3月末から5月連休まで、この18、9年取り組んでいる、
自分のベースとなる分野の知識を再構築するために、3冊の本を再読した。

5月一杯、2年前から取り組んでいる、
現在主流の分野の知識を再構築するために、6冊の本を再読した。

自分の過去と向き合うのはモチベーションが上がらないので苦しい。
でも、それを忘却の彼方へ押しやってしまえば、その先へは進めない。

半年前から取り組んでいる次の時代に主流になる分野、
8、9年前から取り組んでいる今は当たり前の分野、
まだ、自分の過去と向き合わなければならないものはたくさんある。
ひとつひとつ、確実に自分のものにしていかなければならない。

それでも、この数か月で獲得した2つの希望の光は大きい。

希望は苦しみを突き抜けなければ得られないこと学んだ。
 

 

 

植物プランクトンは光合成で地球上の酸素の半分を生成し、
動物プランクトンは植物プランクトンを食べて生きている。

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タコは無脊椎動物の中では高い知能を持ち、
子育てをする子煩悩な生物としても知られている。

海に棲む生き物の中では、子育てをする生物は少ない。

食うか食われるかの弱肉強食の海の世界では、親が子どもを守ろうとしても、
より強い生物に親子もろとも食べられてしまう。
そのため、子育てをするよりも、卵を少しでも多く残すほうがよいのである。

魚の中には、生まれた卵や稚魚の世話をするものもいる。
子育てをする魚類は、とくに淡水魚や沿岸の浅い海に生息するものが多い。
狭い水域では敵に遭遇する可能性が高いが、
地形が複雑なので隠れる場所はたくさん見つかる。
そのため、親が卵を守ることで、卵の生存率が高まるのである。
一方、広大な海では、親の魚が隠れる場所は限られる。
下手に隠れて敵に食べられてしまうよりも、大海に卵をばらまいたほうがよいのだ。

 

子育てをするということは、
卵や子どもを守るだけの強さを持っているということなのである。

また、魚類では、メスではなく、オスが子育てをする例のほうが圧倒的に多い。

オスが子育てをする理由は、明確ではない。
ただし、魚にとっては卵の数が重要なので、メスは育児よりも、
その分のエネルギーを使って少しでも卵の数を増やしたほうがよい。
そのため、メスの代わりにオスが子育てをするとも推察されている。

しかし、タコはメスが子育てをする。
タコは母親が子育てをする海の中では珍しい生き物なのである。

タコの寿命は明らかではないが、1年から数年生きると考えられている。
そして、タコはその一生の最後に、1度だけ繁殖を行う。
タコにとって、繁殖は生涯最後にして最大のイベントなのである。

タコの繁殖はオスとメスとの出会いから始まる。

 

タコのオスはドラマチックに甘いムードでメスに求愛する。
しかし、複数のオスがメスに求愛してしまうこともある。
そのときは、メスをめぐってオスたちは激しく戦う。

オス同士の戦いは壮絶だ。
何しろ繁殖は生涯で1度きりにして最後のイベントである。
このときを逃せば、もう子孫を残すチャンスはない。
激高したオスは、自らの身を隠すために目まぐるしく体色を変えながら、
相手のオスにつかみかかる。
足や胴体がちぎれてしまうほどの、まさに命を懸けた戦いである。

この戦いに勝利したオスは、改めてメスに求愛し、
メスが受け入れるとカップルが成立するのである。
そして相思相愛の2匹のタコは、抱擁し合い、生涯でたった1回の交接を行う。
タコたちは、その時間を慈しむかのように、その時間を惜しむかのように、
ゆっくりとゆっくりと数時間をかけてその儀式を行う。
そして、儀式が終わると間もなく、オスは力尽き生涯を閉じてゆく。
交接が終わると命が終わるようにプログラムされているのである。

残されたメスには大切な仕事が残っている。

タコのメスは、岩の隙間などに卵を産みつける。

 

ほかの海の生き物であれば、これですべてがおしまいである。
しかし、タコのメスにとっては、これから壮絶な子育てが待っている。
卵が無事にかえるまで、巣穴の中で卵を守り続けるのである。
卵がふ化するまでの期間は、マダコで1カ月。
冷たい海に棲むミズダコでは、卵の発育が遅いため、
その期間は6カ月から10カ月にも及ぶといわれている。

これだけの長い間、メスは卵を守り続けるのである。
まさに母の愛と言うべきなのだろうか。
この間、メスは一切餌を獲ることもなく、片時も離れずに卵を抱き続けるのである。

「少しくらい」とわずかな時間であれば巣穴を離れてもよさそうなものだが、
タコの母親はそんなことはしない。
危険にあふれた海の中では一瞬の油断も許されないのだ。

もちろん、ただ、巣穴の中にとどまるというだけではない。

母ダコは、ときどき卵をなでては、卵についたゴミやカビを取り除き、
水を吹きかけては卵のまわりの澱(よど)んだ水を新鮮な水に替える。
こうして、卵に愛情を注ぎ続けるのである。

餌を口にしない母ダコは、次第に体力が衰えてくるが、
卵を狙う天敵は、つねに母ダコの隙を狙っている。
また、海の中で隠れ家になる岩場は貴重なので、
隠れ家を求めて巣穴を奪おうとする不届き者もいる。
中には、産卵のためにほかのタコが巣穴を乗っ取ろうとすることもある。

 

そのたびに、母親は力を振り絞り、巣穴を守る。
次第に衰え、力尽きかけようとも、卵に危機が迫れば、悠然と立ち向かうのである。

こうして、月日が過ぎてゆく。

そして、ついにその日はやってくる。

卵から小さなタコの赤ちゃんたちが生まれてくるのである。
母ダコは、卵膜にやさしく水を吹きかけて、
卵を破って子どもたちが外に出るのを助けるとも言われている。

卵を守り続けたメスのタコにもう泳ぐ力は残っていない。
足を動かす力さえもうない。子どもたちのふ化を見届けると、
母ダコは安心したように横たわり、力尽きて死んでゆくのである。

これが、母ダコの最期である。
そしてこれが、母と子の別れの時なのである。

<タコの最期は涙なくしては語れないほどに尊い
雄も雌も子孫を残す瞬間のために命を捧げる>

稲垣 栄洋 : 静岡大学農学部教授
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ひとつの生命が失われ、また新たな生命が生まれる。
命のバトンが渡されている。

生命は切ない。
彼らは切ないと感じているのだろうか。

人間は意味を感じようとする。


南アフリカのフィンボスには、

背が低く燃えやすい油分を含んだ多様な植物が茂っていて、
多くは太陽の光を得られずに成長しないで土の中で長い年月を待つという。

落雷などで火災が起きると、今まで茂っていた植物が燃え尽きて、
土の中で待っていた種が太陽の光を得て育つという。
 

 

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フィンボス(Fynbos)は、南アフリカ共和国西ケープ州に帯状に分布する
自然の細葉灌木の硬葉樹林植生地域かつ植物の生物多様性のホットスポットである。
主として地中海性気候の、冬に雨の多い海岸から山岳にかけての地域である。

フィンボスはケープ西岸のクランウィリアムから

南東岸のポート・エリザベスに伸びる100kmから200kmの幅で、

沿岸部に帯状に伸びている。
フィンボスはケープ植物区の表面積の約半分、植物種の数では約80%を占める。
フィンボスの東部と西部では、後者のほうがより多種で豊かな植生を誇る。

世界六大植物区の中では最小だが、面積あたりの豊かさという点では随一である。
熱帯地域を除く北半球全域を包含する全北植物区とは好対照を成している。
フィンボスの植物の多様性は、
約5000種の固有種を含む8000種以上の植物からなるという点で、
熱帯雨林の植物多様性を上回っている。

エリカ属はフィンボスに600種生えているが、
世界のほかの地域ではわずかに26種しか見られない。
また、フィンボスの面積は46000km2であるが、
大して変わらない面積のオランダには1400種の植物しかなく、
しかもそこには固有種は含まれていない。
ケープタウンのテーブルマウンテンには1470種が成育しているが、
これはイギリスの全植物種を上回っている。

かくして、フィンボスは南アフリカの面積の6%を占めるに過ぎないが、
その亜大陸の半分の植物種を含んでいるのだ。

 

「フィンボス」という名はアフリカーンス語で「細い灌木」を意味する。
これはフィンボスの植生の多くが、細い針状の葉を持っていることに由来する。
植物の大半は硬い葉の常緑樹である。

フィンボスに特徴的な三つの植物グループは、

ヤマモガシ科、ツツジ科、サンアソウ科である。
ヤマモガシ科は多くの種類が生えており、

幾分大きな葉のタイプの植物の一種として、景観の中でも目を惹く。
一般的に、それらには鳥が受粉を媒介することがある

大きな鮮やかな花が咲いている。
ツツジ科の植物は、それに比べれば一般的に小さく、

多くの筒状花と針葉とを具えている。
また、フィンボス以外ではごくわずかにしか見られない草に似たレスチオ属は、
より湿潤な地域に生えている。

フィンボスには、球根を持つ種が1400種以上生えているが、
そのうち96種がグラジオラスで、54種がラケナリアである。

一帯の植物の受粉は甲虫類やハエなどの昆虫または鳥類、哺乳類により、
種子散布はアリやシロアリによる。

乾燥した夏期によく起こる火事は、
多くのフィンボスの植物の生育にとっては必須の段階である。
多くのタネは火事の猛火の後で芽を出す。
火事を待ち望んで、ヤマモガシ科の植物のほとんどは、
タネを最低でも一年は藪のなかにとどめておく。
その習性はセロティニーとして知られている。

ウィキペディア フィンボス
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もし人間の寿命が永遠ならば、この地球はどうなるだろうか。

もし比較優位、産業構造の転換がなければ、この地球はどうなるだろうか。

 

 

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多くの国民経済は複数の産業を抱える。
それぞれの産業の生産性などは違うため、

経済内における産業の優位性には差が生まれる。
このときに、産業構造転換が起きる。

より収益の高い産業は労働力や資本などの資源に対する購買力を持つ。
一方で、収益の低い産業は高収益産業との資源購買競争により、

さらに収益が低下する。
こうして低収益産業から解放された資源が高収益産業へ集中した場合、

産業構造が転換したと言える。

また、輸出産業とみなされていた産業が、

国内需要増大によって輸出余力を喪失し国内市場において

輸入品とシェアを分かつようになった場合も産業構造が変化していると言える。

経済政策などによって、産業構造が変化することもある。
長く戦争を続ける国などは資源が軍需産業に集中するし、
ケインズ政策として公共事業を採用すると、建設業などに資源が集中する。

ゾンビ企業とは、本来倒産するか吸収されて消えるべきであるが、
さまざまな理由で存続している企業を指す呼称である。
経済学者の星岳雄とアニル・カシャップは

本来であれば淘汰される企業が存続していることで、
高い生産性が期待できる新たな企業・産業の発展が阻害されるとしている。

経済学者の田中秀臣は「衰退産業への政府による永続的支援は、
労働・資本の産業間移動のインセンティブを失なわせ、

社会的非効率性を固定化させる」と指摘している。

経済学者の野口旭、田中秀臣は「比較優位があって初めて比較劣位があるのであり、
それを『脅威』と騒いでいたら自由な貿易は不可能である。
貿易の利益を享受するためには、苦痛に満ちた産業構造調整の過程を経るしかない」と指摘している。

ウィキペディア 産業構造の転換
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ひとつの生命が失われ、また新たな生命が生まれる。
命のバトンが渡されていく。

ひとつの産業が失われ、また新たな産業が生まれる。
産業のバトンが渡されていく。


生命は本来切ないものなのだ。
人間は、苦痛に満ちた自己変革に生きる以外ないのだ。

生きるものの寿命が有限だとしても、
人間は意味を感じることができる。

起きて活動する時間と眠り休息する時間があるように、
姿かたち、能力が変わったとしても、何か別のものに生まれ変わるのではなく、
自己のアイデンティティは生死を超えて連続しているのだと想像できるならば、
切なさは別の意味をもつことができ、それが新たな希望となる。