抗がん剤治療の副作用の一つである脱毛の症状は通常、投与から1ヶ月いないに出てくると看護師さんから聞いた。

 そろそろかもね、なんて話していたのが前の日。そんな会話を思い出しながら髪の毛を触ってみると、髪の毛が抜けた。枕元を見るとまだ何本が髪の毛があった。

 あっさりとしていて、同時にショックだった。こういうテレビで見たような症状が出るたびに、「がん患者」って自覚が嫌でも沸いてくる。

 夕方に来た母にも言うと、私にも抜かせて!と髪の毛を抜いてくる。

「やめてよ!これから失われゆく髪の毛なんだから!」

母は笑いながら私の髪の毛を数本抜いてはゴミ箱に捨てた。

「あれだね、ママが来てるのに携帯とかいじってたら抜くわ」

「いや、やめて・・・」

 陽気に笑う母を見てまた少し元気が出た。

 まだ完全に抜けたわけじゃない。もう少しこの髪の毛のある自分を味わおうと思った。

 

 入院から約1ヶ月。化学療法がワンクール終わり、その頃には面会制限などの逆隔離も解除されていた。

 髪は大分抜けてきているので帽子を常に被っていた。

 そしてワンクール終わったと同時に主治医から血液検査に問題がなかったため、嬉しいことに初めての外泊許可が出た。

 すぐさま父に連絡をし、父は仕事で少し遠いとこにいたが、そのことを聞いてすぐに迎えに来てくれた。

 1ヶ月振りの我が家に私は心が躍っていた。

 父の車で家に向かう途中、音楽を流した。その歌を歌おうとしたが、うまく声も音も出ない。1ヶ月もの間、声を潜めたり、あまり歌わなかったり話すことがなかったので、歌が下手になっていた。歌うのが好きだった私は少しさみしい気持ちになったが、せっかくなので無理に声を出して車の中で存分に歌いながら帰路についた。

 家に着くと荷物を自分の部屋に置きに行った。

 自分の部屋は入院したその日のままだった。散らばった教科書や漫画、ティッシュの箱、ゴミ箱の位置。変に思うかもしれないが、部屋を懐かしく感じると同時に、部屋が帰りを待っていてくれたような気がした。

 病気になる前の私が暮らしていた部屋をみて、涙があふれてきた。ああ、帰ってきたんだなって。そう思うと涙が止まらない。

ボロボロボロボロと声を上げて私は泣いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 妹のドナーが適合しないとわかってから2日後。

 化学療法により白血球がかなり下がるため、感染症のリスクが上がる。そのリスクを減らすために『逆隔離』といって私の部屋に大きな空気清浄機を設置する。菌にできる限り触れにようにするため食事制限もさらに厳しくなる。そして歯ブラシやコップは使用後、毎回消毒液に浸したり、ペットボトルは口をつけてから2時間以内に飲みきるか、ペットボトルから紙コップに移して飲むようにしたり、そうした徹底的な除菌体制に変わる。さらには家族の面接も2時間までと制限されてしまった。

 その面倒さと親と話せないつらさが数日続くらしかった。

 

 逆隔離になってからも化学療法は定期的に続くため、吐き気が常につきまとう。

 初めて吐いたときは少量だったが、ついに吐いてしまったかという気持ちがあった。初めて吐いてから数日はまた強い吐き気に襲われる日々だった。そのときは病気のことを考えるよりも、どうやってこの吐き気を乗り越えるかばかり考えていた。とりあえずは寝ることで吐き気を感じられずにいられるので、親がいない時間は常に眠って過ごした。

 

 転機が訪れたのはドナーの不適合の知らせを受けてから数日経った頃だった。

 8月9日、その日は珍しく体調がよかった。

 両親が主治医から何か説明を受けたらしく、それを終えたあとお見舞いに来た。

「ドナー、適合したって!」

 母が嬉しそうに開口一番そう言ったのだが、何を言っているかわからなかった。

「妹のドナー、適合してたって!」

と、そう言うのだ。

「マジで!!!」

 私は跳びはねて喜んび、母と二人で抱き合った。

 

 詳しく話を聞くと、父の血液を調べたところ妹と一部は一致するはず(親子なので)なのに一致しないため、一瞬母の浮気が疑われたが、そんなことはないということで調べてみると、ドナー検査する際にほかの患者の血液が混ざっていたらしいのだ。それによりドナー不適合となってしまったらしく、そのことが発覚したので妹の血液を再検査にかけると見事適合していたというのだ。

 その話を聞いて再び喜んだ。母とはよかったよかったと言い合いながら、妹の根拠のない自信は合っていたね、なんていいながら。

 妹がドナー適合者になったことで大枠の治療方針が決まった。

 まずは妹から細胞を採るために、白血球をあげる注射を打ち、必要な分採っても妹に健康に影響がないくらいにまで増やす。そして大腿部から太い管を入れてその細胞を採るという。薬を投与したり管を入れるので感選手を含めたリスクなども当然ある。管を入れるとき麻酔はするがずっと麻酔が続くわけではないので、当然切れれば痛い。そんな説明をされたが妹は「お兄ちゃんのためなら」と快く受け入れてくれたのだ。

 両親とも「感謝だね」と言いながら私たちは喜んだ。

 

 

 

 

 

 

 8月3日。入院してから14日が経った。

 いつもよりも遅い夕方に父がお見舞いに来た。

 個室に移動していた私の部屋には主治医の先生が居て、ちょうど父と入れ違いになった。

「お父さんにもお伝えください」

 主治医が私に告げる。

 父は先生に軽く挨拶をした後、どうしたのかときょとんとした顔をしていた。そんな父に告げるのが心苦しかった。

「・・・・・・妹のドナー、適合しなかったって…」

 父さんの顔が曇っていくのが分かった。

 ただ、すぐに「次は俺だから、大丈夫!」と笑顔を飛ばしてくれる、心強い父。

「でも煙草とビール飲んでるから心配だな…」と笑いながら。そんな父の話に少し胸が軽くなった。

 

 パートが終わり夜に来た母も残念そうな顔をしていた。

 私は母が泣いたら困ると「大丈夫」だといった。

「どうなるんだろうね」

とも。

 この後どうなるかもわからないのに何が大丈夫なのだろうと思った。

 次は父を調べ、その次は全国からドナー適合者を見つけるか、型の近いものを見つけるか、臍帯血バンクから見つけるか。でもドナーの適合が妹と会わずほかの人になれば移植後の副作用のリスクが高まる。どうすればいいのか私には、まったくわからなかった。

 一瞬で潰えた希望は簡単にも私の心をへし折る。

 この息苦しさが、絶望によるものなのか治療や病気によるものなのか、見当が付かないし、それ以前に息苦しさなど、どうでもよかった。