1945年、第二次世界大戦中の日本。


アメリカ軍に押されに押され、いよいよ本土決戦まで覚悟しなければならない。


日本政府はいよいよ日本国民総玉砕ということを本格的に考え始めます。




しかし。




可能な限り、本土決戦は避けたい。

そのために少しでも時間稼ぎをしたい。



そうして選ばれた舞台は沖縄です。



同年3月、沖縄にアメリカ軍が上陸。


激しい攻撃が始まります。


日本人・アメリカ人、軍人・民間人問わず多くの犠牲がありました。



アメリカ兵の戦死者は約12,500人
本土からの日本兵戦死者は約66,000人。
沖縄出身の軍人の死者は28,000人。
そして沖縄の民間人の犠牲者は94,000人。




今日こうして当ブログを訪れて頂いた皆様。


頭に3人、身近な人を思い浮かべてください💡

あなたも含めて4人。





この沖縄開戦で沖縄県民の4人に1人が亡くなりました。


申し訳ありませんが、先ほど頭に浮かべて頂いたあなたを含めた4人のうち1人は確実に亡くなるということです。


中には自分1人だけが生き延びたという人もいたでしょう。



6月23日まで地上戦は続きます。


そのたった2ヶ月後には原爆の投下があり、戦争は終わるのです。


もっと早く政府が決断をしていれば…と悔やまれます。




3月頃はさとうきびの収穫時期。

さとうきびは1年半かけて背が高く成長します。


当時の沖縄の方々からは見慣れた景色、その時期の風物詩というものだったでしょうが、日本人がアメリカ兵から身を隠すためにも使われたかもしれません。



森山良子さんが歌うこの「さとうきび畑」。

※森山直太朗のお母さん


楽曲自体は1964年に寺島尚彦という方が作詞作曲しております。


明石家さんまさんが主演の戦争ドラマの主題歌となってましたが、あの曲中の静けさが何とも言えません。




目に浮かぶのは歌詞にもある通り、言葉も何も無くただ風に吹かれている広大な緑のさとうきび畑。



しかしその背景には沖縄のいろんな歴史が映ります。


沖縄の平和に対する楽曲を聴くたびに「正しい歴史を知る」ということの大事さを感じます。

そしてまた歴史を知るほどこうした楽曲の良さが理解できます♫



来年は終戦から80年。


この歌が森山良子さんとドラマによってピックアップされてからもまた20年以上が経過しています。



この慰霊の日は今も沖縄で大きな催しなんだなとニュースを見て感心します。

忘れてはいけない大きな出来事として沖縄の方々が一丸となって後世に伝えていこうとしているんですね。



若い人になるほど「堅苦しい」とか「つまらない」と思うかもしれません。


ですが実際にあった出来事です。

時代が違えば自分もその1人になっていたかもしれない。


平和を願いながらこういう機会に楽曲を聴いて頂ければ幸いです🍀


ではまた(^^)







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