一旬驕話(お)中野重治の鴎外の遺言論(下)  

 

  前口上   

  中野重治の鴎外の遺言論(上)は20231020日投稿の「一旬驕話(そ)」をご覧ください。

 

  鴎外の創作作法     

  「定本限定版 現代日本文学全集 55 平林初之輔、蔵原惟人、青野季吉、中野重治 集」(筑摩書房、昭和四二年)321ページ中野重治の「鴎外  その側面 抄」があり、そこに「遺言状のこと」が掲載されています。「遺言状のこと」では鴎外の創作方針を鴎外自身の言葉で引用しています。すなわち「わたくしの作品は概して、dionysisch でなくて apollonisch なのだ。わたくしはまだ作品を dionysisch にしようとして努力したことはない。わたくしの多少努力した事があるとすれば、それは観照的ならしめようとする努力のみ」です(331ページ)。中野重治の引用は鴎外の文章のままでして、鴎外は二つの単語をドイツ語で書いています。apollonisch は意識的、観照的な態度あり、dionysisch は忘意識的、激情的状態です。

 

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  補足しますと:中野重治は上記引用文を説明している節で石川淳に言及しています。この言及箇所が石川淳のどの作品からの引用なのか記載されておりません。石川淳が『森鴎外』を出版したのが1941(昭和16)年です。この鴎外遺言論発表したのが昭和19年となっていますから、石川淳の引用は『森鴎外』からかもしれません。

  ずいぶん昔に石川淳の『森鴎外』は読みまして、内容はすべて忘れてしまったのですが、一つの文章だけ覚えています。確かめようと思ってその本を探しましたが見つかりません。記憶している文章が無正確かもしれないので引用はいたしません。

 

  ・・・・・・と書きながらですが、高橋義考の森鴎外論漱石と鴎外を比較して論じていました。これは新書版だったように記憶します。この本の原稿は劇的な前史を持ってい、漱石と鴎外を比較評した一文の3点は記憶があるのですが、今はこの本が見つかりません。おぼろな記憶の三点、漱石と鴎外を比較評した一文は紹介したいのですが、再び「記憶している文章が無正確かもしれないので引用はいたしません」。

 

  中野評論では昭和23年発表の「鴎外位置づけのために」(上記339ページ)の冒頭で「高橋義考氏、森於莵氏と組んで」の「鴎外のことでラジオ放送」の原稿云々とあるので、「鴎外位置づけのために」の「高橋義考氏」はもしかしたら上記の高橋義考の鴎外論を反映しているのかもしれません。とは言いましても高橋義考『森鴎外』は1948(昭和23)年出版ですから、この著作をではなく他の鴎外論稿を踏まえているのかもしれません。

 

補足が長くなりました。

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  鴎外の最後の一歩 

  鴎外が終始意識的で観照的なストーリーを構築し、シーンを設定し、登場人物の振舞を描いたことは誰もが認めるでしょう。そして中野重治も鴎外のこの自己評価を寸分違いなく受け入れます。そのうえで「最後の遺言状は、賢い鴎外のすべての努力を裏切ってその愚においてdionysisch であった」(同前331ページ)と判断します。「賢い鴎外のすべての努力」と「その愚において」の「賢」「愚」は「誰が見ても賢いとしか言いようのない賢さ」「外から見て実に愚かなことに」の意の賢愚ではありません。20231020日の一旬驕話(そ):中野重治の鴎外の遺言論(上)記しましたように職業人としての権威に生きてきた「賢き鴎外」とその後ろに控えて細々と生き続けなければならなかった文学者としての「馬鹿なる鴎外」を対比して「賢」「愚」です

 

  中野重治は鴎外の創作方針を材料にしながら直前に待っている死を前にしている鴎外の遺言を「その愚においてdionysisch であった」と判断します。この判断の内容は「六十一の病鴎外は、彼のすべてのアポロンを捨てて却って「性急の解決」に急いだように見える」(同ページ)です。鴎外の遺言の意図せざる、すなわち遺言に向かう鴎外の無意識を中野重治はこのように解釈しているのです

 

 

  鴎外の絶望的なる突破口    

  鴎外の遺言に関してその無意識内の必要性意識に上らざる内実を中野重治は明らかにしました。中野重治はこの無意識必要性をただ婉曲に暗示しています。すなわち、鴎外は医者、軍人、官吏として経験しなければならなかった悲しさを辛抱することが出来たのは「ただ一つ文学があって復讐することを彼に許したから」(334ページ)でした。しかし「このことを鴎外は意識していなかった。ただこのことの力、その暗示は、彼の中に一生のあいだ続いてきた。この力は、それが一生つづいたということを、生涯の文字通りの最後にもう一度大きく事実としてあらわした」(同ページ)のです。この鴎外の遺言における「絶望的なる突破口」は大した効果があったとは思えない、というのが、評論はまだ続くのですが、中野重治の、無意識遺言解釈論とも言うべき鴎外遺言論の結論です。

 

  ニーチェにおけるアポロン的なものとディオニソス的なもの   

  中野重治が引用した鴎外の文の中に「アポロン的なものとディオニソス的なもの」が出てきました。中野重治の鴎外の遺言への無意識的解釈を読んで「アポロン的なもの」や「ディオニソス的なもの」で思い出したことがあったので補足します。 

 

 これはドイツの哲学者、とは言っても古典文献学という分野の学者さんでしたが、のニーチェ(18441900)が『悲劇の誕生』(1872年)という評論でギリシャ悲劇に関する分析に際して提出した概念です。前に述べましたようにアポロン的とは意識的、観照的な態度であり、ディオニソス的とは忘意識的(没意識性)、激情的な心理的、身体的状態です。ニーチェは両者がねじり合わさってギリシャ悲劇話生まれた、というのです。しかしニーチェによると、両概念は併存し続けるという訳ではなく、アポロン的感性の基底にはディオニソス的なるものが横たわっている、と位置付けます。

 

  ・・・・・・と書きながら、そう言えばジッドも似たことを書いていたナ~、と思い出しました。私はどなたかの訳で「狂気が語り、理性が綴る」と記憶していました。ジッドのどの作品に表れた文章なのかも覚えていません。ウエブでそれらしい表現を探してみましたら、「狂気より霊感を得て、理性により記されたもののみが美しい」いう句がありました。どなたかがこれを上記の様に訳されたのでしょうか。

https://eigomeigen.com/Andre_Gide.php#:~:text=Believe%20those%20who%20are%20seeking,%E8%A6%8B%E3%81%A4%E3%81%91%E3%81%9F%E8%80%85%E3%81%AF%E7%96%91%E3%81%88%E3%80%82&text=Sin%20is%20whatever%20obscures%20the,%E3%82%82%E3%81%AE%E3%81%99%E3%81%B9%E3%81%A6%E3%81%AE%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%A0%E3%80%82 

  意識では説明できない感性がなければ、言わば激情的なるものが欠けていては均整の取れた観照的なる美は生まれない、と言うのです。いわば、ギリシャ悲劇の二層性、ディオニソス的なる下部構造とアポロン的なる上部構造を解明したのです。これがニーチェ的「アポロン的なものとディオニソス的なもの」です。

 

  鴎外におけるアポロン的なものとディオニソス的なもの   

  中野重治における鴎外の「アポロン的なものとディオニソス的なもの」は上に見た通りです。鴎外は近づく死を知ってすべてのアポロンを捨てて、その遺言にディオニソス的なるものを託したのです。そこには最後の最後の時に鴎外の生涯にわたる二層性が現出しています。冷静なアポロン的な鴎外は性急の解決を急いでディオニソス的な生き方を遺言として残さざるを得なかったのです。

 

  少なくとも中野重治は鴎外の生涯をこのようにディオニソス的なものの上に構築されたアポロン的なものと解しているのです。

 

  ニーチェと鴎外におけるアポロン的なものとディオニソス的なもの   

  ニーチェがアポロン的なものとディオニソス的なものと言う名高い概念を提示した『悲劇の誕生』の第3節に生に対する説明しがたい明白なとは言え非にして酷な昔語りを報告しています。ディオニソスの従者である賢者シレノスは森の中を逃げ回った後についに捕らえられて、ミダス王に、人間にとって最も良きことにしてもっとも優れたことはは何であるか、と訊かれます。なかなか口を開かないのですが、いよいよ迫られてから gell な笑いを上げて「生まれなかったことだ。生きていかないことだ。無であることだ」と告げます。

 

  この gell は「キンキンした、甲高い」有様を表現しています。すなわちギリシアの神話では、賢者シレノスは「金切り声で笑いながら」人間の生のみじめさを告げるのです。 中野重治が鴎外遺言金切り声説を書いたのは昭和19年ですが、それまでに中野重治がニーチェの gell な真理開陳シーンを読んでいたのかどうかは分かりませんが(私は中野重治のニーチェ言及を知らないのでこのように申し上げますが、ドイツ文学に精通していた中野重治がこのよく知られたニーチェの一節を知らないはずはありません)、いずれにしても生の現実を見てきた人間の最後の最後に語られる耐え難き実情はキンキンした金切り声のような印象を与えるのでしょうか。紙背に徹し得る人の目には。

 

  金切り声のニーチェの最後の著作群    

  この節は「序でながら」ですが、ニーチェ最晩年の幾つかの著作は「精神崩壊期の著作」とまとめられることもあります。そこには「なぜ私は賢明であるのか」とか「(私のこの著作から)新しい世紀が始まる」などとあり、精神崩壊の感はありますが、世の中に対する「金切り声」訴えているの感もぬぐい切れません。芸術、文芸、思想の上で無視できないアポロン的なものとディオニソス的なものという名高い概念を30歳になる前に提示した、あの賢いニーチェが精神的な死を目の前にして金切り声で己が主張を繰り返すのです。

 

  副島辰巳の遺言  

  扨て、伊藤野枝虐殺――>松下竜一『ルイズ』――>副島辰巳の遺言――>鴎外の遺言――>中野重治の鴎外論――>ニーチェ――>ニーチェと鴎外の想わぬ類似性――>ニーチェの最晩年の著作の位置を見ましたが、このテーマの出発点は副島辰巳の「私は副島辰巳以外の何者でもない」という遺言でした。これを松下竜一は「一切の権威を認めず、個人の絶対的自由を希求し続けたアナキストに、いかにもふさわしい臨終の言葉であった」と評しています。それはいいのですが、副島辰巳の生涯について知らない私は副島辰巳の生き方や作品にある種の二層性がまとわりついていたのかどうか、この遺言がその二層性の基底からの「金切り声」であるのかどうかについては判断できません。もし「金切り声」であったのなら、この遺言を読んだ時に鴎外の遺言を思い出したのはまことにふさわしい連想であったのではあります。「金切り声」ではなかったとすれば……

 

  ……と座りの悪い終わり方ではありますが、他愛無いブログに免じてご了解ください。