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昨日は同時期に育休を取っている同期の友達と会った。

そこで 色んな同期の近況を教えてもらった。

ストレートで勤めていれば今年で12年目。そんな12年目の同期には主任の話やもっと上の管理職への

話も来ているらしい。

そんな年数になるのかという驚愕と溝をあけられたことへの悔しさと焦り。

でも そりゃそうだよなと冷静な自分もいて 自分で自分にほっとした。


誰にも負けたくない 良い評価がほしい そう思いながら必死で働いてきた。

極度の負けず嫌いが私。


でも 育児を経て そんな価値観が通用しない世界がある事を知る。


いつもよい評価をされる母親になるのは無理。

子どもの成長は 子どものペースなので こちらがどんなに頑張っても思い通りにはいかない。

頑張る事は無駄ではないが 計画通りにはいかないのだ。

がっくりさせられることもあれば びっくりするくらいの成長を見せてくれ大喜びという事もある。

だから 評価を得るために頑張るのではなく いつか役に立つだろうと小さく期待して

期待が裏切られても駄目もとで 自分の思う子育てをしていくしかない。

そもそも 子育ての成功が何かなんてわからない。

子どもが高学歴を得たから成功とか 大金持ちになったから成功とか ゴールはない。

目指すものも分からない。

ただ 幸せになってほしいと あいまいな目標のもと 目の前の子どもに今必要なしつけをしていくしかない。

行きのバスでは静かに座っていて 良い子ねえなんて言われても

帰りのバスではぐずってぐずって 白い目で見られるなんてことは日常茶飯事で

じゃあ それはしつけが悪いからかというと もちろんそれもあるだろうが 昼寝の時間だったり

ご飯の時間だったりということもあり 乳幼児の場合は一概にしつけだけとも限らないと思うのだ。

きちんとしつけをするのは 評価を得るためではなく

我が子のため。しつけたのに駄目な時もある。

でも それが当たり前。機械ではないから。

あいまいだと書いたが もっとも大切な「幸せになってほしい」という気持ちで

気長に辛抱強く 冷静に愛情をかけていくことが大事だなと思う。

他人の目を気にするのではなく、あくまで私と我が子。良い時も悪い時も我が子と向き合う事が大事だと思う。


仕事を再開したら 一番大事にしなければならないのは家庭だなと休みの早いうちから心づもりをしていた。

我が家の私に代わりはいない。職場には代わりがいる。

だから 再開してもどちらにも迷惑をかけないために 不必要なものは削除しなければならない。

それが 私の出世だろうと。

同期に先を越され 後輩に抜かれ 後輩の下につく事があっても

ただこつこつ 大事なところのみ手を抜かずにやろうと 覚悟を決めていた。

そんな考えをもっていたからこそ 昨日の話も わりと冷静に聞けたのかもしれない。

そして そういう覚悟をしてでも戻りたいと思う魅力が 私の仕事にはある。


我が子に豊な愛情を注ぎながら 仕事をする そのためにはどうしたらいいか。

もう少しある休みの間 じっくり考えよう。


最近 娘っ子が言葉を真似するようになってきた。

目を指さし「めぇ」とか。本当に指で眼球を押そうとするのでまいる・・・・。

私が言った言葉も言えそうだなあと思ったら 言ってみようとする。

「ぶー」とか「ぽっぽ」とか「めっめよ!」とか。

その時の口を できるだけ似せようとゆっくり 慎重に発音したい形にもっていく様がおもしろい。

タダの擬音も うやうやしく おごそかに ゆっくり発音するので どうにも笑ってしまう。

「めっめよ!!」と怒っているのに笑ってしまってどうにもしめしがつかなくなるのだが。

こんな時期はすぐに過ぎてしまうのだから 大事に見ておきたいなと思う。

ビデオに撮ろうにも そんなものを取り出した日には そっちに興味がそれて話さないから、

親の記憶に残すしかない。

私の幼いころは ビデオなんか無かったけど、母親はよく覚えていて 楽しそうに懐かしそうに

想い出話しをしてくれる。

大事にされてきたことがよくわかり嬉しい。

私も娘っ子がいつか大きくなり 子どもができた時に あなたはこうだったと言えるように

しっかり覚えておきたいと思う。

相変わらず 自然に出る言葉は宇宙語で ら行や濁音のオンパレードで宇宙人と

手探りでコミュニケーションをとっている状態だが

そろそろ 日本語に 足の指くらい突っ込み始めたみたい。

会話が成り立つようになるのはいつごろだろう。

早く言葉で気持ちを伝えて欲しい。

そうなると なったで うるさいなあとかおもうかもしれないけれど。私の娘だからなあ…

娘っ子にじんましんが出た。原因は不明。初めてのものを食べさせた覚えも無し。

風邪で体力が弱ってたからかなと考える。

顔もからだも赤くなり 日増しに赤の面積が増えていき、着替えさせるたびに泣けた。

本人はかゆみもひき 痛みも無いからけろっとしていて 泣いてる私をきょとんと見ていて だから余計に悲しかった。

今日になりようやく赤みがひき ちょっと安心。

娘っ子の「痛み」はじぶんのそれより「痛い」のだとつくづく思う。

もう 理屈じゃなくそうなってしまっているのだと思う。

なんかの本に「子どもは母親の肉がちぎれて出てきた」って書いてあったけど、実感する。

自分の一部みたいな感じ。


いつかはきちんと手から離さなくてはならないんだけれど、幼い今はそれくらいでいいのかもしれない。

四六時中一緒で あたりまえだと分かっていても、それを息苦しく感じることも多かったから

今回のことで、「娘はまだまだ私の一部なんですよ。」「四六時中一緒なのは幸せなんですよ。」

と 再認識。

もし仕事をしていたら 顔中真っ赤になった娘っ子を誰かに預けないといけなかったわけで

それは それで かなり苦しかったように思う。


完治したら また忘れて魔の思考ループにはまるんだろうけど…

現状の幸せをきちんとかみしめなければ。