一旬驕話(え):岡本かの子『老妓抄』の一節:一旬片話(う)の補足
まったくの偶然から岡本かの子の小説をいくつか読みました。その中に職人さんを主人公にした小説があるのですが、『老妓抄』もその一つです(現代日本文学全集74 岡本かの子、林芙美子、宇野千代集(筑摩書房、昭和42年)所載)。「老妓」として登場するのは、幼くして座敷に出るようになり、才覚で色街の一角に店を構え、たいそうな繁盛をさせている女将さんです。そういう店では男手でなければ済まない仕事があって、柚木という器用な職人さんを雇います。老妓は柚木の気質がたいそう気に入ります。当該書の91ページに次のような一節があります。
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「柚木君の仕事はチャチだね。一週間と保(も)つた試はないぜ」彼女はこんな言葉を使うやうになった。
「そりゃさうさ、こんなつまらない仕事は。パッションが起こらないからねぇ」
「パッションて何だい」
「パッションかい。ははは、さうさなあ、君たちの社会の言葉でいふなら、うん、いろ気が起こらないといふことだ」
ふと、老妓は自分の生涯に憐みの心が起こった。パッションとやらが起こらずに、ほとんど生涯勤めて来た座敷の数々、相手の数々が思い泛べられた。
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老妓はこの後この柚木君に何にパッションが起こるかを聞いて、柚木君のしたいように万事を取り図る一部始終がこの小説の内容なのですが、私が申し上げたいのはその内容のアレコレではありません。
「さうさなあ……」
私はこのブログ「一旬片話」2023年12月20日の「一旬驕話(う):自衛隊への名簿提供反対街宣余話:リアリストって何ですか?」で小学生に「リアリストって何ですか」と聞かれてピッタリに答えを見つけることができなかった様子を報告しました。柚木君の「さうさなあ、君たちの社会の言葉でいふなら、うん、いろ気が起こらないといふことだ」を読んだ途端に、柚木君は何という洒落た職人さんだろうと思うと同時に、アレ、自分はリアリストの答えを見つけていない、ということに気付いたのです。
急いで考え付いたのは「さうさなあ、君たちの言葉でいふなら、うん、見た通り、聞いた通りといふところだ」とでもなるのでしょうか。
「見た通り、聞いた通り」は漱石のかの有名な「かあいそうだたぁ、ほれたってことよ」や岡本かの子の「いろ気が起こらないといふことだ」に比べると艶もなく説明に堕していて月とスッポンですが、3ヶ月前の一旬片話(う)の補足として申し上げる次第です。