『神の選択』 第二章 二 実体界・時間  その3 | 真実を求めて

真実を求めて

人は何故、この世に生を受け、一体何の為に存在しているのでしょうか。

その意味を、探求していきたいと考えています。

 
 三次元の実体である四次元とは、魂の世界なのです。
 まだ納得できないという方は、どうか瞑想して無我の境地に入ってみてください。心得のない方には困難なことだと思います。無心になろうという思いとは別に、魂が時間軸の過去や未来に勝手に移動してしまうからです。それが雑念です。瞑想法の真髄を極めたければ、思いと魂を一つにしなければなりません。今をつかみ、感じ取ることです。

『神の選択』より抜粋


 三次元とは、今という瞬間が連続して起きている世界であり、それとは知らず四次元にある私達自身の魂が過去の事象をはっきりと記憶として認識しているが故、時間が三次元に存在していると感じてしまうことは先述しました。
 未来の事象・・・目標や予測、願望等を意識できることもまた同様、魂の働きによるものです。

 無我の境地を目指して、修行者は滝行や座禅、瞑想などを行いますが、行中、周囲に起きる事象をいちいち感じてしまったり、物事をあれこれ考えてしまうのは雑念にほかなりません。

 修行における「無」とは、精神を極限まで集中させ、なおかつ心と頭はすっきりと穏やかで、明瞭でありながらも事物を考えることのまったくない状態であり、眠くてぼ~~っとしているのとは異なります。

 

 われわれは、三次元の存在としては今を感じ取ることはできません。なぜなら、今と思い込んでいる今は、実は過去の事象だからです。
  - 中略 -  真の今を捉えられるのは、実体界とつながっている自分の魂だけなのです。思いと魂が一致した瞬間、思いは消え、あなたは魂だけの存在となり、真の今を感じ取り、今という全次元の通路を発見し、飛び込み、実体界を実感するに至るのです。この体験をされたなら、私が述べていることが真実であると気づかれることでしょう。

『神の選択』より抜粋


 私はまだ達することは出来ないでおりますが、無心無我になり「真の今」を掴むと、そこではすべてが止まっている世界が見える、と著者は語っておられました。


 かつて「ボールが止まって見える」と言った川上哲治も、その時、真の今を捉えていたのかもしれません。

 「決して打ちに行かない。来るまで待つ。来たら、ただ一点でとらえる。点でとらえるから止まって見える。それは錯覚かもしれない。しかし、その錯覚が私の目を開いてくれた。」


 イチロー選手は大リーグで打ちまくって大活躍していましたが、日本代表として挑んだ2009年のワールドベースボールクラシックでは極度のスランプに陥ってしまいました。

「大きな期待と責任を担い、結果を出さなければと気がはやり、今に集中することを忘れ、心と魂がずれてしまっていたのです。」

と下塚さんは説明してくれましたが、チームメイトの活躍もあり最終戦に駒を進め、少しずつ、ほんの少しずつ調子を上げてきたイチロー選手は延長10回、ついに決勝のタイムリーを放ち、チームを優勝に導きました。

 イチロー選手の過去生について下塚さんがブログで触れられている記事もありますので(雑感・・・100)、もし興味がおありでしたらそちらも御覧下さい。


 鎮魂法においては玉の輪郭を常に意識し、玉を確立させることが大切だと常々下塚さんは話してくれています

 それは、集中力を途切らせることなく精神を極限まで高めるのに有効であり、玉を宇宙大にまで膨らませるという目的に達した時、目的が消え、無念無想となり「真の今」を捉える為の手段なのです。



 私もいつかは真の今を捉えられる日を信じて鎮魂法に勤しみ、また、人様のお役に立てる様な人間になりたいとも願い、小さなことでも利他愛を心掛けて日々生活しております。


 道は、まだまだ遠そうですが・・・