国連に普遍的正義があるわけではない。

国連は勝者の論理で貫かれている。

そこに普遍的価値や正義などの概念は存在しない。
彼らがそれを吹聴しているに過ぎない。

国連は世界大戦の勝者を、拒否権を持つパーマネント5という、
永遠不滅の正義としてしまったことから迷走の道を行く以外なくなった。
彼らは人類に対する重大な犯罪を犯してしまったのだ。

そこでは、正義が勝つのではなく、勝ったものが正義である。

 

 

これによって、
正義とは、政治的、経済的、軍事的優位に立つことでしかないという、
顛倒した思想と、諦めが世界を覆い尽くしている。

国家は勝ち組に入ることを国是とする以外なくなった。

それを巧みに利用し体制維持・勢力拡大を狙うのが、プーチンであり習近平だ。
歴史は権力者がつくる、それがこの二匹の犬の根幹にある。

 

中華民国はいつの間にか中華人民共和国にすり替わり、
ソビエト連邦はいつの間にかロシアにすり替わった。

習近平・中国共産党が正義か。
プーチン・ロシアが正義か。

アメリカは常に正義でありつづけたのか。
イギリスは常に正義でありつづけたのか。
フランスは常に正義でありつづけたのか。
 

正義とは何だ。

ユダヤ世界の正義。
キリスト世界の正義。
イスラム世界の正義。
マルクス世界の正義。
皇帝の時代の正義。
プーチンの正義。
習近平の正義。

・・・

彼らはみな、
世界と宇宙と生命のすべてを知っているからこそ、
あれだけ残虐になれるのだろう。

不可視のものを可視のものとしてきたのが人類の歴史ではないのか。
いまだ、人類は世界と宇宙と生命のすべてを理解しているわけではない。

正義は一つではない。

人類にとって、正義とはどこまでも意志の問題なのだ。
どこまで意志を共有できるかの問題なのだ。
正義は人類の歴史とともに変わり得ることを理解しなければならない。
 

人類はいつまで、2000年前、1000年前、100年前を生きつづけるのか。

国益より大事なのは人間の尊厳だ。

神や仏の尊厳もいいだろう。
独裁者、超越者の尊厳もいいだろう。
イデオロギーの尊厳もいいだろう。

何とか生きれていければいいというのが人間だ。
それもいいだろう。

けれど、人間は必ず死ぬ。

 

ある意味での犠牲として死んでもかまわない、
あとを継ぐ者たちが必ず時代を切り拓くだろう、
という思想・信念に生きた偉人たちはいる。

けれど、
人間尊厳の思想は、歴史上、力を持ち得て来ただろうか。

キリスト教世界に人権はあったか。
奴らは異端の名のもと、どれだけの人間を殺害してきたのか。

イスラム原理主義世界に人権はあるか。
奴らは今も、石打ちの刑で人間を吊るしている。

マルクス主義世界に人権はあったか。
スターリン、毛沢東、習近平はどれだけの人間を撲殺してきたのか。

いま、ロシア、中国、ウィグル、モンゴル、チベット、
アフガニスタン、ミャンマー、パレスチナに人間の尊厳はあるか。

 

 

今から120年ほど前、日本人の島国根性を痛烈に批判。

日露戦争を目前にした国威高揚の時代に、思想表明した人がいる。

 


世界は「軍事的競争」「政治的競争」「経済的競争」の時代から、
「人道的競争」の時代へと移らねばならない。
~ 牧口常三郎 創価学会初代会長 1903年(明治36年)

 


国連改革は、パーマネント5を捨てることが出来ない限り意味をなさない。

それが可能かどうか、
僕には手続上の実務的知見はないけれど。

上っ面の議論をいくら繰り返しても世界は破滅へ向かうだけではないのか。


現実的には、パーマネント5の拒否権発動を無効とすることを可能とするような、
国家権力とは無縁の二院制を導入するしかないのではないか。

その二院制発議そのものも、パーマネント5が拒否するのだとすれば、
もはや、国連そのものを無力化すればいいだけだ。

 

すでに、国連はパーマネント5による侵略・威嚇に何の手立てもない、
はじめから無能なのだから。

 

パーマネント5の拒否権を無効化する方法を、人類は見出さなければならない。

人類の最高知能は、その程度のことすら発想出来ないのだろうか。

 

不毛なパーマネント5を絶対の正義とする国連を超える、
新たな国連をつくる以外、人類の未来はない。


国家権力を基盤としている、国連を当てにすること自体が間違いなのだ。

必要なことは、もはや国家権力ではない。

国家権力を超える民衆革命が必要なのだ。

 

今、ミャンマーの軍事クーデター政権は、民主派から劣勢に立たされている。
アフガニスタンのタリバン政権に抑圧された人々には、
亡命した人たちが、あらゆる手段を使って支援の手を差し伸べようとしている。
イスラエルのネタニエフの強権に、民衆の支持は失われている。

習近平、プーチンの独裁では、民衆蜂起は不可能な状況にある。
習近平、プーチン、金正恩が結託しウクライナを侵略しつづけ、
巧妙な飴と鞭で、民主主義をこの地球上から絶滅させようとしている。

習近平は中華民族の復興という大義のもと、ウィグル、モンゴル、チベットなど、
あらゆる少数者を迫害・弾圧し、毛沢東を超える位置に自らを置こうと、

躍起になっている。


習近平独裁、プーチン独裁による世界支配。
いつの時代でも悪は結託する。


独裁を打ち破る革命の力は民衆の側にしかない。

中華人民共和国は、共産主義革命によって建国されたのではない。
抗日戦争のなかで、毛沢東が蔣介石との国共内戦に勝ったにすぎない。

それによって、中国本土と台湾に分かれたにすぎない。

皇帝の時代から、所詮、その程度の権力闘争の国でしかない。

台湾に元々いた民族と中国本土からきた民族がいる。
習近平が言うような、台湾は中国の一部ではない。

プーチンの論理、習近平の論理は、はじめから破綻している。

プーチン・ロシア、習近平・中国共産党を打倒する革命が、今こそ必要なのだ。

 

21世紀の現代における革命は、どんな形で起こし得るのか。

それは政治革命なのか、軍事革命なのか、経済革命なのか。
残念ながら、世界は一様ではない。

ただ一つ、一様なものがあるとすれば、それは人間だ。

国家権力を超えるものに、どれだけ力を与えられるかにしか人類の希望はない。
 

 

・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・
@ 500年早い「人権宣言」

世界人権宣言の批准(1948年)から20年を記念して、
ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)が1冊の書籍を編纂した。

世界各国の歴史上の偉人、文学者などの言葉から、
人権に関する普遍的メッセージを採録した

『語録 人間の権利』(邦訳は1970年刊行)。

ここに『万葉集』にとどめられた山上憶良の歌などとともに、
日蓮(1222-1282)の『撰時抄』に記された次の一節が収録されている。

『王地に生れたれば身をば随えられたてまつるやうなりとも
心をば随えられたてまつるべからず』(撰時抄)

王(権力者)の支配する地に生まれたゆえに

身体的には権力に従えさせられているようであっても、
心は従えさせられることはない――。
1274年の春、佐渡流罪から赦免され鎌倉に戻った日蓮が、
自身を佐渡流罪に陥れた張本人である平頼綱と対面した際に放った言葉である。

アメリカやフランスで人権宣言が生まれたのは18世紀の終盤であり、
日蓮はそれよりも500年早く、高らかに「精神の自由」を宣言していたことになる。

日蓮の生きた時代は、大地震、飢饉、感染症、戦乱が繰り返された。
日蓮の代表的著作である『立正安国論』は、

相次ぐ自然災害、飢饉、感染症によって、路傍に牛馬が倒れ、骸骨が散乱し、

人々が息絶えようとしている惨状の描写から始まっている。

なぜ、仏教が隆盛している日本国で、

人々がこのような苦しみに追いやられているのか。
朝廷や幕府が諸宗の高僧に祈祷を命じているのに、

国土の荒廃と人々の不幸がどうして続くのか。
これが日蓮の問題意識だった。

同時代の人々のなかで、日蓮が著した論文や書状は群を抜いた数にのぼっている。
内村鑑三は著作『代表的日本人』に5人の日本人を選び、

唯一の宗教者として日蓮をその1人に挙げた。

「仏敵」と呼んだ者には苛烈でありましたが、

貧しい者たち、しいたげられた人たちに対しては、
まことにやさしい人物でありました。(『代表的日本人』)

現存する膨大な遺文から見えてくるのは、日蓮の人格のふたつの側面だ。
それは、命を懸けて幕府の宗教政策の誤りを指摘し、
自身を迫害した為政者に対しても堂々と「精神の自由」を言い放つ強さ。
そして、弱い立場にある人々の苦悩に同苦しながら

励ましの言葉を届け続ける優しさである。

@ 更新される「日蓮像」

日蓮については「国家主義者」「排他的」「戦闘的」というイメージがかぶせられ、独り歩きしてきた。とりわけ国家主義に関しては、

田中智学や本多日生ら戦前の日蓮主義者による解釈の影響が大きい。

彼らは日蓮の「立正安国」の思想を〝支配権力〟としての国家の安寧と解釈し、
天皇を中心とした神聖国家の樹立と、

その神聖国家による世界統一をめざすものだとして宣揚した。
満州事変の首謀者の石原莞爾らが、

こうした日蓮主義に傾倒していたことは広く知られている。

佐藤弘夫氏は日蓮主義者らの誤解の背景として、
日蓮の生きた中世に共有されていた不可視の他界のリアリティが近世以降に失われ、
「立正安国」がもっぱら世俗的な意味での国土の平穏を指すものに

変質していったことを指摘している。

また小林正博氏は、『撰時抄』などに見られる〝念仏者・禅僧の寺塔を焼き払い、

彼らの首を刎ねよ〟という文言について、これは日蓮の主張ではなく、
日蓮を亡き者にしようと画策した敵対勢力側から発せられた言葉であることを

論証している。

栗原博史氏は、日蓮が法華経に基づく「女人成仏」を高らかに宣言していたことが、
日本仏教史において画期的であったことを論じている。

同じ鎌倉仏教の開祖でも、
親鸞の著作のなかには意外にも女人往生(成仏)や五障三従をめぐる議論は

ほとんど見られないという。
しかも、親鸞の女人往生思想は〝阿弥陀の第三十五願を支えとした

「変成男子」の往生〟であり、罪業深い女性のままでは往生(成仏)できないので

男性に転じてから往生するというものだった。

日蓮が示したような「即身成仏」ではなかったのである。

初期には徹底した男女平等論に立っていた道元も、

永平寺に入った頃からその主張を放棄している。

先に日蓮が西欧に500年も先立って「精神の自由」を宣言していたことに触れたが、
ジェンダー平等についても日蓮は700年以上前に明快に示していたのだ。

漁村の民の子であることを誇りとし、世俗的な権勢とは無縁であった日蓮だが、
「日蓮一人」から始まったその教えは生誕から800年の今、
日本はもとより世界の190を超す国と地域に広がり、

それぞれのローカルの信仰として根付いている。

むろん、それはなによりも日蓮の樹立した法理に力があった証左ではあろうが、
日蓮という人間自身が持っていた近代性、ナショナリズムを超克していく思想、
門下ひとりひとりの境遇や真心の細部まで汲み取っていく誠実さといった、
人間的魅力によるところもまた極めて大きいのだと思う。

書評『日蓮の心』――その人間的魅力に迫る ライター  本房歩
・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・

 

 

国連はもはや人類の議会として機能していない!

政治・経済・軍事という下部構造だけでは人類の未来は切り開けない。
思想・哲学という上部構造こそが必要なのだ。

 

僕は激情家だ。

君は怒りを覚えないか?

そうでないならば、自分の小さな欲望に従って生きて死んでいけばいい。
この世界が、何より君自身が君に報復するだろう。

 

 

 

思想・哲学といっても、人類は多くの思想・哲学を生み出してきた。
ユダヤ・キリスト・イスラムのように、すでに力を持ち得ない神話の世界もあれば、
マルクスのように、衒学的な姿を巧妙に装いながら、
短絡的な唯物構造論で人類を惑わす憎悪の革命思想もある。
 

人間が強くならなければならない。
主権は民衆にあるのだから。

国連は人類の議会だというが、国家間の国益交渉でしかなく、
さらに、パーマネント5という魑魅魍魎がうごめいている。

国家、思想信条を超えた70億の人類の連帯が生まれれば、
国家権力という小島の主などひとたまりもないだろう。

思想・哲学と宗教の一番の違いは、
祈りという、人間が持つ心の力にある。


世界宗教の役割は、平和の実現にある。
社会のために何をするか――その善の競争こそ、宗教の進むべき道である。
~ 月々日々に  池田先生の折々の言葉  2022/02/22

祈りという人間の持つ最も強い心の力を、国際的に表明しているものがある。

 

 

・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・
地球憲章 Earch Chapter
持続可能な未来に向けての価値と原則

@ 前文

私たち人類は今、自分たちの未来を選択しなければならないという、
地球の歴史上重大な転換点にさしかかっている。
世界がますます相互依存を強め、他からの影響を受けやすくなるにつれて、
未来には大きな希望と同時に、大きな危機が存在している。
私たちが未来に向かって前進するためには、自分たちが、
素晴らしい多様性に満ちた文化や生物種と共存する、ひとつの人類家族であり、
地球共同体の一員であるということを認識しなければならない。
自然への愛、人権、経済的公正、平和の文化の上に築かれる
持続可能な地球社会を生み出すことに、私たちはこぞって参加しなければならない。
そのためには、地球上で生をいとなむ人間として、私たちは互いに、
より大きな生命の共同体に、そして未来世代に対して、
責任を負うことを明らかにすることが必要不可欠である。


@ 私たちのすみか、地球

人類は広大な、進化しつつある宇宙の一部である。
私たちのすみかである地球には、たぐいまれな生命共同体が共生している。
自然の偉力は、生き抜くことを困難で予想し難いものにしているが、
同時に、地球は生命の進化に必要不可欠な環境条件をもたらしてくれている。
生命共同体の活力と人類の幸福は、実に様々な動植物、肥沃な土壌、清浄な水、
そして澄んだ空気など、

すべての生態系を含む健全な生物圏を維持することにかかっている。
限られた資源しかない地球の環境は、全人類にとって共通の関心事である。
地球の生命力、多様性、その美しさを保護することは、

人類に課された神聖な義務でもある。

@ 地球の状況

これまで行ってきた生産と消費の仕方は、環境の荒廃、資源枯渇、
種の大量の絶滅を引き起こしている。 地球共同体が損なわれている。
開発の恩恵は平等には分配されていず、貧富の差が広がりつつある。
不正、貧困、無知、そして暴力を伴う争いが広がり、

人々に大きな苦しみを与えている。
更に、かつてない人口増加は、生態系と社会システムへの重荷となってきている。
地球の安全が根底から脅かされつつある。これらは危険な兆候である。
しかし、避けられないことではない。

@ 私たちが直面している課題

地球規模のパートナーシップを形成して

地球と人間を大切にする生存への道をとるのか、
それとも、人類や生命の多様性の破壊に加担する道をとるのか、

選択するのは私たち自身である。私たちの価値観、社会の仕組み、

そして生活様式を抜本的に変えることが迫られている。
私たちは、基本的ニーズが満たされている生活の中にあって、
人類の発展とは、私たちが人間的により成長することであり、
必要以上に物を所有することではないことをはっきり理解すべきである。
私たちは、すべての人々に必要な物をもたらし、
しかも環境負荷を減らすことができる知識と技術を持っている。
地球市民社会の出現で、

民主的で人道的な世界が築かれる新たな機会がもたらされている。
私たちの環境面、経済面、政治面、社会面、

そして精神面の課題は互いに関連しあっており、
私たちは共に包括的な解決を生み出すことができる。

@ 地球的視野に立った責任感

こうした希望を実現するために、私たちは地域共同体だけでなく、
地球共同体全体の中の一員であることを考え、
共通の責任感を持って生きる決意をしなければならない。
私たちは、それぞれの国の市民であると同時に、
地域と地球がつながっている「ひとつの世界」の市民でもある。
すべての人が、人類家族と生き物全体の現在と未来の幸福に、

責任を分かち合っている。
存在の神秘に対する畏敬の念、授かった生命への感謝の気持ち、

そして、森羅万象の中で、
人類はいかに小さな存在であるかという謙虚な気持ちを抱いたときに、
人類は強く団結し、すべての生命との一体感も強まる。
私たちは、いま生まれつつある地球共同体のために、
倫理的基盤となる共有の価値観を、早急につくらなければならない。
それゆえに、持続可能な生活のための、互いに関連し合う以下の諸原則が、
すべての個人、団体、企業、政府、国際機関の行動を導き判断する

規範となることを、希望を込めて、私たちは確認する。

@ 本文

I. 生命共同体への敬意と配慮

1.地球と多様性に富んだすべての生命を尊重しよう。

 a.生きとし生けるものは互いに依存し、

   それぞれが人間にとっての利用価値とは無関係に、
   価値ある存在であることを認めよう。

 b.すべての人が生まれながらに持っている尊厳と、人類の知的、芸術的、倫理的、
   精神的な潜在能力への信頼を確認しよう。


2.理解と思いやり、愛情の念をもって、生命共同体を大切にしよう。

 a.資源の所有、管理、利用には、環境への害を防ぎ、
   人々の権利を守ることが義務であることを受け入れよう。

 b.自由、知識、権力は、
   その大きさが増せば増すほど公益推進への大きな責任が伴うことを確認しよう。


3.公正で、直接参加ができ、かつ持続可能で平和な民主社会を築こう。

 a.すべての地域社会において、人権、基本的自由を保障し、

   男女を問わずすべての人に、可能性を充分に活かせる機会を与えよう。

 b.すべての人が環境に配慮した形で、安全で有意義な暮しができるよう、社会的、
   経済的公正さを推進しよう。


4.地球の豊かさと美しさを、現在と未来の世代のために確保しよう。

 a.それぞれの時代に享受できる行動の自由は、
   未来世代のニーズによって規制されることを認識しよう。

 b.次の世代に、人間を含む地球上の、

   生きとし生けるものの長期にわたる繁栄を支える価値、
   伝統、しきたりを伝えていこう。

以上、4 つの大きな決意を実行に移すために、以下の諸原則が必要である。


II. 生態系の保全

5.生物の多様性と、生命を持続させる自然のプロセスに対して、

  特別な配慮を払いつつ、地球生態系全体を保護し回復させよう。

 a.すべての開発構想に環境の保全と回復が組み込まれるように、
   あらゆる持続可能な開発計画と規制を受け入れよう。

 b.地球の生命維持システムを守り、地球の生物多様性を維持し、

   自然遺産を保護するために、野生地や海洋を含む、

   自然と生物の生存可能な保全地域を指定し、これを守ろう。

 c.絶滅の危機に瀕した生物種と生態系の修復を促進しよう。

 d.外来種や遺伝子組替え品種の中で、原産種と環境に害を及ぼすものは、
   規制または根絶し、そうした有害種の導入を阻止しよう。

 e.水、土壌、林産物、水産物のような再生可能な資源の使用を、

   生態系の再生速度を上回らず、
   生態系のバランスを維持するような方法で、管理しよう。

 f.鉱物や化石燃料のような再生不可能な資源の採取や使用については、
   その資源の枯渇を最小限にとどめ、

   深刻な環境破壊を引き起こさないような方法で管理しよう。


6.生態系保護の最善策として、環境への害を未然に防ぎ、

   充分な知識がない場合には予防原則をとろう。

 a.環境にとって重大な、

   あるいは取り返しのつかない害を及ぼす可能性がある場合には、
   たとえ科学的知見が不充分、あるいは不確実であっても、

   それを避けるための行動を起こそう。

 b.環境に重大な害を及ぼさないとして提案された活動には、

   その提案者に証明責任を課し、環境被害に対する責任を負わせよう。

 c.意思決定に際しては、人間の活動の累積的、長期的、間接的、長距離的、
   地球規模的結果を考慮することを明確にしよう。

 d.環境への汚染はすべて防止し、放射能や有毒、危険物質の蓄積を阻止しよう。

 e.環境に害を与える軍事行動は回避しよう。

7.生産、消費、再生産については、地球の再生能力を傷つけず、
  人権や公共の福祉を保護するような方法を採用しよう。

 a.生産、消費のシステムにおいて、リデュース、リユース、リサイクルを原則とし、
   残った廃棄物は生態系に影響がない方向で処理する方法をとろう。

 b.エネルギーの使用については、節約と効率化とともに、
   太陽光や風力のような再生エネルギー資源への依存を高めよう。

 c.環境にやさしい技術の開発、採用、公正な移転を推進しよう。

 d.環境と社会コストを、物やサービスの値段に組み入れ、消費者が、環境面、
   社会面で最も高い水準に達している商品を選べるように工夫しよう。

 e.安全な出産や責任のもてる家族計画を促す保健サービスを、

   誰もが利用できるようにしよう。

 f.限りある地球上で、

  質の高い生活と物質的に「足るを知る」ライフスタイルをとろう。


8.生態系の持続可能性に関する研究を進め、既存の知識を自由に交換し、

  幅広く応用しよう。

 a.持続可能性に向けての科学面、技術面での国際協力を支持し、

  特に発展途上国のニーズに配慮しよう。

 b.すべての文化における伝統的知識と精神的知恵の中で、
   環境保護と人々の福祉に貢献するものを認め、まもっていこう。

 c.人間の健康と環境保全にとって非常に大切な情報は、遺伝子情報を含め、
   誰にも独占されず開かれていることを確認しよう。

III. 公正な社会と経済

9.倫理的、社会的、環境的要請として、貧困の根絶に取り組もう。

 a.飲料水、きれいな空気、食糧の安全性、汚染されていない土壌、住居、

   安全な公衆衛生への権利を保証し、そのために必要な資源を、

   内及び国境を超えて分配しよう。

 b.すべての人が持続可能な生活を送ることができるように、教育や手段を与えよう。
   自らを支えることができない人のためには、

   社会保障やセーフティネットを用意しよう。

 c.目を向けられずにいる人々に気を配り、傷つきやすい人々を保護し、

   苦しむ人々に奉仕し、彼らが自らの能力を伸ばし、

   希望を追求できるようにしよう。

10.経済活動やそのしくみは、

  あらゆるレベルで公平かつ持続可能な形で人間開発を促進するものとしよう。

 a.国の内外を問わず、富の公平な分配を促進しよう。

 b.発展途上国の知的、資金的、技術的、社会的資源を増進させ、

  重い対外債務から救出しよう。

 c.すべての貿易は、持続可能な資源の利用、環境保全、

  先進的な労働基準にかなうものであることを確認しよう。

 d.多国籍企業や国際金融機関は、公共の利益のために透明性をもって行動し、
   自らの活動がもたらす結果に対して責任を負うものとしよう。


11.男女間の平等と公平は、持続可能な開発にとって必須なものであることを確認し、
   教育、健康管理、経済的機会を誰もが享受できるようにしよう。

 a.女性や少女の人権を守り、彼らに対する暴力を根絶しよう。

 b.女性たちが経済、政治、市民生活、社会活動、文化的生活のあらゆる面で、
   平等なパートナーとして、意思決定者として、指導者として、

     また、受益者として活発に参画できるようにしよう。

 c.家族の絆を強め、家族全員の安全と家族愛を大切にしよう。


12.すべての人が自らの尊厳、健康、

   幸福を支えてくれる自然環境や社会環境をもつ権利を差別無く認め、
   特に先住民や少数民族の権利に配慮しよう。

 a.人種、肌の色、性別、性的指向(同性愛者)、宗教、言語、国籍、民族、

   出生などに基づくあらゆる差別をなくそう。

 b.先住民の、精神性、知識、土地、資源に対する権利と、

   持続可能な生活を続ける権利を確認しよう。

 c.私たちの地域共同体に住む若者たちの能力を認め、支援し、
   持続可能な社会を創造していく上で彼らが重要な役割を果たせるようにしよう。

 d.文化的、精神的に大切な場所を、保護し、修復しよう。


IV. 民主主義、非暴力と平和

13.民主的な制度と手続きをあらゆるレベルにおいて強化し、

   行政に行政に透明性と説明責任を課し、
   意思決定へのすべての人の参加を確保し、裁判を利用できるようにしよう。

 a.すべての人が、自分たちに影響を及ぼす、または関心のある、

   環境に関わる事柄や、すべての開発計画、開発活動について、明確、

   かつタイムリーな情報を受けとる権利を持てるようにしよう。

 b.地方や地域、あるいは国際的な市民社会を支援し、
   意思決定にはすべての関係者や関係機関が意味ある形で参加できるよう

   推進しよう。

 c.言論、表現の自由、平和的集会の自由と結社の自由、

   異議を唱える自由への権利を保護しよう。

 d.環境への害やその脅威のための補償や救済等を含む、
   行政手続や独立した司法手続を効果的、効率的に利用できる仕組みをつくろう。

 e.すべての公的機関や民間機関における汚職を根絶しよう。
 
 f.私たちをとりまく環境を守れるよう地域社会を強化し、環境に対する責任は、
   最も効果的に果たすことのできる立場の行政レベルに割り当てよう。

14.すべての人が享受できる公教育や生涯学習の中に、

  持続可能な開発に必要な知識、価値観、技術を取り入れよう。

 a.すべての人々、中でも子供や若者に、教育の機会を与え、

  彼らが持続可能な開発のために活発に貢献できるようにしよう。

 b.持続可能性に関する教育については、科学が果たす役割同様、

  芸術や人文科学の貢献を推進しよう。

 c.生態系や社会が直面している課題への意識を高める上で、

   マスメディアが果たす役割を強めよう。

 d.持続可能な生活にとって道徳教育や情操教育が重要であることを認識しよう。


15.すべての生き物を大切にし、思いやりを持って接しよう。

 a.人間社会で飼育されている動物への残虐な行為を防ぎ、苦しみから保護しよう。

 b.野生動物の狩猟、わな猟、漁獲に際しては、

  極度な苦痛と長引く不要な痛みを与えないようにしよう。

 c.標的以外の種の捕獲や採取をやめよう。


16.寛容、非暴力、平和の文化を促進しよう。

 a.国内及び国際間において、あらゆる民族同士の相互理解、団結、協力を奨励し、

  支援しよう。(国際平和は、持続可能な発展のための最低限の条件です。)

 b.武力紛争を防ぐために包括的な戦略を実施し、

  環境に関わる紛争や争いを解決するためには、協調的な処理を行おう。

 c.国家の安全保障体制を非攻撃的な自衛レベルに縮小し、軍事予算を、

   生態系の修復のような平和的目的のために転用しよう。

 d.核兵器、生物兵器、化学兵器やその他の大量破壊兵器を排除しよう。

 e.人工衛星軌道や宇宙空間の利用は、環境保全と平和に資するものとしよう。

 f.平和とは、自分自身、他人、他の文化、他の生命、地球、

  そしてすべてがその一部を構成する、さらに大きな全体との間の、

  適切な関係によって創られた総体であることを認識しよう。


@ 今後の選択の道

私たちは歴史上はじめて、

共通の運命によって新たな行動を始めることが求められている。
こうした再出発こそ、地球憲章の原則に込められた誓いである。

この誓いを実現するために、私たちは地球憲章の価値観と目的を受け入れ、
推進していくことを決意しなければならない。

そのためには、意識と考え方を変えなければならない。
地球規模の相互依存と人類共通の責任という新しい感覚が必要となる。
私たちは想像力を使って、持続可能な生活様式のビジョンを、
地方、国家、地域、地球レベルでつくり、実施しなければならない。

私たちの文化の多様性は大切な遺産であり、
それぞれの文化は独自の方法でそのビジョンを実行に移すことになるだろう。

私たちは、地球憲章を誕生させたこの地球規模での対話を、

さらに深め、広げなければならない。
なぜなら、真実と知恵を共に探し続けることによって多くを学ぶのだから。

人生には重要な価値観をめぐる対立がよくあり、

それは時として厳しい選択となり得る。
しかし、多様性と統一性、自由な行動と公益、

短期の目的と長期の目標を調和させる方法を探さなければならない。
個人、家族、組織、共同体は、それぞれ大切な役割を持っている。
芸術、科学、宗教、教育機関、メディア、企業、非政府組織(NGO)、

政府などすべてが、

それぞれに創造的なリーダーシップを発揮することが求められている。

効果的な統治には、政府、市民社会、企業のパートナーシップが欠かせない。
持続可能な地球共同体を築くために、

世界中の国々が、国際連合に貢献する決意を新たにし、
既存の国際協定に基づく責務を果たし、環境と開発に関する国際法を用いて、
地球憲章の諸原則の実行を支援しなければならない。

私たちの時代を、生命の新たな尊厳への目覚め、

持続可能性を実現するための確たる決意、
正義と平和を確立するための更なる努力、
そして、喜びと祝福に満ちた生命と共に想起される時代にしようではないか。

https://earthcharter.org/から
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プーチン、習近平のような薄弱な精神の独裁者を世界標準としてはならない。
メディアは人類に責任を負わなければならない。
 

 

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地球憲章インタナショナル ミリアン・ビレラ事務局長に聞く  2024年4月18日

 

 

 

<①生命共同体への敬意と配慮②生態系の保全③公正な社会と経済

④民主主義、非暴力と平和の四つの柱、16の原則からなる地球憲章は、

その内容や成立の過程から、“SDGs(持続可能な開発目標)の原点”
ともいわれています。

ビレラ事務局長は、この地球憲章制定への調整役を担ってこられました〉
  
1992年にブラジルで国連環境開発会議(地球サミット)が行われました。
その後、数年にわたる検討を経て、
人間や社会の倫理的原則を盛り込んだ「地球市民の憲章」としてまとめられたのが

地球憲章です。
 
私は21歳で国連に勤務し、地球サミットの準備などに携わりました。
幸運にも、同サミットで事務局長を務めたモーリス・ストロング氏、

ミハイル・ゴルバチョフ元ソ連大統領ら、
世界の巨人たちと直接仕事をする機会に恵まれました。
 
ソ連の崩壊から数年、

ゴルバチョフ氏は人類の道徳的な羅針盤が不可欠であると感じ、
ストロング氏もまた、民衆自らが選び取る未来への地図が必要と考えていました。
両者とも、国家間の交渉だけでは限界があると痛感していたのです。
 
地球憲章には、地球サミットで採択された宣言をはじめ、

多くの国際条約等の精神が反映されています。
SDGsを建物とするならば、地球憲章はその土台といえるでしょう。
持続可能な未来への目標を達成するための、行動原則を明確にしているのです。
 
地球憲章は国連から生まれたものですが、国連の枠内にとどまらず、
あらゆる人が参加できる運動として発展してきました。
希望の未来を示し、今いる場所からの行動を促しています。
 

 

@ ”盲点”に気付く

地球憲章では、人類が“地球共同体”の一員であり、
「すべての人が、人類家族と生き物全体の現在と未来の幸福に、

責任を分かち合っている」ことが呼びかけられています。
 
具体的な行動に当たって重要なのは、地球市民としての視野を広げること。
自分が見えていない“盲点”に気付くことです。
 
私が学生の頃、母国・ブラジルで痛ましい事故がありました。
病院の跡地から持ち出された光る粉が、

宝石と勘違いされて家々に持ち帰られたのですが、

実はそれが放射性物質のセシウムだったのです。
200人を超える市民が被ばくし、4人が亡くなりました。
 
悲劇を繰り返さないために、何ができるのか。
もちろん、ずさんな管理が一番の問題です。その上で、世の中には、

思いもよらないような未知の事柄や危険があるということです。
 
私がよく知るインド出身の若い女性がいます。
ご存じの通り、インドとパキスタンは緊張関係が長く続いており、
彼女は、パキスタン人は相いれない相手であると言われて育ちました。
 
ですが、地球憲章の精神に触れ、実際にパキスタン人と出会うことで、

彼女は気付きます。
「なんだ。同じ人間じゃないか。しかも、とてもいい人だ」と。

世界の見え方が一変したのです。
以来、「狭い見方を捨てるために対話を」と、運動を共にするようになりました。
 
人には誰しも盲点があります。いつの間にか視野が狭くなり、誤解が生じる。
だからこそ、出会いや対話を通して、そうした既成概念を打ち払う。
地球市民としての自分の立ち位置を知る。

それが、同じ地球に生きる責任の自覚につながるのではないでしょうか。

 

 

〈ゴルバチョフ氏は地球憲章の意義について、こう述べています。
「私は、ソ連邦の大統領として、約50の重要な文書や条約に署名をしました。
しかし、この地球憲章は、そのどれよりも重要です。
私は、われわれの心と頭脳が成し遂げたこの成果を、誇りに思っています。
地球憲章は、何百万の人々の希望と夢を表しているのです」と〉

 

この地球憲章の起草過程に尽力されたのが池田博士です。
草案に貴重な助言を寄せてくださいましたが、さらに重要なのは、

博士が自らの対話の実践を通し、
あらゆる文化的背景の人と絆を結び、行動を共にする精神を示されたことです。
 
地球憲章の作成において皆が特に心を砕いたのは、

何か一つの思想や文化に偏らないということでした。
 
地球憲章は「民衆の憲章」です。文明間の対話を促す内容でなければなりません。
世界中の文化が真摯に研究され、草の根の意見が募られ、

時間をかけて推敲が重ねられました。
 
私も議論の様子を間近で見てきましたが、

世界の巨人たちが言葉の一つ一つを熟考し、
何年もかけて意見を擦り合わせる姿に感嘆したことを覚えています。
 
当時、創価学会インタナショナル(SGI)の方々と協力して、

西洋の考えだけに偏らないように、
アジア各国に足を運び、意見交換したことを思い起こします。
SGIは地球憲章の策定プロセスにおいても多大な貢献をされました。
 
地球憲章が万人の羅針盤となった原動力の一つが、分野や世代、思想や信条を超え、
どんな人とも連帯できるという、池田博士の確固たる信念なのです。
 

 

<ECIとSGIは、「希望と行動の種子」展を共同制作・巡回するなど、
25年以上にわたって共に活動を続けています〉
  
私たちは世界各地で連携を重ねてきました。
どの国の創価学会員も思いやりにあふれ、寛容の気風が息づき、

目的に向かって心を合わせています。
その連帯の姿そのものが、とても価値あるものだと思います。
 
SGIの人があまりに親切なので、親切な人を見かけると、
「あなたもSGIですか?」と尋ねたくなってしまうほどです(笑)。
 
相手のために何ができるのかを、いつも考えておられる。私も同じ気持ちです。
今日、これから会う人に、自分は何を与えられるのか――。
せめて、喜びや前向きな気持ちをもたらしたい。そんなふうに思いながら、

活動を続けています。

@ 使命の宣言

〈創価大学卒業式(本年3月)に出席したビレラ事務局長は、
かつて池田先生がニューヨークのコロンビア大学ティーチャーズ・カレッジ

で行った講演(1996年)で提唱した世界市民の要件を挙げ、

はなむけの言葉とされました。すなわち
①生命の相関性を深く認識しゆく「智慧の人」
②人種や民族や文化の“差異”を恐れず、尊重し、成長の糧としゆく「勇気の人」
③身近に限らず、遠いところで苦しんでいる人々にも同苦し、

連帯しゆく「慈悲の人」の3点です〉
  
池田博士の思想について私が特に関心を持つのが、
「宗教間対話の促進」と「若者を鼓舞する積極的な行動」の二つです。
とりわけ宗教間の対話を促進するために、池田博士は「橋」を架け続けられました。
 
これまでさまざまな対話の場に身を置き、

また、池田博士の生涯を見て私が思うのは、
「橋を架ける」ためには「好奇心」が大切だということです。
 
文化的な背景が異なる人に、むしろ深い敬意を持って、

相手をどこまでも知りたいと願う。
その気持ちが「架け橋」の役割を果たすのではないでしょうか。
 
人間はともすると、「違い」を覆い隠し、自分の視野から消してしまおうとする。
それは好奇心を抹殺する行為に他なりません。
その結果、同じような考えの人が集まれば、知らない人たちへの恐怖が増大し、

やがて敵対視しかねません。

地球憲章には「人類の発展とは、私たちが人間的により成長すること」

との一節があります。その点、私が池田博士の自己変革の理念、

すなわち「人間革命」の哲学で着目しているのは、
自らの向上や成長に、必ず他者との対話や周囲への貢献が伴っている点です。
 
この人間革命の哲学は、地球憲章の精神とも多くの共通点を持つものです。
 
地球憲章では、国や文化を超えて、地球を“一つの生命体”と捉え、
未来の世代に対する使命と責任を宣言しています。
 
池田博士は、万物は互いに関係し、依存し合っているという生命感覚を世界に広げ、
平和の文化として根付かせてこられました。
 
「相手があって自分がある」という生命観に基づけば、
他者への貢献が自己犠牲にならず、無理してやるものでもなくなります。
 
どんな人にも好奇心を持って接し、出会いや語らいを楽しめる自分になっていく。

架け橋となっていく。その人間革命の哲学と実践の広がりによって、

人類全体の幸福感を高めていけるのだと思います。


@ 二極化の中で

<池田先生は地球的な課題に対し、傍観や諦め、

無関心から慈悲の行動へと転じゆく生き方を、特に青年たちに促してきました〉
  
私たちは、まさに変革の時を生きています。未来は変えられるのか。

それとも変えられないのか。可能と不可能の間で、激しいせめぎ合いが続いていて、人々の考えも二極化しているように感じられます。
 
一方は、現実に失望して、世界が良い方向に向かうはずがないと思っている人たち。
もう一方は、「まだ、ここからだ。希望は捨てない。必ず全てを変革していける」

と信じる人たち。
 
どちら側でいたいかと問われれば、私は後者と答えます。

創価学会の皆さんも、きっと同じだと思います。
 
ニュースを見れば、戦争や気候変動をはじめ、

危機ばかりが報じられているように感じますが、

前向きな変化も起き始めていると思います。
例えば、「情報」一つとっても、半世紀前とは比べ物にならないほどの量と速度で

コミュニケーションをとることができる。
絶望の波にのみ込まれてしまうのではなく、暗闇に光る希望に目を向け、

歩むべき道を進むことです。
 
無数の挑戦や課題があることは間違いありません。

しかし、この現実があるからこそ、逆に私は人類の持つ潜在的な力を信じたい。
池田博士が訴えられてきたように、必ず意識変革が起こせると信じています。
 
ブラジルでは、300年以上もの長い間、奴隷制度が続いてきました。
そこに終止符を打ったのは政治かもしれません。
しかし、変革の声を上げたのは人間です。熱意の連帯が、

諦めも無力感も覆したのです。
平和な地球を次世代に託すために、どんな人にも必ずできることがあります。
 
「今日は昨日より地球にいいことができるかな?」と考えてみる。
「ご近所の方に笑顔を振りまく」でもいいと思います。
どんなに些細な一滴でも、それは波紋となって広がります。
 
私たちの希望の一滴が歓喜のさざなみとなり、いつか必ず世界を潤していく。
そう固く信じています。

 

〈プロフィル〉Mirian Vilela ブラジル生まれ。
国連事務局等での勤務を経て、地球憲章制定の運動に参加。
ハーバード大学ケネディスクールで行政学修士号、

ラ・サール大学大学院で教育学博士号を取得。
持続可能な未来へ、世界各地で啓発活動を重ねる。

聖教新聞 2024/04/18 【新企画】識者が語る 未来を開く池田思想
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