一旬驕話(る):小泉八雲『蚊』 または起承転結

  

  柳家小三治の教え 

  一昨年亡くなった噺家の柳家小三治は寄席での「まくら」で知られているそうですが、その一部を活字化した『ま・く・ら』(講談社)という本があります。その続編『もひとつ ま・く・ら』(講談社、2001年)の123ページに

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  たとえばね、ぼくがここへ来て今日話したからって、ほんとに起承転結をつけて、うまい話をして、皆さんがたとえそれで感動したとします。感動したとしても、その話を聞いたためにガラッと先生方の一人一人が、なにか人生観が明日っから変わってしまうとか、歩き方から生き方まで変わってしまうってことがあるでしょうか(笑い)。

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とあります。

 

   この「まくら」は話す方が起承転結的な話で感動を与えても受け手の振舞や心掛けが変わるわけではない、と教えいます。読者が漢詩だろうと都都逸だろうと目にして、その起承転結の技に感動しても、その読書と感動がその読者の起承転結的作文・作詞技術に連動するわけではないのです。

 

   拙ブログの文書が起承転結になっていなくても小三治さんの言った通りでありますのでご勘弁ください、の言い訳にこの有名な小三治の「まくら」を持ち出す次第です。

 

   小泉八雲『蚊』  

   当ブログの前期シリーズ「一旬片話(め)」(2022年10月10日公開)で<ちくま文学の森 12> 「動物たちの物語」(筑摩書房、1989年)所載の『尾崎一雄著『虫のいろいろ』を紹介しました。  

 

   この本をパラパラとめくっていましたら小泉八雲著、平井呈一訳『蚊』という小説が掲載されていました(187ページ以下)。本文わずか5ページの小品です。

 

   見事な起承転結   

   この小説の構成は起承転結でして、それも「見事な」起承転結と思いました。

 

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   自分の軀(からだ)を防衛するために、わたくしは今ハワード博士の「蚊」という書物を読んでいる。わたくしは蚊に攻(せ)められているのである。

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と始まります。文意も置かれた状況もよく分かります。明快です。この後に蚊の種類や蚊の発生場所について説明しています。それを承けて

 

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   ハワード博士の書物には、家の近所の蚊をいなくするには、蚊の発生する溜り水の中へ少量の石油もしくはケロシン油を注げばいいと書いてある。

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と続きます。約2ページにわたって蚊の発生を防ぐ方策が述べられます。この説明では特に近くのお寺のお墓の前においてある水溜での蚊の発生に話題を集中させています。これはこれで蚊に悩まされている人には有益な情報です。そして

 

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   ここにおいて私は大いに怪(あや)しむ。というのは(……)

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と視点を転じます。お墓の溜め水での蚊の発生防御策へ疑問を付します。そして最後の1ページでは

 

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   そればかりではない。わたくしはいずれ自分があの世へ行くと時が来たら、どこか古風なお寺の墓地へ埋めてもらいたいと思っている。(・・・・・・)ひょっとして自分もまたあの食血餓鬼(じきけつがき)の境涯に生まれ変わる運命をもった人間かもしれないなどと、ついそんなことを考えると、わたくしは弱よわしい(ママ)、あの刺すような自分の歌をうたいながら、自分の知っている人たちを噛(か)みにそっとそこから静かに出て行かれるように、あの竹の花立か水溜の中にもう一度生まれ出る機会を持ちたいものだと、そんなことを考えるのである。

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と終結します。

 

   変転の様子と『蚊』の能舞台化  

   蚊から身を守りたいという「起」に見られた願望は「結」においては影も形もありません。「結」で描写されているのは、よろばいた身になっても知人の近くにいたいという蚊の鳴き声さながらにか細い願望です。生身の即物的な望みが「承」「転」を経て実現しようもない憧れの世界に変わっています。動的な生の感性から滅後の静の世界への変転が短い描写の中で無理なく進められています。「見事な」起承転結と言えます。

 

   最後の部分を読みながら、一瞬ですが「幽玄」という単語が頭をかすめました。何が幽玄なの? と聞かれても答えようはないのですが、能の舞台で蚊のワキがかつての友人のシテの身から遠のいていく段を思い浮かべたのです。この小説では蚊が近づいていく憧れが書かれているのですが、能では蚊と変身した魂が儚く消えるストーリーは如何でしょうか。

 

   小泉八雲は説話や伝説に興味を持っていたので(説話につきものの)「あの世」的な雰囲気の作品を残した(と言うか、ヨーロッパ化した)のかと思っていました。それだけではなく、もともとこの『蚊』に見られるような「変容してのあの世からのこの世への帰還」的雰囲気へ惹かれていたのでしょうか。

 

   「蚊」ではありますが、昨今は・・・・・・  

   私が育った家の周囲にヤブがあり夏の夕方には蚊柱が出来ていました。すべての蚊が人間の肌に寄ってきて血を吸う訳ではないので、蚊柱の蚊にワッと襲われたことはありませんが、かなりの数の蚊が近寄っては来るので、蚊柱を見つけたら手近くの葉の付いた枝などで蚊柱を散らしていました。散らすのは簡単なのですが、散らされた蚊は直ぐ集まって来てまた柱になります。とは言え蚊柱の継続している時間は数分ではなかったかと、今は、思います。

 

   それに比して近頃は家の中でも屋外でも蚊に刺されることがほとんどありません。刺されないばかりではなく、蚊の羽音を耳にするのも稀です。蚊が絶滅しかかっているのではないと思うくらいです。蚊の出番は夏ですが、一定の暑さを越えると脆くて、昨今の夏の暑さで蚊も活動が弱くなっていると言われています。寒い冬を生き抜いている蚊ですから夏が暑くなっても絶滅することはないでしょうが、減少すれば蚊の姿を借りてかつての知人に近づくチャンスは激減します。そうなると小泉八雲の夢は一段と叶えがたくなります。