息子ヨシの月命日である今日、
自宅に置いていた遺骨を分骨しました。

大きなほうは明日の朝、
亡くなった父親の分と一緒に
お墓に納骨します。

⋯思えば息子の葬式の時、

なぜ理不尽に我が子を
運命のようなものに
奪われてまで

おとなしく儀式を
こなさなければいけないのか

怒りを抑えるために
涙さえ出てこなかった。

葬儀屋の丁寧な説明にも
ご導師様の有難い言葉にも

儀礼や礼儀も知っているけれど
そんなことしてられるか!と
終始無礼であった気がします。

そして墓のなかに
まるで死んでしまったかのように⋯
ヨシの遺骨をいれてたまるかと。

親戚が親がまわりが
どう思おうが
知ったことじゃないと。

⋯けれども三年たった今、
父親の死を穏やかに
涙で見送ったら、

(父親の希望どおり)
息子ヨシの骨を
半分はお墓にいれようと
思いました。

骨に魂が宿っているとか
考えているわけではないのですが

分骨するとき⋯

この白い小さなかけらが、
かつて僕の息子であり⋯

サイゼリアでピザを食べたり
真面目な顔でドラえもんを描いたり

パパー、パパーと呼んでくれていたんだと思うと自然に涙が溢れてきました。



天国とこの世の関係は
この世とメタバースとの関係のようなものであると常々思っているのですが、

天国で
「アレクサ、僕のお墓に誰かお参りしてくれてる時間と場所を見せて」

とか⋯この世をキーワードで検索してウオッチしてるヨシの笑顔を思い浮かべています。