チャートにラインを引いていてトレードをしていると、ドンピシャで反転することが多いが、一方で目線はあっているのに、ほんの少しラインを出たために目線を変えてしまい、余計なトレードをしたり、往復ビンタを食らうことがある。おそらくこれを経験するのは、自分も含め「融通の利かない人」に多いのではないだろうか。特に日本人には几帳面で杓子定規なところが多分にある。類語辞典シソーラスで杓子定規の類語を調べると、四角四面の(やり方) ・ 融通のきかない ・ 硬直的な ・ 不寛容な ・ 冷たい ・ 人間味のない ・ 血の通わない ・ 役所仕事 ・ (規則に)忠実 ・ わからず屋コチコチの ・ ごりごりの ・ 厳しい ・ 厳格な ・ くそまじめ ・ 堅苦しい ・ 石部金吉 ・ 決まりきった ・ ステレオタイプの(人間)があった。どれもいい言葉ではないが、逆の人が全ていいのかと言えばそれも違っていて、「いい加減」「テキトウな人」「ルーズ」のように悪い面もある。物事はすべて陰陽が含まれていてうまくできているものだと思う。
先日、パターンを認識する能力を「あぶり出し」に例えたが、もっと的確に表現しているブログを見つけた。→ http://day.trader.jp/style/chartwatching うまい表現をするものである。
この方のブログの中に《損切を受け入れてはいけない》という記事があったが、名著「ゾーン」とは対照的な主張である。この方の真意はブログだけではわからないが、おそらく「損切が起こらないようなポイントでエントリーしなさい。それができるようになるまで修行しなさい。」ということだろうか。
先のブログと重複するが、漢字のパターン認識を別の角度から考えてみたい。
①曖昧さの認識
「持」という漢字を見た時、筆跡の違う漢字であっても、多少崩してあっても、また各線が多少ずれていようが、はみ出していようが、それを「持」と認識することができる。これは我々が何度も「持」という漢字を見て脳にイメージとして認識しているからだ。
②徐々に形作られる漢字を見た時の認識
何人かの人に、「てへん」を見せて右側の《つくり》をイメージさせたとき、各人各様のイメージを持ち、様々な漢字が出てくる。打払扱技折拆択投抜批押拒招拝抵抗拓・・・
では、てへんの後につくりの一部を見せたらどうなるか。つくりに土を認識した時点で3つに絞られ、
A
さらに土の下に一を入れると2つに絞られる。
B
そして、一の真ん中に縦棒を一本入れると、「桂」がほぼ間違いないと想定される。
C
これをチャートパターン認識に当てはめると、
①は最初に言ったことで、似たようなパターンが毎日のようにチャートに現れる。しかし、杓子定規になっていたら「ラインから少しはみ出したから、それはこのパターンとは違う」というようになってしまい、いつまでたってもパターン認識はできないし、目線をころころ変えてしまうことになる。ただ、難しいところは、どこまでを許容範囲にするかという基準であろう。曖昧さを優先させれば、損切りポイントをずらしかねないので、「ここを越えたら損切る」というポイントをあらかじめ決めておかなければならない。
②はパターンが出来上がっていく過程での認識になる。「へん」は大きな流れ(長期時間足)の認識、「つくり」は部分的な(中短期時間足)パターン認識になる。どの時点でエントリーするかは、それそれのトレーダーによって異なる。「へん」だけでエントリー方向を決め、それだけを狙う人もいるだろうし、Aで確率が1/3になった時点で仕掛ける人もいるだろう。より慎重を期す人はCまで待って「桂」を狙う。
期待値はA>B>Cとなり、確率は概ねC>B>Aとなるが、そうでないことも多い。また、Aでエントリーできたとしても利を伸ばせなければ利大は望めないのもトレードを難しくさせる要因である。
Cの時点で「持」にベットしてから最後の縦棒が右に動いてくれと期待し続けて「桂」が完成するまで損切りしないでいれば損失は大きくなる。さらに、「桂」が出来上がっているのに、「いや、ここから持に変わっていくはずだ」と思って保有し続ければ、損失はさらに膨らむことが多い。
心構えとしては「欲」を前面に出さず、パターン認識ができるまでじっくり待ち、チャートを読むことを楽しむことが大切なのではないだろうか。人間の心理として、パターンの確信はないが、こう動くことも多いし、取りこぼしたら嫌だからと、エントリーしてしまう傾向があると思える。だが、そうなったらそうなったでいいではないか、損失を出すわけでもないし。自分では認識が曖昧だったから(まだ実力が備わっていないのだから)エントリーしなかっただけで、それが認識できるためにはどうとらえればよかったかを過去チャートも含めて確認し自分のパターンとして加えていく。実に地道な作業だが、これをとにかく続けていくしかないと思う。まさに、積小為大だ。言うは易く行いは難しだが、好きで楽しんでやっていれば辛くはない。
