僕の人生の最大の試練のときは、昭和の最後の年にはじまった。

1988年の暮れから1991年の春までの2年半。

僕は「日蓮大聖人御書全集」「私の人間学」に魂が吹き込まれていた。

1989年6月。

天安門事件の中国を激しく罵倒したことから、
僕の試練は加速し、奈落の底へ落ちていった。
 

世界は、ベルリンの壁崩壊、湾岸戦争、
南アフリカのアパルヘイト撤廃と激しく動いていた。

 

1990年7月。

訪ソから帰った彼の人は、大石寺にいた。

法主・日顕の前で、机を叩いて怒りを爆発させた彼の人は、
そのあと、大石寺で行われていた学生部の夏季講習会で、
権威・権力を糾弾する激しい言葉を吐いた。

聖教新聞の片隅に小さな記事が載っていた。
僕ははっきり覚えている。

僕はその頃、
彼の人の言葉を、魂に刻み込むように、ノートに書き留めていた。

境涯の大きさは天地雲泥だけれど、僕の人生最大の闘争が、
彼の人の生涯最大の闘争とともにあったことが、僕の最大の誇りだ。

 

『日蓮が法華経を弘むる功徳は、
必ず道善房の身に帰すべし。あらとうと、とうと。
よき弟子をもつときんば、師弟仏果にいたり、
あしき弟子をたくわいぬれば、師弟地獄におつといえり。
師弟相違せば、なに事も成すべからず』(華果成就御書)

 

 

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八九年(平成元年)のヨーロッパ訪問では、
イギリスのマーガレット・サッチャー首相、
スウェーデンのイングバル・カールソン首相、
フランスのフランソワ・ミッテラン大統領らと語らいの機会を得た。
この訪問では、フランス学士院芸術アカデミーの招きを受け、
学士院会議場で、「東西における芸術と精神性」と題して記念講演を行っている。

さらに同年、オーストリアのフランツ・フラニツキ首相、
コロンビアのビルヒリオ・バルコ大統領と会見。
大統領との語らいでは、同国の「功労大十字勲章」が親授された。

九〇年(同二年)五月の第七次訪中では、
李鵬首相、中国共産党の江沢民総書記と胸襟を開いて対話を交わした。

そして同年七月、第五次訪ソで、
ミハイル・セルゲービッチ・ゴルバチョフ大統領と

クレムリンで初の会談が行われたのである。

伸一は、ユーモアを込めて語りかけた。
「お会いできて嬉しいです。今日は大統領と“けんか”をしにきました。
火花を散らしながら、なんでも率直に語り合いましょう。

人類のため、日ソのために!」

 

SGI会長の山本伸一の言葉に、ゴルバチョフ大統領もユーモアで返した。
「会長のご活動は、よく存じ上げていますが、
こんなに“情熱的”な方だとは知りませんでした。私も率直な対話が好きです。
会長とは、昔からの友人同士のような気がします。
以前から、よく知っている同士が、今日、やっと直接会って、
初めての出会いを喜び合っている――そういう気持ちです」
 

伸一は、大きく頷きながら応えた。
「同感です。ただ大統領は世界が注目する指導者です。
人類の平和を根本的に考えておられる信念の政治家であり、
魅力と誠実、みずみずしい情熱と知性をあわせもったリーダーです。

私は、民間人の立場です。
そこで今日は、大統領のメッセージを待っている世界の人びとのため、
また後世のために、私が“生徒”になって、いろいろお聞かせ願いたい」
 

大統領は、あの“ゴルビー・スマイル”を浮かべて語った。
「お客様への歓迎の言葉を申し上げる前に先を越されてしまいました。
“生徒”なんてとんでもないことです。
会長は、ヒューマニズムの価値観と理想を高く掲げて、

人類に大きな貢献をしておられる。私は深い敬意をいだいております。

会長の理念は、私にとって、大変に親密なものです。
会長の哲学的側面に深い関心を寄せています。
ペレストロイカ(改革)の『新思考』も、

会長の哲学の樹の一つの枝のようなものです」

 

伸一は、自分の思いを忌憚なく語った。
「私もペレストロイカと新思考の支持者です。私の考えと多大な共通性があります。
また、あるのが当然なんです。私も大統領も、

ともに『人間』を見つめているからです。人間は人間です。共通なんです。

私は哲人政治家の大統領に大きな期待を寄せています」

伸一は、二十五年前、「人間性社会主義」の理念を提唱したことがあった。
大統領は「人間の顔をした社会主義」をめざして改革の旗を掲げた。
人間という普遍の原点に立つ時、すべては融合し、結合することが可能となる。

ゴルバチョフ大統領は、山本伸一の社会・平和行動について言及していった。
「私は会長の知的・社会的活動、平和運動を高く評価していますが、
その理由の一つは、あらゆる活動のなかに、

必ず精神的な面が含まれているからです。
私たちは今、『政治』のなかに、一歩一歩、

道徳やモラルという精神的な面を盛り込んでいこうとしています。
困難なことですが、それができれば、すばらしい成果をあげられると思っています。
現在、人びとは、それを考えられないと思うかもしれないが、

私は可能だと信じたい」

 

二人は、「政治」と「文化」の同盟・統合の大切さでも、意見の一致をみた。
さらに、日ソ関係、ペレストロイカの現状と意義、青年への期待など、

幅広く意見交換した。

大統領との会談にあたって、伸一には、一つの“宿題”があった。
というのは、戦後四十五年がたとうとしているのに、

ソ連の国家元首が日本を訪れたことはなく、
ゴルバチョフ大統領の訪日が実現するか、注目されていたのである。

しかし、この二日前に日本の国会代表団との会見が行われたが、
大統領が、訪日に言及することはなかった。

伸一は、大統領に、こう切り出した。
「新婚旅行は、どこに行かれたのですか。

日本には、どうして来られなかったのですか」
そして、笑みを浮かべて言葉をついだ。

「日本の女性は、大統領がライサ夫人とお二人で、隣国である日本へ、
春の桜の咲くころか、秋の紅葉の美しい季節に、必ずおいでになっていただきたい、と願っています」

 

「ありがとうございます。私のスケジュールに入れることにします」
即答であった。伸一は重ねて要請した。

「日本を愛し、アジアを愛し、世界平和を愛する一人の哲学者として、

大統領の訪日を念願しています」

 

大統領は、「絶対に実現させます」「幅広く対話をする用意があります」

「できれば春に日本を訪れたい」と明言した。
新しい時代の扉が、大きく開かれようとしていた。

ゴルバチョフ大統領は、山本伸一との語らいのなかで、

自分の率直な真情を口にした。
 

「私は、どのようなテーマでも、取り上げたくないものはありません。
すべて、言いたいことを言ってください。私もそうします。
今まで日本の方とは、あまりにも紋切り型な対話が多かった。
ともかく、お互いに協調の歩みを始めれば、

問題は、そのなかで解決していくものです。
偉大な国民が二つ集まって、いつまでも『前提条件』とか、
『最後通告』などと言っているようではダメです」

 

伸一は、大統領の対話主義の信念を見た思いがした。
対話は、権威や立場といった衣を脱ぎ捨てて、

率直に、自由に、あらゆる問題に踏み込んで、
双方が主張をぶつけ合ってこそ、実りあるものとなる。
また、初めに結論ありきという姿勢ではなく、
柔軟に、粘り強く、何度でも語り合っていくなかから、

新しい道が開かれていくのである。

語らいは、約一時間十分に及んだ。
 

伸一と大統領との会見は、即刻、世界に打電された。
ソ連国内では、モスクワ放送や共産党機関紙「プラウダ」、

政府機関紙「イズベスチヤ」などで大々的に報じられた。

大統領が訪日を言明したことは、視界が開けなかった日ソ関係に、

新しい交流の光が差したことを意味していた。

日本では、その晩から、二人の会見と「ゴルバチョフ大統領訪日」のニュースが、
NHKをはじめ、テレビ、ラジオで流れた。

また、全国紙などがこぞって、一面で報じた。

 

大統領は、会談翌年の一九九一年(平成三年)四月、約束通り、日本を訪問した。
伸一は、東京・迎賓館に大統領を表敬訪問した。再会を喜び、対話が弾んだ。
伸一は、大統領が安穏の日々をあえて振り捨てて、ソ連のため、人類のために、
ペレストロイカという現実の“戦闘”に飛び込んだ勇気を心から賞讃した。
二人は、日ソの「永遠の友好」を、共に強く願い、語り合った。
未来を照らす、“友情の太陽”は赫々と昇ったのだ。
 

「ビバ! マンデラ!」
一九九〇年(平成二年)十月三十一日、東京・信濃町の聖教新聞社前は、

五百人ほどの男女青年の歓呼の声に包まれた。
この日、山本伸一は、青年たちと共に、

南アフリカ共和国の人種差別撤廃運動の指導者である、
アフリカ民族会議(ANC)のネルソン・マンデラ副議長を迎え、

会談したのである。

副議長は、投獄一万日、二十八年に及ぶ鉄窓での「差別との闘争」に勝利した、

人権闘争の勇者である。
この翌年には、ANCの議長となり、九四年(同六年)には、
全人種が参加して行われた南ア初の選挙で、大統領に就任することになる。

 

「“民衆の英雄”を満腔の敬意で歓迎いたします!」
車を降りたマンデラ副議長に、伸一が語りかけると、彼は、穏やかな笑みで応えた。
「お会いできて光栄です。日本に行ったら、

ぜひ、名誉会長にお会いしなければならないと思っていました」

伸一は、この獄中闘争に言及した。
「貴殿が牢獄を“マンデラ大学”ともいうべき学習の場に変えた事実に、

私は注目したい。
どこにいても、そこに『教育』の輪を広げていく。
人間としての向上を求めてやまない。その情熱に打たれるんです」

向上への不屈の信念がある人には、すべてが学びの場となる。

山本伸一がマンデラ副議長の功績を讃えると、副議長は応じた。
「温かい歓迎に感謝します。

名誉会長は、国際的に有名な方で、わが国でもよく知られています。
人類の『永遠の価値』を創りながら、

その価値で人びとを結ぶ団体のリーダーとしての役割は、世界的に重要です」
 

そして、「名誉会長とSGIのことを聞いて以来、

私は、ぜひ、お会いしたいと願っていました。
日本に来た以上、お会いするまでは帰れません」と述べ、微笑みを浮かべた。

 

それから、目を輝かせて言った。
「名誉会長との会見は、『啓発』と『力』と『希望』の源泉と思っています」

偉大なるリーダーは、対話を大切にし、そのすべてを、前進の糧としていく。
伸一は、恐縮しながら、マンデラ副議長が出獄以来、世界を東奔西走して、
反アパルトヘイト(人種差別撤廃)運動への支援を訴えていることを賞讃した。
副議長は、アフリカや欧米等の約三十カ国を訪問し、各国首脳と会談。
さらに、アジア、オセアニアを巡っているのである。

 

伸一は、反アパルトヘイトの運動を、末永く支援する意味から、次々と提案した。
「アフリカ民族会議からの、アフリカの未来を担う留学生を、

創価大学が受け入れる」
「南アフリカの芸術家などを招き、民音での日本公演を行いたい」
「仮称『アパルトヘイトと人権』展という総合的な展示会を開催し、

しかるべき国際機関とも連携し、海外での巡回も行う」
「仮称『反アパルトヘイト写真展』を日本で開催する」
「アパルトヘイトをはじめとする多様なテーマで、

『人権講座』を日本各地で開催する」

 

それは、教育・文化交流を通して、日本と南アフリカの友好を促進するとともに、

人びとの意識を啓発し、
日本に、世界に、人権擁護の波を大きく広げていくことが大切であるとの、

強い思いからの提案であった。
人びとの意識の改革がなされてこそ、「人権の世紀」は開かれる。

山本伸一は、マンデラ副議長の行動は、

広い意味での人間教育者の役割を担ってきたと述べ、
その功労に対して、創価大学から最高栄誉賞を贈りたいと伝えた。
そして、同席していた学長から同賞が副議長に手渡された。

さらに、伸一は、南アフリカ共和国は「花の宝庫」と呼ばれ、
喜望峰一帯では七千種を超える植物が育っていることに触れ、
仏典の王・法華経には、「人華」という美しい言葉があることを紹介した。
 

「人華」の語は、法華経の「薬草喩品」にあり、
この品では、さまざまな衆生を多様な草木にたとえながら、
仏の教えの慈雨は遍く降り注ぎ、平等に仏性を開花させることを説いている。

この法華経に代表されるように、仏教は発祥以来、あらゆる差別と戦ってきた。
カースト制度をはじめ、人種、民族、国籍、宗教、職業、階層、

出自等々による一切の差別を否定している。
それゆえに、既成の体制や権力から、無数の迫害を受けた。
日蓮大聖人も自らを「旃陀羅が子」と言われ、
差別される側である、社会の最底辺に身を置きながら、

絶対平等の仏法思想の流布に戦われた。

伸一は、こうした、いわば仏法の人権闘争の歴史と精神を踏まえ、
SGIは、仏法を基調に、あらゆる人びとに開かれた

「平和」「文化」「教育」の運動を推進するものであることを訴えた。
さらに、未来を展望する時、国家発展の因は、「教育」であり、

知性の人が増えることは、
「より多くの人びとが社会の本質を見抜き、

『善』と『悪』とを明確に判断できるようになる」と語った。

 

また、人権闘争の英雄である副議長に、尊敬と賛嘆の思いを込めて一詩を捧げた。

「私は もろ手をあげて称えたい
その偉大なる精神の力を
その不撓なる信念の力を
そして
満腔の敬意をもって呼びたい
誇り高き『アフリカの良心』にして
人道の道を行く我が魂の同志――と」

マンデラ副議長に贈る詩を、通訳が朗読し終えると、
山本伸一は立ち上がって、“人権の闘士”と固い握手を交わした。
感動の面持ちで、伸一の手を握る副議長に、伸一は言った。

 

「『同志』が、日本にもいることを忘れないでください。
世界にもいます。後世に、もっと出てくるでしょう」

そして、最も感銘を覚えた言葉として、
副議長が獄舎から解放された直後(一九九〇年二月)の演説で、

結びの部分で述べた言葉を読み上げた。
それは、二十六年前の裁判で、マンデラ自身が語った言葉の引用であった。

 

「『私は、白人支配と、ずっと戦ってきた。黒人支配ともずっと戦ってきた。
私は、すべての人びとが、ともに仲良く、平等な機会をもって、
ともに暮らすことのできる民主的で自由な社会という理想を心にいだいてきた。
それは、私がそのために生き、実現させたいと願っている理想である。
しかし、もし必要ならば、その理想のために、命を捧げる覚悟である』
(『NELSON MANDELA Conversations with Myself』Farrar, Straus and Giroux)

この言葉には、貴殿の魂が凝縮しています。
私も『平和の闘士』『人権の闘士』『正義の闘士』の道を歩いているつもりです。
ゆえに、この言葉が、深く私の胸に共鳴してやまないのです」

 

副議長は語った。
「私たちが、今日、ここで得た最大の“収穫”は、名誉会長の英知の言葉です。
勲章は、いつか壊れてしまうかもしれない。

賞状も、いつかは焼けてしまうかもしれない。
しかし、英知の言葉は不変です。

その意味で私たちは、勲章や賞状以上の贈り物をいただきました。
名誉会長のお話をうかがい、私たちは、この場所を訪れた時よりも、
より良き人間になって、ここを去っていくことができます。
名誉会長のことを、私は決して忘れません」

「私の方こそ、今、言われた以上に、深く感謝しております」
真実の対話は、互いに啓発を与え合う。

 

マンデラ副議長と山本伸一の語らいは弾み、予定された五十分の会見時間は、

瞬く間に過ぎた。
会談を終え、共に歩みを運びながら、伸一は言った。

「偉大な指導者には迫害はつきものです。これは歴史の常です。
迫害を乗り切り、戦い勝ってこそ偉大なんです。

これからも陰険な迫害は続くでしょう。
しかし、真実の正義は、百年後、二百年後には必ず証明されるものです。

お体を大切に!」

 

それは、伸一自身が、自らに言い聞かせる言葉でもあった。
人間として、人間のために戦う二人の魂は、熱く響き合ったのである。
伸一の平和をめざしての人間外交は、その後も、ますます精力的に続けられた。
それは、魂と魂の真剣勝負の触発であった。

 

「新・人間革命 池田大作」 第30巻 誓願
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人生は戦いだ!
戦い続ける中に
自身の向上がある。
幸福の軌道がある。
大福運の栄冠がある。
~ 2006年4月19日 わが友に贈る


「いつかやろう」との
弱き一念は後退の因。
「今」動いてこそ
発展の道は開かれる。
一日を悔いなく飾れ!
~ 2016年5月21日 わが友に贈る


”できない”ではなく 
”どうしたらできるか”
工夫と努力を重ねよう! 
自身の弱い心に勝てば
活路は必ず開ける!
~ 2016年11月24日 わが友に贈る


「継続」は力なり。
地道な実践の中で
勝利の土台は築かれる。
自分なりの歩幅で
今日も着実な一歩を!
~ 2023年11月1日 わが友に贈る
 

僕が、難局に直面するたびに、
僕が、限界を一つ越えるたびに、
彼の人は、僕を次の山へと導いてくれた。

数え切れない。
そのすべてが、いまの僕をつくっている。

誰一人置き去りにしないために、キミはいる。
キミを一人にしないために、僕はいる。

 


最後の『リトル・ガール・ブルー』は、
それを聴く者の肩を力強く抱くように語りかける。
彼女は音楽を聴く者と一緒にいる。
音楽を聴く誰かを一人にしないために、彼女はいる。
~『ジャニス:リトル・ガール・ブルー』津村記久子