どんなに経験しても
溢れ出す未知の世界
知らないこと知りたいから
苦しいことも 大丈夫
~ 作詞作曲:広瀬香美

 

きょうは午前中。
雨に煙るなか、幕張から高速へ入った。

僕の暮らす街の海岸沿いから、
東京湾の向こうに遠く小さく見えるスカイツリーは、
首都高速の右手に手の届くほど大きいけれど、
いまは雨にかすんでいる。

 

赤坂トンネルをくぐり、外苑で高速を下りて右に曲がると、
そこは信濃町。

ことあるごとに、僕はこの街へ来る。

1989年1月はじめ。

6年離れていた学会組織に戻ろうとした最初の一歩は、
創価学会本部に行き、悩みを打ち明け指導を受けることだった。

「悩んでいるようには見えない。悩むことじゃない」
と言われた。


いま思う。

そこから、僕の人生最大の闘争ははじまった。

1995年1月。

第一次宗門問題の渦中、大学在学当時の学内組織のメンバーに、
彼の人が新たに命名してくださり、学会第二別館での結成大会に出席した。
僕は、そこで彼の人へお手紙を書いた。
ひとこと、「大願」とだけ書いた。

 

阪神淡路大震災が起きた朝、
彼の人は、「大願に立て!」と応えてくれた。

2016年1月はじめ。

僕は、信濃平和会館で祈った。

 

僕の魂の源泉は、いまも彼の人の街、信濃町にある。


僕の仏壇は、1988年暮れに買い替えた鶴丸マークのままだった。
仏具も鶴丸マークのまま、御本尊も日顕書写のまま。
 

御本尊は替えるつもりはない。

僕は、奈落の底へ落ちてからいままで、
この生命の扉から、いまも彼の人と語っているのだ。
僕の発迹顕本の記憶として永遠に忘れないためにも。

「妙法の当体なんだからいいんだよ」と彼の人は言った。

 

仏壇は、当時、15、6万円で買った。
いま、同じようなクラスの仏壇は、20~30万円位だろうか。

これも、このままでいい。
「忘れないことが慈悲なんだ」と彼の人は言った。
 

ただ、さすがに鶴丸マークより、八葉蓮華がいいなと思い、
少し前から仏具を八葉蓮華のそれに買い替えている。

きょうは、徳利を買い替えるのと、
彼の人のご逝去が記された過去帳に替えるのと、
もうひとつ、『池田大作先生の指導選集』[上]「中」「下」を買うためだ。

ネットでも、地元の金剛堂でも買えるけれど、
きょうは信濃町へ行きたかった。

この街は、心を清めなければ行けない、
僕にとっては特別なところだ。
 

 

いつもは、そのまま高速にのって帰るのだけれど、
きょうは、高速にはのらず、外苑から青山をまわり、
国道246号から湾岸357号を行った。

はじめて通る脇道から、ここも思い出のある青山墓地の真ん中を通り、
246号へ出て、虎ノ門、霞が関、赤坂見附、溜池、、、、

いずれもかつて仕事で通った懐かしい街、

 

半蔵門、国立劇場。

2017年6月18日、創作舞踊を観た。

あの日も雨だった。


日本舞踊 未来座 賽(SAI)

”水が流れるように、時代に漲る踊りがある。”

「水ものがたり」
「女人角田~たゆたふ」
「当世うき夜猫」
「擽 - くすぐり-」
 

 

 

 

お濠沿いの道を、
国会、日比谷から銀座へ。

2017年4月28日、能・狂言を観た。
 

観世能楽堂

能 ”鷺”
狂言 ”昆布売”
仕舞 ...
能 ”羽衣”


唐織(からおり)を着た女性が身じろぎしないで座っている。
『井筒』の曲といったらどこまでも静寂な、と、そればかり考えていた。
静かな所ほど発散するエネルギーが感じられていないと拮抗できない。
~「能はこんなに面白い!」 (内田樹、観世清和)
 

 

 

彼の人の胡蝶蘭があることに驚いた。

 

 

1991年のクリスマスの頃。

創価学会は日顕から破門通告され、魂の独立へと向かっていた。
埼玉の行田から、深夜ここ銀座まで車を走らせた。

一件だけ開いていたモスバーガー。

お金がなかった。
ACOMでキャッシングして食べた。

苦しいときほど、
小さな一つが、生涯消えない思い出となる。

 

歌舞伎座のあるビル。

2013年の冬、ここで仕事をしていた。


晴海の古いビルにあるデータセンター。

2013年の秋、ここでの仕事で橋を歩いて渡った。

豊洲、台場。

ここでも、ゆりかもめに揺られて仕事をした。

その他、品川、芝浦、五色橋。

 

 

通信関連の仕事は、
なぜか湾岸に集中している。

有明から左へ折れ、湾岸道路357号ヘ入る。

木場は、28年前、草加に住んで、
運送会社のトラックドライバーとして数か月働いていた頃、
アルバイト雑誌で見つけた面接を受けに行った所。

当時そこに本社があった会社に、
僕は10年余り勤めて、それがいまに繋がっている。
 

 

僕の人生は、4つに分かれている。

・大学を卒業するまでの石神井公園と大泉学園。
・80年代初めから90年代半ばまでの、海も山もない埼玉の行田。
・90年代半ばから00年代半ばまでの、群馬・長野・新潟・栃木・福島の山の中。
・00年代半ばから今までの、湾岸。

あとは、海の中か、空の上だろうか。

 

このペースではダメだ!
ここ数日、考えた。

一日を4つに分けたけれど、
そのうちの2つをさらに分け、加速することを決意した。