厭世観を煽り、その哀音をもって極楽浄土・天国へ誘い、
哲学すること、現実と格闘することを放棄させ、無条件の救いを説くもの。

悟りでも菩薩でもなく、
救われることを目的とする思想から何が生まれるのか。
 

 

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日本で浄土教系の宗派と言えば、
法然の説いた浄土宗、親鸞の浄土真宗、一遍の時宗が有名ですが、
良忍の融通念仏宗や天台宗も、その教義の中に浄土信仰を取り入れています。

代表的な経典には『無量寿経』『観無量寿経』『阿弥陀経』の三つがあり、
日本ではこれらをまとめて「浄土三部経」と呼んでいます。

『般若経』や『法華経』のような経典そのものの力というよりも、
阿弥陀仏への信仰に力点を置いた教えなので、

「浄土教」という括りで見ていきます。

『観無量寿経』はインドでの成立が疑問視されており、
中国で創作されたのだろうと考えられていますが、
『無量寿経』と『阿弥陀経』については

『法華経』とほぼ同じ頃の成立とされています。

最近の研究では、

ガンダーラ地方で阿弥陀を示すと思われる碑文が発見されたことから、
紀元一世紀頃には教えそのものは成立していたと思われます。

これらの経典が日本に伝わったのは飛鳥時代の頃ですが、
その教えが定着することになったのは、
やはり『法華経』と同じく比叡山延暦寺が開かれて以降です。

九世紀に中国で五会念仏を学び、帰国して天台浄土教の基本を作った円仁や、
十世紀半ばに京の町を中心に遊行遍歴して教えを説いた空也、
ほぼ同時期に『往生要集』を著した源信らが日本の浄土教のルーツと言えますが、
大衆に広めたキーマンは、なんと言っても法然と親鸞でしょう。

平安時代末期から鎌倉時代にかけて、
法然の浄土宗と、その弟子・親鸞の浄土真宗が開かれたのを機に、
浄土教の教えは庶民を中心に爆発的な勢いで拡大していきます。

この流れは今も続いていて、
現在の日本の仏教宗派で信者数が最も多いのが浄土真宗です。

平安時代末期の日本は、律令制国家が崩れて貴族の権力が弱まったことで、
まさに乱世の様相を呈しはじめていました。

 

仏教界も堕落し、寺院が僧兵をかかえて寺同士が争うようになっていきます。

さらに毎年のように各地で天災が起こり大凶作や飢饉が起こり、
大量の病死者や餓死者が続出するようにもなっていました。

こうした生きるのが困難な社会になるにつれ、

世の中には「末法思想」が流行しはじめます。
末法思想とは、

「お釈迦様がなくなってしばらくすると、正しい仏教の教えが衰退し、
現世で悟りを開くのが不可能な時代が訪れる」

という仏教の歴史観のことを指します。

日本では、比叡山を開いた最澄が書いたと言われている『末法灯明記』の中で、
永承七年(1052)から末法の時代に突入する、と説かれていたので、
平安末期はすでに末法の時代に入ったことになります。

それを知った当時の人々は、荒廃が進む世の中と、
末法の時代の到来を結びつけて考えるようになり、

恐れをいだくようになっていきました。

貧困や飢餓に苦しんでいた民衆は、やがて「ここではない別の世界に逃げたい」
と強く願うようになります。そう考えるのも当然で、末法思想では
「この世に救いはない。現世で悟るのは不可能だ」と言っているので、
苦しみから逃れるためにはどこか別の世界に逃げ出すしか道は残されていません。

そんな時代に浄土教では、修行などは一切不要であると言い、
「南無阿弥陀仏という言葉を称えさえすれば、誰もが極楽に往生して成仏できる」
と説きました。

つまり、『般若経』や『法華経』が示した悟りの方法よりも、はるかに簡単かつ
スピーディーにブッダになる方法を示したことで、多くの人が信者になったのです。
 

そこには「自分で努力しなくても阿弥陀様が救いの手を差し伸べてくれる」
という他力本願の思想が大きく関係しています。

貧困や飢餓に苦しんでいる人々は修行に励む気力もなければ、
寺に寄進する財力もありません。
そんなどん底の状況にある人でも、救われる道があることを示したからこそ、
浄土教は民衆の間に爆発的に広がっていったのです。
 

・・・

浄土教では、仏国土には修行に適した世界と適さない世界があると考えて、
さらに理想の世界を追求していきました。

浄土宗を開いた法然は、「極楽浄土にいくには往生したいと自ら願い、
念仏を称えることが大切だ」と説きました。

しかし、親鸞の浄土真宗になると他力の度合いが強まっていき、
「わざわざ願わずとも、阿弥陀様のほうから手を差し伸べて
浄土に呼び寄せくれるのだから、私たちは何もする必要はない」
と考えるようになっていきました。

そうなると念仏を称える意味も変化します。
「すでに私たちは極楽に行くことが約束されているのだから、
念仏は願うためではなく感謝のために称えるのだ」と親鸞は説いています。
 

・・・

極楽浄土に往生できたとしても、
それは仏道修行のスタートラインに立ったにすぎません。
本来ならばそこから菩薩修行が始まるはずなのですが、
不思議なことに浄土教では、次第に「ブッダになること」ではなく、
「極楽浄土に往生すること」を最終目的と考えるようになっていったのです。

『無量寿経』にも極楽往生がゴールだとは一言も書かれていませんし、
法然や親鸞も、極楽に往生することを最終目標だとは考えていなかったと思います。
しかし、極楽に行って、

この世の苦しみから逃れたいと願う信者が増えていくにつれて、
大衆に迎合するかたちで教えが変化していったのでしょう。

最初は「悟り」が目的だったことは間違いありません。
しかし、やがてその目的は「救われること」に変わっていきます。

 

『無量寿経』や『阿弥陀経』には

「極楽浄土とは、苦しみも悲しみもない世界であり、
すべての人は宝石に飾られた宮殿に住み、究極の楽園生活を送る」

といったことが書かれていたため、人々はその部分ばかりに注目するようになり、
いつしか極楽にたどり着くことが最終目的であると考えるようになったのです。

浄土教は仏教と言うよりも、
キリスト教に近い教えになっていったと言えるかもしれません。

 

当時の人たちは「地獄絵図のような現世からなんとか逃げ出したい」
と願ってはいても、「煩悩を消し去って悟りの境地にたどり着きたい」
といった高尚な気持ちを持つ余裕はなかったでしょう。
飢餓や病気や戦いなどで死んでいく人にとっては、悟り云々よりも、
「死ねば必ず極楽に往生して、そこで永遠に楽しく暮らせる」
と言われたほうが、何倍も救いになったはずです。

ただし、じつはこの考えは裏腹で、危険思想につながりかねない面もあります。
「阿弥陀様を信じて死ねば、極楽浄土に往生できる」というのは、
現世の生活に苦しんでいる民衆にとっては「救いの思想」ですが、
国家を統治する側からすれば「やっかいな思想」ともとらえられたのです。

極楽浄土の存在を本気で信じれば、死ぬのが怖くなくなりますよね。
極楽に行けると思えば命も惜しくなくなるので、
どんな強い相手にも立ち向かっていける。
捨て身になった人間ほど恐ろしいものはありませんから、
為政者にとっては脅威になります。

「今の生活が苦しいのは国を動かしている権力者が悪い」と思って、
浄土系の信徒である民衆が一斉に立ち上がれば、
誰にも押さえられなくなってしまうのです。

それが現実になったのが戦国時代に勃発した「一向一揆」です。

キリスト教もユダヤ教も、イスラーム教もヒンドゥー教も、
我が身のこととして教えを突き詰めていけばいくほど、

必ずそうした面が出てきます。

絶対神外部の救済者を崇めるタイプの宗教には、多かれ少なかれ、
そういった捨て身の行為をよしとする側面があるのです。

『別冊 NHK 100分de名著 集中講義 大乗仏教』 佐々木閑
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哀音をもって極楽浄土・天国へ誘い、
哲学すること、現実と格闘することを放棄させ、
無条件の安直な救いを説くものとは、

念仏であり、ユダヤであり、キリストであり、イスラムだ。

 

念仏の極楽浄土も、ユダヤ・キリスト・イスラムの天国も、
所詮、バーチャルな哀音の世界。

 

 

この現実を離れて、人間も世界もない。
なぜ、信じて死ぬことで、お前だけが突然苦しみから逃れられるのか。

ユダヤ・キリスト世界がイスラム世界をいくら破壊しようと、
イスラムが「アッラーは偉大なり」と叫んで自爆しようと、
世界は変わるどころか、憎悪と破壊の連鎖を生むだけではないか。

ユダヤ、キリスト、イスラムがいくら彼らの信仰を語ろうと、
人間も世界も人類の歴史も変えることはできない。

 

お前が殺し、お前が破壊した世界と、
お前が残した者たちを地獄に落としながら、
なぜ、お前のつくりだしたお前の神はお前だけを救うのか。

何千年かかっても何も変えられないお前らの神とお前らが、
これから何万年かけて世界を破壊し尽くすというのか。

 

 

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わが師・戸田城聖先生は、一九〇〇年(明治三十三年)の二月十一日、
北陸・石川県に誕生されました。

平和と人道の信念を貫いて、
軍部政府の弾圧による二年間の投獄を勝ち越えた精神の王者です。

戦後の大混乱の社会にあって、恩師は私たち青年によく問いかけました。
「なぜ、今この時、乱世のなかの乱世に生まれ合わせたのか。
君たちは、この事実をどう考えるか」と。

過酷な獄中で生命の法理を探究し、人間革命の哲学を打ち立てた恩師の結論は、
皆、不幸な人々を救い、幸福と平和の楽土を築きゆくことを、
誓い願って躍り出てきたのだということです。
その使命と責任を深く自覚すれば、
生命に無上の歓喜と光栄が湧き上がってくると励まされました。

生活苦や病苦などを抱え、不遇な宿命を嘆いていた若人たちを、
戦争の悲劇から平和な文化社会を建設しゆく誓願の人生劇の主役へと、
一人また一人、蘇生させてくださった恩は計り知れません。

聖教新聞 2024/02/11 <池田先生の誌上エッセーから>
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押し倒す力。暴いていく力。思想の炎を与えたまえ!