高崎に住んでいた頃を思い出す。

 

一人ブランチなので、
あらゆることを一人でやり切らなければならない。
毎日がプレッシャーでもあり、楽しみでもあった。

山岳、湖、森林、古い街並み、、、
毎日はじめての土地を巡ることで、
僕は癒されていたのかもしれない。


いま、物理的に動くことはないけれど、
思いは世界を巡っている。
 

いま、あの頃と同じことをやっていることに気づいた。
だから思い出したんだろう。

 

 

 

高崎             八幡川

 

 

妙義             榛名

 

 

赤城             浅間

 

 

草津             前橋

 

 

草木             足尾

 

 

伊勢崎            桐生

 

 

太田             国定

 

 

渡良瀬川           ぐんま天文台

 

 

20年程前までの5、6年。

 

サーバ構築、ネットワーク構築や保守の仕事で、毎日、

群馬、新潟、長野、栃木の山の中を走り回っていた。

 

ときには、茨城、福島、宮城、秋田、岩手、青森、、、

高崎と前橋が庭だった。

オフィスでも、自宅でも
来る日も来る日も、勉強に明け暮れていた。

前橋のブックマンズアカデミー、高崎の戸田書店には、
毎日のように通って、読み切れないほどの技術書を抱えた。

 

 

 

ワンルームから2K、3Kへ、
本が溢れるとともに引っ越しを繰り返してきた。

すべてが読めたわけではないけれど、
いまも、その頃の本に囲まれている。
それがあること自体が、僕を支えている。

 

2月のはじめから、一日を4つに分けて、仕事の隙間に、
18、9年、特にこの8、9年学んできた分野の知識整理したファイルや書籍で、
次の時代の技術に繋がる領域をピックアップして、
基礎的なことから知識再構築する作業をつづけている。

2月の終わりに、AMと深夜にやることを追加した。

早朝:次の時代の技術の再構築
AM①:自分のベース領域の技術の再構築
AM②:いま主流の技術の再構築
PM :仕事から得た技術をさらに深堀し再構築
夜 :実機・仮想環境での実操作と検証
深夜:思想と歴史に関する読書と思索

いま、3月中旬、
これから2ヶ月程度、AM①にウェイトをかけて、
技術認定の更新のために受験することにする。

 

仕事の上での状況の変化もある。
短期目標を明確にし、緊張感を与えなければ、勝利はない。

それが起爆剤になり、それ以外の領域の知識再構築も加速する。
決勝点は遥か先にある。

 

 

 

つねに、いま自分がいる場所が宮殿であり、道場であり、本陣なのだ。
千里の外がどこなのかは誰にもわからない。
 

 

『直至道場・・・
南無妙法蓮華経と唱え奉るは自身の宮殿に入るなり』
(御義口伝)

『当詣道場・・・
法華経を持ち奉る処を当詣道場と云うなり
此を去って彼(かしこ)に行くには非ざるなり』
(御義口伝)

『謀(はかりごと)を帷帳(いちょう)の中に回(めぐ)らし、
勝つことを千里の外(ほか)に決せしものなり』
(一昨日御書)

 

 

 

僕が、千里の外に決しようとするものが、
どんな姿をしているのか、いま、僕には分からない。

自分だけの幸福はあり得ない。
自己犠牲を他者に要求することは出来ない。
自分に出来ないことを他者に要求するならば、
二重人格か偽善者となる以外ない。


「他人の不幸の上に自分の幸福を築いてはならない。
他人の幸福の中にこそ、自分の幸福もある」
(トルストイ)

『喜とは自他共に喜ぶ事なり』
(御義口伝)

『自他共に智慧と慈悲と有るを喜とは云うなり』
(御義口伝)

 


彼の人の言う。

自分だけのエゴの喜びではない。
他人を喜ばせながら、自分が不幸になり、犠牲になるのでもない。

ことこそが目指すべき道だとするならば、
それは、理屈を超えたところで、
他者から見れば、ある意味での自己犠牲が、
自らの喜びでもあるような人間でなければ出来ない。


僕は、それは出来ると思っている。
というか、日蓮という方と彼の人のおかげで、かつて僕はそこへ到達した。

でも、いつでも、その到達点にいつづけられるかどうかは別だ。

 

だから、何度でも登る。
自分が選ぶ道から登る。道が違えば景色は違う。

それが自分を荘厳し、

登ろうとする者が一人増えるたびに、世界はすこしづつ変わる。


僕は、33年前のあの日から、
再びそこへ辿り着くべく麓から登りつづけている。

 

 

常書鴻画伯「チョモランマ峰」創価学会東京牧口記念会館
 

 

目指す峰が同じだとしても、登攀ルートはいくつもある。
違う登攀ルートを行くことは、多様な文化を生むことでもある。
どのルートを行くにも、最高峰への登攀にはいくつもデスゾーンがある。

 

 

 

 


♦「求道者」には永遠に行きづまりがない。停滞もない。
毎日が戦いであり、毎日が前進である。壁につき当たる時があったとしても、
たゆみなき川の流れが岩盤をも削りゆくような、
“日々挑戦”の、たくましい青年部諸君であっていただきたい。
    
♦世界最高峰の山、チョモランマ(=エベレスト)。
天をついて、厳然と屹立する堂々たる威容。
万年の白雪が孤高の姿をさらに美しく彩り、

あらゆる小事を見おろして微動だにしない。
“さあ、どんな嵐でも来い! どんな吹雪でも来い!”――まさに王者の風格である。
このような人間の王者たれと、日蓮大聖人も、

私どもに教えてくださっていると信ずる。
絵でも高峰の頂を、大空の光が「王冠」のように飾っている。
    
♦目を下方に転じると、厳しき登攀に挑戦せんとする幾人かの人々が、

小さく描かれている。中国の登山隊がモデルと考えられている。
巨大なる山へ、大いなる峰へ、一歩また一歩

――まさに、わが学会青年部の姿と、私は思う。
また、青年部よ、かくあれと、祈るような気持ちで、私は、この登山家たちを見た。
    
♦行く手には、苦難もある。嵐や病や孤独との戦いもあるかもしれない。
“なぜ自分は、こんな苦しい道を自分で選んだのか”と心が動くかもしれない。
しかし負けてはならない。
    
♦私どもは大聖人の真の門下であり、地涌の菩薩である。
断じて一切に打ち勝ち、使命を果たさねばならない。
「広宣流布」は、創価学会員への大聖人の御遺命なのである。
どうか皆さんは、雄々しく自分自身に挑戦しながら、“最高峰の青春”の道を、
“最高峰の人生”の山を、敢然と歩み、登攀していただきたい。

(1992年4月、全国青年部幹部会でのスピーチ)

一番苦しい時に描いた絵画
「チョモランマ峰」の絵は、文化大革命の大弾圧を受けた常書鴻画伯が、

夫人の李承仙画伯と共に描き上げたもの。
1990年11月、常画伯は、この主題を最初に制作した時の真情を、池田先生に語った。

「これは、文化大革命が終わった直後、

私たちがいちばん困難な時期に描いたものです。
今は苦しいけれども、二人で文化の世界の最高峰をめざそう。
そのためには、まず自分たち自身の孤独を乗り越え、

すべての艱難を乗り越えて進もう
――そんな思いで、私たち二人だけの力で描き上げたものです。

だれの手も借りていません。
文化に貢献し、“世界の最高峰”におられる池田名誉会長もまた、
今日にいたるまでの戦いの途中で、

だれにもわからない孤独を乗り越えてこられたことと思います」

 

 

東京牧口記念会館「広宣流布の闘士のための殿堂」