一旬驕話(ゑ):ことわざ「天知る、地知る…」と「一日に一、十、百、千、万」

 

  岩波書店の「日本思想大系」が何冊か並んでいる棚に石井紫郎 校訂 同大系27「近世武家思想」(1974年)が立っていました。この本を開けて読んだ記憶はありません。記憶はいい加減ですから、「どんな本だったけ?」と手に取ってみました。赤穂浪士四十七士の記録や評価が三分の二を占めて、残りは江戸初・中期の武家の家訓でした。

 

  『貞丈家訓』   

  その中に『貞丈家訓』というタイトルの家訓があります。貞丈という名前を見まして、理由もなく、俳人か茶人の号かと思いました。書名が「近世武家」ではありますが、武人でも俳人・茶人はあり得ます。86ページの注によると伊勢貞丈という礼法を伝える伊勢家の人(1717 1764)なのだそうです。貞丈はサダタケと読み、号ではありませんでした。家訓というと「… 家」とファミリーネームが書かれるものと思っていましたが、このように(姓にではなく)名に「家訓」を付けることもあるのですね。「東照宮遺訓」もありますから、個人名での「家訓」があっても別にケシカランという筋合いはありませんが。

 

  文徳武徳:「文武両道」   

  この家訓は1837年に出版されています。サダタケ没後70年です。その間は書写で広まっていたのでしょうか。この本を編集したのは屋代弘賢という国文学者なのですが、その序文(86ページ)に、私の理解できた限りの現代文で書きますと、「政府が定めている通達にも文武忠孝を勧めている」とあります。序文にそのように書かれるくらいですから、『貞丈家訓』では文武と忠孝を中心に説明しています。そして「文武は文芸武芸のことではない。文徳武徳である」と解釈しています。高等学校には文芸部がありましたし、小説には「柳生武芸帳」がありますから、文芸武芸は分かります。文徳武徳とは初めて知りました。

 

  「徳」は知的活動や生活上の領域・分野に区分され得ない語感を持っています。また(文「徳」は勉強したから、武「徳」は練習したからと言って)努力したらその分が身に着く、勉強や練習をしなかったから持たないというようなものではありません。言わば心構えが軸となっています。自分の身から出たものではなく空中に漂っている「あるもの」を自分のものにしたときに、自分にというよりも、周囲の人に感じられます。芸は個人の領域での事象であり、(「商才がある」の「才」に同じく)言わば客観的に見て取れます。徳は社会の領域での、人間関係の中で現れる事象です。芸は勉強の結果として現れ、徳と賢さは洗練された人間関係に現れます。

 

  個人の能力よりも人間関係でのスムーズな活動が尊重される(た)時代に「芸」ではなく「徳」に重きが置かれる(た)のは理解できます。そして商才、文才、文芸、武芸は理解できますが、文徳は「そう言えばこんなモノかナ~」位しか分かりません。文が読めて書けて、解釈が真っ当で、人の見本となるような生活を送り、それを人に教えることも出来る、でしょうか。もっとも広辞苑第二版(昭和44年)によると「学問によって教化し、人を心服させる徳」とあり、白川静「字通」(平凡社、1996年)には「文治の徳。礼楽などをいう」とあります。貞丈さんは礼法を伝える伊勢家の人ですから、文徳の「文」は文才、文芸の「文」ではなく、「読み書きそろばん」に習熟することでもなく、古の教えに通暁して世の中を丸く収めることを意味していたのかと思います。

 

  「文徳」はこのように普通名詞としては使用された時期もあったのでしょうし、今でも私の知らない世界では通用しているのかもしれませんが、一般的には使用されません。武徳については小学館の「国語大辞典」(昭和56年)では「武事、武道の徳」とあり、鎌田正、米山寅太郎「大漢和語林」(大修館書店、平成4年)には「武道の徳。武道の威光。また、武人として守るべき道」とあります。このうち私に分かるのは「武人として守るべき道」だけです。ではありますが、これは「道」でして、文徳のような「世の中を丸く収める」ニュアンスが少なく、個人レベルでの事柄のニュアンスが濃い語感です。

 

  今では進学校が甲子園まで行くと「文武両道」ともてはやされます。もてはやしたり突き落としたりするのはジャーナリズム、世間の常ですから、それはそれでいいのですが、部活動・クラブ活動は教育の一環というモットーの下に個人の知的領域での学業と体育での集団的練習の成果を賞賛しています。「文武両道」には「治」や「道」の領域が占める割合はほとんどありません。

 

  現在は「治」や「道」の領域は極々個人の意識のレベルでしか存在していないのでそれはそれで世の中の流れと観れば納得できますが、「文徳武徳」という表現を目にしまして、オヤ? と思った報告です。

 

  慎独   

  『貞丈家訓』に「慎独(シンドク)の事」という一章があります(98ページ)。「人の見ていないところでも、人の聞いていないところでも、一人でいるときも慎みを忘れない」という意味だそうです。「悪いことは必ず現れるものだ。天知る、地知るというではないか。知られないということはない」とあります。そして「天知る、地知る」の注(同ページ)に「資治通鑑、漢記「天知る、地知る、我知る、子知る」とあります(子(し)は「あなた」の意)。私はこの注を見るまでは、このことわざを「天知る、地知る、人知る、我知る」と覚えていました。

 

  私は後漢書も資治通鑑も手にしたことはないので何で知ったのかは覚えていないのですが、天から地に、地から人に、人から自分自身と視点が狭められていくダイナミズムに感心していたのです。ものを喋ったり書いたりする時にはこのように焦点を絞っていくテクニークを使うものなんだナ~と参考にしていました。

 

  それが何と、私の記憶違いだったのです!  恥をかき、間違いを犯し、言ったこともしたことも、当ブログ子の場合には10日に一度驕(オゴ)り話を書いたことも忘れるのが人の一生なのではありますが、ことわざを間違って、それも長い間にわたって、覚えていて、加えてその間違ったことわざから自分ながらの教訓を引き出していたのです。この間違いは「天知る、地知る、人知らず、我知る」ではありました。

 

  男は一日に一、十、百、千、万    

  10年も前でしょうか、ある女性の方から「男は一日に一、十、百、千、万」と教えられました。「一」は庭にツッカケで出るレベルではなく街に行く服装で1回は外出するように、「十」は10回は笑うように、「百」は100字は書くように、「千」は1000字は読むように、「万」は一万歩は歩くように、と言うのです。何故「男」なのかは分かりませんが、私が男性だから「男」を強調したのかもしれません。

 

  毎日新聞2024527日の福岡版の投書に「私は今も「1日に10人と会い、100字書き、1000字読み、一万歩歩く」という約束を守っています」とありました。これを読んで「一日に一、十、百、千、万」と言うのはよく知られている処世術(法)であり、健康法なのだと初めて知りました。何故「処世術」かと言いますと、多くの人に会っていると世の中を丸く生きていくチャンスを確保できると思われるからです。

 

  私の一、十、百、千、万     

  知人が教えてくれた健康法と投書子の処世術は「一」と「十」が異なります。それはそれとしまして、私は「一日に一、十、百、千、万」は守っていません。せいぜいのところ

 

一:ソックスと靴を履いて出かけるのは3日、5日に1回、

十:10人に会うのは1ヶ月に1回位ほどで、新聞の川柳やYoutube でのペットの投稿を見て10回笑うことはあり、

百:日記を書くので、毎日これに近くは書いていて、

千:日本語でよければこれは読んでおり、

万:一万歩と言えば一時間ほどでしょうが、これは5日、10日に1回

 

 ではありますが、私は1日に

 

一:杯のコーヒーを飲み

十:曲の音楽を Youtube で聞き

百:字の日記を書き

千:字の日本語を読み

万:感の思いで不条理な世界をアチコチ眺めて

 

はいます。

 

…… と箱入りの「日本思想大系」を取り出した序にことわざを思い出した次第です。