僕に、老いた人の言葉は響かない。


もし、君が自分で自分を、だめだと思っても、私はそうは思わない。
あなたが自分で自分を見捨ててしまっても、私は見捨てない。


僕の生命を一瞬で変えることができるのは、
35年前から、いまでも彼の人だけだ。

 

「士は己を知る者のために死す」

もう二度とあらわれることはないだろう。
仏法に偶然はない。僕にとって唯一無二の人。



3ヵ月ぶりの本部幹部会。

世界と若さが溢れていた。
いつまでも日本の老人が中心ではいけない。


日本語訳の文章ではなかなか伝わらないけれど、
彼女の声の力は群を抜いていた。
 

 

 

 

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トーゴ女子部長を拝命し、
池田先生の心を伝え抜いていこうと決意しています。
アフリカの可能性をどこまでも信じ、
励まし続けてくださった師匠への報恩を胸に進みます。
先生! 私たちは、師の誓いをわが誓いとして、
必ずや「アフリカの世紀」を実現してまいります!

トーゴ ババ女子部長
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彼の人の誓いとは。




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■ 青年会長の誕生

1960年(昭和35年)5月3日の午前10時半過ぎ。池田先生が車から降り立った。
場所は東京・両国の日大講堂(当時)。

黒のモーニングは戸田城聖先生の形見である。
 
第3代会長就任式は正午に開会した。音楽隊による学会歌の演奏が轟く中、
池田先生が入場。途中、先生は歩みを止め、

前方に高く掲げられた戸田先生の遺影を見上げた。
 
壇上に立った池田先生は、力強く第一声を放った。
 
「若輩ではございますが、本日より、戸田門下生を代表して、
化儀の広宣流布を目指し、一歩前進への指揮を執らせていただきます!」
 
参加者は、場内外で2万余人。雷鳴のような拍手が包む。
全同志が待ちに待った、32歳の青年会長の誕生であった。
 
席上、池田先生は、戸田先生の遺言である300万世帯を、
4年後の七回忌までに成し遂げようと呼びかけた。
 
これは、「第五の鐘」の具体的な目標となった。


■「七つの鐘」構想

7年ごとに広布前進のリズムを刻む「七つの鐘」

――池田先生がこの構想を発表したのは、
戸田先生の逝去から1カ月後の1958年(昭和33年)5月3日。

当時、一部マスコミは「壊滅寸前の創価学会」などと書き立てていた。
 
そうした中、悲しみに沈む同志にどうやって希望を送ればいいのか。
池田先生はただ一人、思索を深めていた。
 
当時の日記には、こう記されている。
 
「ひとり二十年後の学会を、考えゆく。心労あり。苦衷あり」(4月30日)

そして、5月3日の「七つの鐘」構想の発表となる。
 
これは、戸田先生が生前、「7年を一つの区切りとして広宣流布の鐘を打ち、

『七つの鐘』を打ち鳴らそう!」
と語っていたことから、池田先生が着想したものであった。
 
「第一の鐘」は、30年(同5年)の学会創立から創価教育学会が正式に発足した

37年(同12年)までの7年。

「第二の鐘」は、44年(同19年)の牧口常三郎先生の逝去までの7年。
 
「第三の鐘」は、51年(同26年)の戸田先生の第2代会長就任まで。
 
「第四の鐘」は、戸田先生が生涯の願業であった会員75万世帯を成就し、

逝去するまでの7年である。
 
その上で、我らは、このリズムのままに7年また7年、
未来を見据えて「第五の鐘」「第六の鐘」と勇気と確信をもって進み、
「第七の鐘」が鳴り終わる21年後を目指して戦おうとの宣言である。
 
この壮大な指標は、同志が前を向く力となった。

 

そして学会は
「第五の鐘」の目標である300万世帯を62年(同37年)に達成。
「第六の鐘」で750万世帯を突破し、
「七つの鐘」が鳴り終わる79年(同54年)には、日本の広布の基盤が完成する。
 

 

■「もう心配ないよ」

第1次宗門事件の嵐の中の1979年(昭和54年)4月24日、

池田先生は宗門僧の理不尽な攻撃に終止符を打ち、
会員を守るために一切の責任を負って第3代会長を辞任。
師弟分断を画策した悪侶と反逆者らは、先生に“会合で指導してはいけない”
“聖教新聞に出てはいけない”と押しつける一方、かさにかかって学会を攻撃し、

同志を苦しめていた。
 
この79年のある日、神奈川文化会館で会合が行われた。
その声を会場の外でじっと聞いていた先生は、会合の進行を妨げないよう、

会場前方の扉から、そっと入場した。
 
先生の姿に気付いた友が、歓呼の声を上げる。
すると、先生は「私は話してはいけないことになっているから」

と口に人さし指を当てた。
 
そして、会場内にあるピアノの方へ。「熱原の三烈士」「厚田村」など

数曲を弾くと、静かに会場を後にした。
 

 

■ 広布の大ロマン
  
全国の友に希望の灯をともし続けてきた池田先生は折に触れ、
21世紀が開幕する2001年(平成13年)の5月3日から

第二の「七つの鐘」を打ち鳴らすことを念願してきた。
 
1997年(同9年)5月には、

関西で23世紀後半までの壮大な新しい「七つの鐘」の構想を示している。
 
第二の「七つの鐘」となる21世紀前半の50年では、

アジアをはじめ世界の平和の基盤を築き、

第三の「七つの鐘」となる21世紀後半では「生命の尊厳」の哲学を時代精神、

世界精神へと定着させる。

第四の「七つの鐘」となる22世紀前半には、

世界の「恒久の平和」の崩れざる基盤をつくる。

その基盤の上に、
第五の「七つの鐘」となる22世紀後半には絢爛たる人間文化の花が開き、

それが実現すれば
第六の「七つの鐘」、第七の「七つの鐘」と進み、

日蓮大聖人の立宗1000年(2253年)を迎える23世紀の半ばごろから、

新たな展開が始まるであろう――と。

〈特集 師弟の力はかくも偉大――池田先生の95年〉

② 民衆凱歌へ 不惜の激励行 から
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僕は、仏教の真髄は日蓮にしかないと思っている。
その思想・哲学の深さからして、
キリスト教、イスラムなど圧倒し、一蹴してしまうだろうと思っている。

 

彼の人は、トインビー博士との対談でも、
キリスト教世界観と決然と対決している。

宗教間対話とは妥協することではない。


すでに世界が舞台だ。それは時を待つだけだ。

 

 

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私たちは、池田先生が”世界平和の基盤をつくる”と展望された
「第2の『七つの鐘』」を高らかに打ち鳴らし、
必ずや、先生のご構想を実現していきたい。

作家で神学者でもある佐藤優氏は、

「世界宗教とは、政治の現実の泥にまみれるなかで、
自分たちの価値観を実現しようとする困難な道を選ぶ宗教のことだ」

とし、迫害を乗り越えて「与党化」し、
やがて宗教改革に至るキリスト教の歴史と重ね合わせながら、

「創価学会が世界三大宗教の一つとなる時代」の到来を展望しています。

・・・・・
 

池田先生は、若き日より、とりわけ多くの友と会い、激励し、
薫陶してきた文京の同志に、こう語られたことがあります。

「私と口をきいたこともないし、会ったこともない。
そういう人の中に、本当に学会を守って、頑張ってくれている人がいるんだ。
そういう人の信心が、私は本物だと思っている」

ここに師弟の真髄があり、「世界青年学会」建設の要諦があります。

そしてそれは、池田先生が創価大学の第3回入学式で語られたご決意とも、
相通じているように思えてなりません。
先生は、こう宣言されました。

「私のこれからの最大の仕事も教育であり、
私の死後30年間をどう盤石なものとしていくかに専念していく決心であります」

先生のご逝去より30年……それは2050年に「第2の『七つの鐘」を鳴らし終え、
いよいよ「生命の尊厳」の哲学を時代精神にし、世界精神へと定着させゆく、
「第3の『七つの鐘』」を打ち鳴らす時であります。

この時に世界広布の本舞台へと躍り出る人材を輩出できるか否か。
それは今、池田先生とは直接にはお会いしていない、しかし、
「本物の信心」に立ち上がる「一人」を、育てられるか否かにかかっているのです。

「本物の信心」は「本物の信心」によってしか磨けません。

2024/06/29 本部幹部会 原田稔 会長
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最後に、2002年の海外メンバーとの質問会での彼の人の映像が流れた。

究極の質問に、鋭く本質を突く。

 

 

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@「善と悪を、どのように判断していけばよいでしょうか」
(アメリカ男子部メンバー)

「非常に難しい問題です。色々な次元がある。誰も明快に答えることはできない。
善悪とは何か――人類にとって、永遠にわたる、重大な問題です。

ただ一つ、明快に言えることは、

『南無妙法蓮華経』こそ善のなかの善だということです。

南無妙法蓮華経は、宇宙を貫く、永久不変の法則です。
『法則』であるがゆえに、だれかがつくったものではない。変えようがない。

生命には十界がある。私たちの生命には、仏界がそなわっている。
仏界は『つくる』ものではありません。
自分の生命から『涌現』するのです。そのために御本尊があるのです。

答えになってるかな?」


@「同世代の友人たちに、仏法のすばらしさを伝えていくうえでの、

指針を教えてください」(オーストラリアの女子部メンバー)

「自信満々で話していくことです。
自分自身の確信と体験を堂々と語り抜いていくことです。
相手が聞こうが聞くまいが、それが相手の生命に、種を植えることになるのです。
その種は、いつか必ず根を張り、芽を出し、花を咲かせます。

時を待てばいいのです」
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戸田先生の言葉。


決して”数”で功徳が差別されるのではなくて、
一人一人が自身の持てる力を悔いなく発揮し、
すがすがしい気持ちでやりきれるかどうかの戦いである。