が宿っているとか
考えているわけではないのですが
分骨するとき⋯
この白い小さなかけらが、
かつて僕の息子であり⋯
サイゼリアでピザを食べたり
真面目な顔でドラえもんを描いたり
パパー、パパーと呼んでくれていたんだと思うと自然に涙が溢れてきました。
◇
天国とこの世の関係は
この世とメタバースとの関係のようなものであると常々思っているのですが、
天国で
「アレクサ、僕のお墓に誰かお参りしてくれてる時間と場所を見せて」
とか⋯この世をキーワードで検索してウオッチしてるヨシの笑顔を思い浮かべています。