はつゆめ | 坂の上も雲

はつゆめ

ビル・ヴィオラの「はつゆめ」見てきました。
http://www.mori.art.museum/contents/billviola/index.html


こないだ、「豪邸以外排除条例」(苦笑)
みたいなのが作られた某市出身ではありますが、
教養のレベルが低く、芸術的な素養もない
僕が述べられる感想なんて薄っぺらいものかもしれない。

それでもあえていうなら、
「ゆめ」を見た感じ。
「夢」じゃなくて「ゆめ」。
醒める方ね。

何度まばたきをしても、
大きくは変わらない風景の連続の中で、
それでも少しずつ何かが変化し、発生していく。

かとおもえば、
人が何を考え、何を認識しているか
あざわらうかのように、
突然かわってしまう周辺の環境。


「ゆめ」ってそんなものじゃないかなあ?
学術的な話ではまったくなく、
僕自身がみる「ゆめ」はなんだかヴィオラの描く作品に近いものを感じる。

僕が見る
「ゆめ」を構成する一つ一つのエピソードは
意外と予測可能性が高いものである気がする。

ああ、こういう展開になるんだろうなあ
となんだか「ゆめ」を見ながらも
どこか予測している。(これって異常?)

そして、
おそらく現実の時間では
5分だったり15分だったり
そういうきわめて短い時間のなかで
予測可能な状況が刻一刻と展開していく。

それはゆっくりゆっくり進み、
結末が見えそうになると
突然別のシーンへと切り替わる。

それが現実世界なのか別のエピソードなのかは
自分が現実の時間として「寝ている」時間という
予測不可能なものによって決定される。


僕が「ゆめ」と表現したものが
皆に共通するものかはよくわからないけど
なんだかこの展示を見て
「ゆめ」を醒めた状態で見せてくれたヴィオラ
という人物に感謝したくなった。

そして、ホントにうとうとしてしまった(苦笑)
いや、寝てないけど。


話はずいぶん変わるが、
まあそんな正直意味不明ながらも
楽しめた展示なわけですが
同時に日本人、特に年配者の醜さを今日は感じた。

作品を見る。
1分の沈黙に我慢できず、
連れと顔を見合わせる。
「もういいよね」と目を見合わせて、
次の展示へとそそくさと急ぐ。

理解できないものを「理解できないもの」だと認識するのみでそれを理解しようともせずに、そう認識したことをお互いに確認するだけで去っていく彼らは何にお金を払っているのか。

六本木ヒルズにきたことになのか。
美術館に訪れるという機会にか。
ビル・ヴィオラを見たという話のネタになのか。


「どうせ近頃の若いやつは・・」
というフレーズにしても「理解できないもの」
だと認識したに過ぎないのではないか。

自分自身にもあるなにか醜悪な部分を彼らに示された気がして
なんだか嫌になった。