僕の魂の出会いは、1988年6月30日にはじまった。

「生命は生命と出会うと輝き出て磁気を帯びるが、
孤立すれば消え入ってしまう。
生命は自らとは異なった生命とまじりあえばまじりあうほど、
他の存在との連帯を増し、
力と幸福と豊かさを加えて生きるようになる」
(ミシュレ『民衆』)

その出会いが、
僕を、さらに二人の人間へと、
精神の高みへと導いてくれた。

 

 

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@ 出会いについて――ロマン・ロランとトルストイ

魂の出会いの多くは、偶然のごとき姿をみせながら、
その実、真実を求めてやまない自らの熱き心の結実であり、
その軌跡はある意味で、
必然の様相さえ呈しているように思えてならない。

よき「出会い」は、それを持った人の心に、
よき思い出として豊かに飾られていく。
反対に悪しき出会いを重ねた人生は、灰色の後悔で暗く彩られる。

いかなる才能や能力に恵まれているか、ということ以上に、
自身の中に眠っているものを、触発し、
磨き顕してくれる「出会い」を持てるかどうかが、
人生にあって重大な意味を持つともいえようか。
 

 

 

@ 今日を超える――『三太郎の日記』に思う

青春とは、ある意味では
ひたむきさの異名であるといえるかもしれない。
より高いもの、より深いものを求めて、ひたむきに、
がむしゃらなまでに一直線に突き進んでいくエネルギーを失えば、
もはや青春の輝きはないともいえよう。

私の若いころ、青年の必読書といわれていたものに、
阿部次郎の『三太郎の日記』(『現代日本文学集』筑摩書房)がある。
優れた資質を持った青年の赤裸々な内面生活の告白として、
多くの読者を持っていた。
その中に、次のような一節がある。

「生活の焦点を前に(未来に)持つ者は、
常に現在の中に現在を否定するちからを感ずる。
現在のベストに活きると共に現在のベストに対する疑惑を感ずる。
ありの侭の現実の中に高いものと低いものとの対立を感ずる。
従つて彼の生活を押し出す力は
常に何等かの意味に於いて超越の要求である」

生命は刻々と変化する。
それが人間としての堕落に向かうか、向上へとつながるか。
道は二つしかない。
変化しないと思うのは、
後退を自覚できぬ自身の停滞のゆえであろう。
その二つの道を分けるのは、
自らを「超越しよう」とする一念を持続できるか、どうかにある。

人間は本能のままに生きる動物とちがって、何かを目標とし、
少しでも進歩・向上しようとするものであり、
またそれができるのが人間である。
まして、人生の骨格をつくる青春時代は無我夢中でよい。
極端な表現を使えば、一事に没頭していつ春が過ぎて、夏が来たか、
季節の移り変わりさえわからぬほど、
全身全霊を込めて前進また前進を重ねる時期があってもよいと思う。
そうした情熱の日々は生涯、命の鍛えとなって刻まれ、
のちのちまで人生の旅の歩みを支えるにちがいない。

 

 

 

@ 知と無知の戦い――先覚者ブルーノに見る迫害と人生

宗教裁判にあって所説の撤回を求められた時
「それでも地球は回っている」との名言を残した
というエピソードで有名なガリレオ・ガリレイらとともに
天文学の“コペルニクス革命”を継承した
ジョルダーノ・ブルーノ(一五四八年―一六〇〇年)も、
迫害の人生を雄々しく生きぬいた一人である。

有名なコペルニクスの死後五年目に生まれた彼は、
十七歳で修道院に入るが、
「真理」への真摯な姿勢と「知」への情熱から、
カトリックの教義に根本的な疑問を持つにいたった。

そして彼は「異端」の嫌疑をかけられ、
二十八歳で修道院を飛び出す。
以来、十五年余、スイス、フランス、イギリス、
ドイツなどヨーロッパ各地を旅行し、
研鑚と研究の青春時代を送る。
その結晶として“宇宙無限論”ともいうべき考えを生みだす。
 

最後にイタリアへ戻ったブルーノは捕えられ、
一説によれば以降六年間、
亜鉛板ぶきの屋根裏部屋に監禁され、孤独な生活を送る。
さらにローマに移され、そこで二年にわたり審問を受けるが、
最後まで信念を曲げず、ついに一六〇〇年、
宗教裁判によって火あぶりの刑を受け、その生涯を閉じている。
壮絶な最期であったが、彼の思想的影響は大きかった。

その影響はフランスの哲学者デカルト、オランダの哲学者スピノザ、
ドイツの数学者ライプニッツ、ドイツの文学者ゲーテなどにも及んでいる。

ブルーノの生涯と思想については清水純一氏のすぐれた研究があるが、
その宇宙論は、「宇宙は無限の拡がりであるが故に、
無数の万物を包み、しかも万物はそのなかで生成流転を繰り返しながら、
それらを包む宇宙は永遠不変である。
その展開された姿においてさまざまの差異・対立を含みながら、
宇宙そのものは、『ありうるものすべてを包み、しかもそれらに無関心』
な一として存続している。
したがって宇宙そのものには上もなければ下もなく限界もなければ中心もない。
消滅もなければ生成もない。(中略)
無限なる宇宙のなかには無数の天体(世界)が存在し、
そのなかでまた無数のアトムが離合集散を繰り返している。
したがって、この地球(世界)と同様の世界は他にも存在するはずだし、
われわれ人間同様あるいは
『よりすぐれたものも、どこかに住んでいないとは考えられない』」
(『ジョルダーノ・ブルーノの研究』創文社)というものであった。

さらに清水氏によれば、当時の人々に広く受け入れられていた天動説では、
宇宙の中心は地球であり、
その地球の中心はローマ(裏側の中心はイエルサレム)であるとされていた。
したがって、天体の諸遊星はローマ教会を中心に回っているとされており、
それが、ローマ教会の尊厳性の証の一つとされていた。

 

ブルーノは、この理論的基盤に結果的に
真っ向から反対することになる地動説の立場を踏襲しただけでなく、
自身の樹立した自然観と宇宙論哲学をもとに、生命の輪廻や宇宙の永遠性、
そして人間と同様の生物が他の天体に存在する可能性を主張した。

こうした考えは、仏教とも相通じているが、
無論、当時のキリスト教の教義とは相いれぬ考え方であった。
ブルーノの宇宙論は、
聖書に説かれた“救い”に対する有害な思想として迫害された。
教会の教義では、人間は神に選ばれた存在であり、
他の物に生まれ変わるなどということはありえないことであった。
また、宇宙が無限であり、
地球のほかにも同様の星が無数に存在するという考え方は、
“宇宙は神の手で人間のためにつくられ、
また神のおぼしめしによって地球には特権が与えられている”
といった教義に矛盾するものであった。
したがって、ブルーノの諸説は異端であり、
有害な思想として弾圧と迫害に見舞われることになる。

 

ブルーノは、信念を貫いて戦い続けた。彼は次のように言っている。

「哲学的自由の尊重のために、私がひたすら守ってきたものは、
目を閉じることなく、はっきりと見開け、という教えであった」

「それ故に私は目に見た真実を隠そうとはせず、
それを赤裸々に表明することを怖れない。
光と闇、知と無知との戦いが永劫に続けられるように、
憎悪、口論、騒擾、攻撃は到る処で繰り返され、
しばしば生命さえもが脅かされる。
それは愚かしく粗野な大衆によるだけではなしに、
無知の元凶ともいうべき学者たちによってさえ惹き起こされるのである」

さてブルーノに対しては、
二百六十一項目にわたる異端の嫌疑について審問が行われた。
その背景には彼の人間観があったとされる。
すなわち“人間は人間であって、決して人間以外のものではない”
というのが彼の人間観であった。
彼は徹底してキリストを「神」としてではなく、「人間」としてみたのである。
ジョン・ドレイパーが『宗教と科学の闘争史』(平田寛訳、社会思想社)
で指摘しているように、
ブルーノは“人間の信仰”のために“みせかけの信仰”と戦い、
“道徳も信義もない正統派”と戦ったのである。

そしてブルーノは火あぶりの刑を宣告されるさい、
裁判官に「思うに、貴下が私に宣告をくだすのは、
私がその宣告をうけるよりも、その恐怖は大きいであろう」
と言い放ったという。
 

そこには信念に生きぬく人間の生きざまと、
必ずやその信念が後継されるという毅然たる確信がある。
まさに先駆者の歴史は、光と闇、知と無知の戦いである。
ブルーノはいかなる権力者、神学者たちの攻撃、迫害をも恐れなかった。
彼は自己の信念と、人間の英知の光に生きぬき、殉じた不屈の生涯であった。

歴史的偉業は、決して平坦な道程の上に出来上がったものではない。
むしろ、迫害や苦難の悪気流のなかでこそ
想像を絶する歴史と後世への奇跡ともいうべき記念碑が、
建てられているともいえよう。

かの若き時代のニーチェも『反時代的考察』で、
こうした悪気流をこのように糾弾している。

「鈍重な習慣が、卑小なものと低劣なものが世界の隅々を満たし、
重苦しい地上の空気としてすべての偉大なものを取り巻いてたちこめ、
偉大なものが不死に向かって行くべき道の行くてに立ちふさがって、
妨害し、たぶらかし、息をつまらせ、むせかえらせる」
(『ニーチェ全集』理想社)

 

歴史的な偉業を振り返るとき、常に私の胸に迫ってくるのは、
苦難を自身の糧として人生を生きぬいた人間の生命の強靭さである。

ブルーノに限らず、
ある人間の勝利が、他者にとってもその実存に迫るような力を持つのは、
自己の信念を貫き通してある地平に抜け出た時、
それはすでに一個人の領域にとどまらず、
生の普遍的な質にまで深化されたものとなるからではないだろうか。

そして、人生にそうした決定的な勝利の瞬間が訪れることがあるとするならば、
それは自己の全存在に猛然たる勢いで襲いかかり、
圧倒しようとする苦難と全生命をもって格闘し、
乗り越えようとする時に、すべてのものの持つ意味を新たにするような、
創造がなされた瞬間ではなかろうか。
その瞬間に、胸中に赫々たる太陽が昇りゆくように、歓喜がほとばしり、
何人も打ち消すことのできぬ凱歌が奏でられるにちがいない。
とするならば、どこまでも自己に徹し、
自らの生命に生きぬく強靭な人格にあっては、
苦難こそ新たなる創造へと跳躍しゆく飛躍台であるとすらいえるだろう。
つまるところ、一個の人間の生涯の放つ光彩は、
すべての卑小なものや低劣なものに抗して、
いかに“不死の道”を歩みぬいたか――。
その足跡によってさらに輝きを増していくにちがいない。

『私の人間学』池田大作
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