僕は、空論を語っているのではない。

僕は、日々、自分の目の前の現実と格闘しながら、これを書いている。
これは、リアルタイムの現在進行形の、僕の信仰体験の記録なのだ。


創価学会とは何なのか。
日蓮仏法とは何なのか。

自分自身を人体実験の被検者とする実験証明の場なのだ。

 

南無妙法蓮華経を唱える教団は多い。
だが、偽物は本物に近ければ近いほど罪は重い。
なぜなら、最後には必ず裏切られるからだ。

 

いまの習近平中国と同じような、強権国家の軍国主義日本で、

偽物は何をしたのか。

 

歴史がすべてを語っている。

『日蓮を用いぬるともあしくうやまはば国亡ぶべし』
(種種御振舞御書)


昨年の暮れ、12月28日。
僕は書いた。

 

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2023年は、年頭から勉強に明け暮れた一年だった。

あの日から30数年、
追い求めつづけてきたもの。

その先にある新しい技術を、まず2つ。
それから、僕のこれまでの領域をさらに深める技術。
さらに、次の時代への扉を開くコア技術。
次に、この2年取り組んできた時代の主流の技術。
その次に、この1年取り組んできた次の時代の技術。
そしてこの2ヶ月、もう一つの次の時代の技術に取り組んでいる。
これに、あと1か月かける。

この渦中で、彼の人はいなくなってしまった。
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昨年の11月から、2ヶ月半取り組んできた技術の一つのマイルストーンとして、
先週後半、技術研修を受けた。

研修は、僕が18年前まで勤めていた会社。

さすがに、この領域に挑戦しようとする人はレベルは高く。
2ヶ月半、勉強したとはいえ、
僕は、オペレーションについていくのがやっとだった。

かなり落ち込んだ。


僕は、記憶力、素早い認知、素早く捌くのが苦手だ。
これは物心ついた子供の頃から変わらない。
僕は、本質を捉えようとしてしまうのだ。
だから愚鈍に見えてしまう。

『愚者のあなづる道理なり』

迫害を受けるのは当然な人間なのだ。

しかし、現実を生きる限り、それを避けては通れない。


でも、本質を掴もうとする姿勢は貫いた。
それが、最後に僕に希望の力を与えてくれた。

僕の人生は、このくり返しなのだ。
それで、迫害の嵐のなかを、今まで生き抜いてきたのだ。

 

 

35年前の冬から、
日蓮大聖人と彼の人の二人だけが、
僕が行くべき道を、常に指し示してくれた。

あるときは、
信念を貫くためには、奈落の底へ落ちるべきだと。


誰か、かつて流罪をたたえる歌をうたったものがいるだろうか?
嵐のなかで人間を高め、きびしく強制された孤独のうちにあって、
疲れた魂の力をさらに新たな秩序のなかで集中させる。
すなわち運命を創りだす力であるこの流罪を、
うたったものがいるだろうか?

自然のリズムは、こういう強制的な切れ目を欲する。

それというのも、奈落の底を知るものだけが
生のすべてを認識するのであるから。
つきはなされてみて初めて、
人にはその全突進力があたえられるのだ。



またあるときは、


死ぬことによってその名が不朽となると思えば、
そこで戦い死んでいきなさい。
永遠のその名が歴史に残るであろう。

また生きなければ大業を成就できないと自覚したならば、
生きて生きて生き抜け。


そのすべてが、僕の真価を、僕に教えてくれた。

 

 

1991年5月。

僕は、彼の人から”宦官”を命じられた。
彼の人は、「タバコを止めたよ」と言った。

あれから32年間、僕が苦しむたび、
彼の人は、スピーチや”わが友に贈る”を通して、
リアルタイムに僕に語り掛けてくれた。

僕が、孤独を癒そうと、深夜賑やかな所へ行けば、
彼の人は、それを語ってくれた。

僕が、川辺で佇んでいれば、
彼の人は、それを語ってくれた。

僕が、激しい裏切りに遭えば、
彼の人は、それを語ってくれた。

なぜ、そんなことまでわかるのか。


彼の人が亡くなってしまった今も、
何も変わらず、彼の人は僕を励ましてくれている。

何も変わらないのだ。

こんなことはあり得ないはずだ。
でも、何も変わらないのだ。

 

 

僕はスピリチュアルの世界に生きるわけではない。
僕は神秘主義の世界に生きるわけではない。
僕はアニミズム信仰に生きるわけではない。
僕に神通力があるわけではない。
僕は魔術師ではない。
僕は祈祷師ではない。
僕にそんなことができるわけがない。


けれど、法華経には神通之力と説かれている。

これは何を意味するのか。

彼の人は。

 


釈尊の「出世の本懐」たる法華経の、肝要である寿量品には、
「如来秘密・神通之力」と説かれている。

寿量品の会座では、弥勒菩薩をはじめ諸菩薩が、釈尊に合掌してお願いをする。
「世尊(釈尊)よ。どうか、如来の真実の言葉をお説きください。
私たちは、まさに仏のお言葉を信受いたします」
弟子たちは、3度にわたって懇請した。そして、さらに懇請をやめなかった。

この弟子のほとばしる求道の心に応えて、
ついに師・釈尊は、法華経本門の甚深の法理を説き始めるのである。

その第一声こそ、
「あなたたちよ。明らかに聴け。如来の秘密・神通の力を」であった。

「如来の秘密・神通の力」を深く知れ!
こうした師子吼から、「久遠の仏」が明かされていくのである。
まさしく「如来秘密・神通之力」とは、師弟共戦の言葉といってよい。

「如来秘密・神通之力」は、これまで説かれなかった、広大無辺な力である。
弟子にわからないゆえに「秘」である。
しかし、師匠は知っている。仏には厳然と具わっている。ゆえに「密」である。

いうまでもなく、仏法で説く「秘密」とは、隠すためにあるのではない。
万人を救うために、「時」を待って明かさなかったがゆえに、「秘密」なのである。

では、「時」とは、いかなる時か。
それは「本門の弟子が立ち上がる時」にほかならない。
本門の弟子が出現した「時」に、「本門の教え」が説かれるのである。

地涌の菩薩が、勇んで、大地から涌き出でたからこそ、寿量品の説法がなされた。

偉大な弟子の登場を待って、偉大な師匠は満を持して、
「如来秘密・神通之力を聴け」と言い放ったのである。
――さあ、いよいよ説き明かそう。時が来たのだ。
皆、間違いなく、聴け。そして、実践せよ、と。


「神通」また「秘密」といっても、いわゆる神秘的なものなどではない。
「如来秘密・神通之力」とは、「南無妙法蓮華経如来」の秘密神通之力である。
このことを、日蓮大聖人は明確に示されている。

すなわち、南無妙法蓮華経こそが、真実の如来秘密・神通之力となる。
御義口伝では、こう結論されている。

「成仏するより外の神通と秘密とは之れ無きなり」
一切衆生が成仏していく。これ以上の「神通」もなければ「秘密」もない。
それが、南無妙法蓮華経の大法の力なのである。
~ 2007.1.2 新春代表協議会
 

 

彼の人は言った。

「生命を賭した闘いは生死を超える」


今も、彼の人は僕を励ましてくれる。
 

 

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1/16 聖教新聞 ”月々日々に 池田先生の折々の言葉”

皆さんは「勝つため」に生まれてきた。
唱題は、どんなに苦しいことがあっても、
今日という日を勝ち切る原動力です。


1/17 聖教新聞 ”月々日々に 池田先生の折々の言葉”

「使命があるんだ」ということを忘れない人は、強い。
悩みがあっても、負けない。
全て希望へのエネルギーに変えていける。


1/19 聖教新聞 ”月々日々に 池田先生の折々の言葉”

順風満帆の人生などありません。
しかし、どんな深い絶望の闇のなかでも、
心に希望の火をともしていけるのが信心です。


1/20 聖教新聞 ”月々日々に 池田先生の折々の言葉”

偉大な人は、あえて足を踏み出す人です。
すべては「これから」です。
前進のなかに勝利があり、栄光があり、幸福があります。
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きのうから、僕が次にやるべきことを考えはじめた。
金剛不壊の大生命力が湧き上がってくる。

こんなことはいつ以来だろうか、1991年4月、2019年10月以来か。
金剛不壊の大生命力に包まれるのは三回目。

求める心と応える心が境地冥合するとき、金剛不壊の仏の生命が湧現する。


『日蓮がたましひ(魂)をすみ(墨)にそめながして・かきて候ぞ信じさせ給へ、
仏の御意は法華経なり日蓮が・たましひは南無妙法蓮華経に・すぎたるはなし』

(経王殿御返事)



きょうは、霧雨のなか、題目をあげながら鹿野九十九谷まで行った。
文化勲章受章の東山魁夷画伯の『残照』は、この眺望を基に描かれたといわれる。

何度も来た鹿野山と九十九谷は、20m先も見えない程の深い霧に包まれていた。

こんな深い霧は、35年前の晩秋だったか、
行田の谷郷の先の川沿いの道を、君と行ったとき以来か。

天は、僕の出発の日に、
僕のいのちを幻想的な霧で包んでくれた。
忘れることの出来ない記憶となるだろう。

 

苦しみもがく数百万偏・数千万偏の祈りがあってこそ、
その深い苦しみを突き抜けた分だけ、
生命力は前よりもいっそう強くなる。

そのすべてが、金剛不壊の大境涯をつくり上げていく。

『一念に億劫の辛労を尽せば本来無作の三身念念に起るなり
所謂南無妙法蓮華経は精進行なり』(御義口伝)


本来無作の三身なのだ。

『「久遠」とは、はたらかさず、つくろわず、もとのままという義なり。
無作の三身なれば初めて成ぜず、これ働かさざるなり。
三十二相八十種好を具足せず、これ繕わざるなり。
本有常住の仏なれば、本のままなり。
これを「久遠」と云うなり。
「久遠」とは、南無妙法蓮華経なり。
実成、無作と開けたるなり云々』(御義口伝)


「三世変わらざるを性という」(六巻抄)


苦しみとは、今の自分には欠落しているものに向き合うときに生じる。
それは生きている限り避けては通れない。

そこを突き抜ける生命力がなければ、
本当の自分の真価を知ることもできない。

その生命力を得る方法はどこにあるのか。
 


仏意仏勅の創価学会という。

創価学会とは、願兼於業の地涌の菩薩の出現なのだ。


この思想が世界を一変させるほどの力を持つことに、
人類は気づかなければならない。


・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・
法華経には、「願兼於業」の法理が説かれています。
願とは願生、業とは業生です。菩薩は願いの力で生まれ(願生)、
普通の人々は業によって生まれます(業生)。
願兼於業とは、修行によって偉大な福徳を積んだ菩薩が、
悪世で苦しむ人々を救うために、わざわざ願って、
自らの清浄な業の報いを捨てて、悪世に生まれることです。
その結果、菩薩は、悪業の人と同じように、悪世の苦しみを受けます。
ここから難の意義をとらえ返すと、信心で難を乗り越える人にとっては、
悪世に生きて苦難を受けるのは、決して宿命ではなく、
実は人を救う菩薩の誓願のゆえであり、苦難を共有し、
それを乗り越える範を示すものであることになります。

創価学会公式サイト SOKAnet
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仏意仏勅とは何か。


ある人の言葉を目にした。

もし、戸田先生の事業が大成功していたら、

今の創価学会はなかったかも知れません。
「ただ、広宣流布のみ」‥そこまで、

御本尊様が運んでくださったのではないか、と。


昭和24年から25年。
戸田先生の事業、出版事業と信用組合事業は相次いで破綻した。

彼の人は書いている。
 

 

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戸田城聖は、一九五〇年(昭和二十五年)の十月末、総本山大石寺を訪れた。
彼は宿坊で、多くの学会員と懇談しながら、丑寅勤行を待っていた。

定刻、客殿で丑寅勤行が終了すると、彼は、一同から離れて宝蔵の前に向かった。
深夜の宝蔵は、杉木立の老樹にすっぽり包まれ、秋の冷気が漂い、

静まり返っている。
戸田の姿には、荘厳な峻烈さがみなぎっていた。

戸田は、つかつかと石畳を踏んで進んだ。そして、石畳の上に端座した。
目を上げると、数段の石段の上に、土蔵造りの宝蔵の、厚い扉が見える。
大御本尊が安置された宝蔵の前で、戸田は、静かに唱題を始めた。
唱題の声は高くも低くもなく、極めて平静でありながら、
一つ一つの題目には、鋼のような気迫が込められて、
静寂に沈んだ深夜の空気を刻むように響いた。

富士の山は、雪を冠り、冬の近いことを思わせる山の冷気である。
憔悴した戸田の体には、石畳の冷たい硬さとともに、

耐えがたいものであったにちがいない。
しかし、彼は、足のしびれも、皮膚を刺すような寒さも、何も感じなかった。
今、彼は、ひたすらに「大荘厳懺悔」の唱題を続けていた。
彼は、額にうっすらと汗さえかいていた。

彼の脳裏には、終戦後の一切の事件が、次々と映っては消えていった。
さらに、彼の現在の姿も、鮮明に、如実に浮かび上がった。
彼は、わが身の謗法を自ら断罪したのである。

″戦後五年の月日が流れてしまった。
学会は、まだ盤石の基礎から、程遠いところにある。なぜであろう。

私は、昭和二十一年(一九四六年)正月、総本山の坊で四人の幹部を相手に、

法華経の講義から始めた。
それというのも、戦時中の、あの弾圧で、教学の未熟さから、

同志の退転という煮え湯をのまされたからだ。
法華経の講義をもって、強い信心の骨格をつくろうという、

私の方針が間違っていたとは、どうしても思えない。
方針は正しかったが、大聖人の仏法を理解させることにおいて、

私は誤りを犯したようだ。

大聖人の仏法の根本義を明かした

「御義口伝」をもとにして講義したつもりであったが、
受講者は、なかなか理解しなかった。
そこで天台の『摩訶止観』の精密な論理を借りて話すと、よくわかる。
いきおい受講者が理解したものは、大聖人の法華経ではなくて、
いつの間にか天台流の臭味のある法華経になってしまったのだ。

では、理解力の浅い弟子たちの罪なのであろうか。
いや、教えた者、私の罪にほかならない。
私が、大聖人のお叱りを受けるのは、当然すぎるほどの道理だ。
なんということを、してしまったのだろう……。

戸田は、唱題しながら、ひれ伏して、お詫びしなければならなかった。

初代会長・牧口常三郎は、

大聖人の仏法を、現代の人びとに理解させるために、価値論から誘引した。
価値論の哲学的限界は、

無量無辺の大聖人の仏法を最高価値として位置づけたものの、
結果として、一つの枠をはめることになったところにあった。

大聖人の仏法は、価値論の有無に関係なく、
厳然として、無始無終の宇宙に遍満するところの妙法を、

説き明かしたものであるからだ。

その後を継いだ戸田城聖は、ひとまず価値論を捨てて、

大聖人の仏法それ自体を理解させようと願った。
しかし、現代の科学的知識を学問の基礎とすることに慣らされてきた

学会員たちにとっては、大聖人の仏法が、超論理的なものであることを、

なかなか理解できなかったのである。

戸田は、そのために、法華経の優れた解説書であった
『摩訶止観』の精密な論理的追究を借りて捕足しようとした。

ところが、人びとは、この補足部分を理解するのが精いっぱいであった。
ひとえに機根の未熟のためである。
戸田が、一身にその罰を受けて、今、翻然と悟ったものは、
久遠の法理に基づく「御義口伝」に回帰することであった。

戸田城聖は、唱題しながら、なお厳しく自らを断罪し続けた。
″この五年間、私は、何をしたのだろうか。
敗戦直後、占領軍とともに、キリスト教が怒濤のように日本列島に上陸したが、

深く根を下ろすことがなかった。
既成宗教は、農地改革によって広大な寺領を失い、息も絶え絶えである。
一方、新宗教は、戦後社会の混乱と、人びとの不安に乗じて、勢力を伸ばしてきた。
許しがたいことは、誤った教えを弘め、多くの人びとを、

人生の迷路に追いやっている現実があることだ。
こうした教団は、根拠のない病気治しをうたい文句にして信者を集めたり、

道理も何もない因縁話を持ち出し、
不幸に悩む人びとの心に、追い打ちをかけるように不安感を増幅させ、

布施を募ったりしている。
いずれの教団も、結局は、信者からの金集めに狂奔し、

人びとの苦しみを解決しようとするものではない。
そのような宗教が、得意顔で横行している。これは果たして誰の罪であろうか″

戸田城聖は、わが心に問うた時、宝蔵の前で慙愧の思いに身を震わせた。
″敗戦後の不幸のどん底にいる民衆を、誤った宗教の手に、
かくも多く委ねてしまったのは、誰の罪でもない。私の罪だ!″

戸田は、創価学会の、この五年間の活動が、

まことに不十分であったことを認めなければならなかった。
そして、組織体として弱体であったことを思った時、会長不在のまま、

六年の歳月が流れてしまったことを、
彼の責任として、考えないわけにはいかなかった。

″恩師・牧口先生の七回忌が目前に来ている。

しかも、現在の自分は、苦悩の底に沈んでしまった。
先生亡き後、会長就任を、心のどこかで避けようとしてきた自分、
それでいて大使命だけは自覚してきた自分、

なんという矛盾に満ちた姿であったことだろう。
一寸延ばしに延ばしてきたのは、

会長就任という容易ならぬ重責を予見してのことであったが、
その臆する心のゆえに、かくも多くの不幸な民衆を、誤った宗教に委ねてしまった。
まさに、その罪、万死に値するかもしれぬ……″

戸田城聖は、唱題を時に途切らせながら、底知れぬ深い思索のなかで、

われとわが身を断罪したのである。
戸田が、会長就任を避けたのは、もう一つの具体的な理由があった。

牧口会長時代から、創価学会の経済的負担は、ことごとく彼一人で引き受けてきた。
戦後の再建に身を挺した時も、彼はまず、経済的基礎の確立を急ぎ、

組織体としての躍進を第二として考えていた。

彼は、事業家としての経験から、資本主義社会においては、

経済力の充実がない限り、広宣流布という大業も、

途中で破綻することを恐れたのである。

今、彼は、一手段、方法にすぎない経済の問題を、
宗教革命という一切の根本問題よりも先行させて考えていた錯誤を、

感じ始めていた。

つまり経済的成功を左右するものもまた、
広宣流布という使命感の自覚いかんによることを悟ったのである。

彼の己心の戦いは、この時、壮烈を極めた。そして彼は、決意したのである。

″いかなる苦難が、いよいよ重なろうと、これを乗り切らねばならぬ。
もはや、わが身一つのためではない。わが使命達成のためである。
日蓮大聖人の金言のことごとくを、断じて虚妄にしてはならないのだ。
大御本尊様、万死に値する、この戸田城聖に、
もしも、その資格があるならば、何とぞお許しください″

彼は、宝蔵の扉に向かって、渾身の祈りを込めて唱題を続けていた。
ふと、彼の耳には、小鳥のさえずりが聞こえ始めた。
冷気のなかで、東の空は白みかけていた。

小説「人間革命」第4巻 秋霜
・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・

 

 

創価学会仏とは何か。

彼の人は語っている。

 

・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・
かつて戸田は、
「学会は、この末法にあって、これだけ大勢の人に法を弘め、救済してきた。
未来の経典には、『創価学会仏』という名が厳然と記されるのだよ」
と語っていたことがあった。
・・・
法華経の不軽品に、「威音王仏」という名前の仏が登場する。
この仏は、一人を指すのではない。

最初の威音王仏の入滅後、次に現れた仏も「威音王仏」といった。
そして「是くの如く次第に二万億の仏有し、皆同一の号なり」と記されている。

つまり「二万億の仏」が、皆、同じ「威音王仏」という名前で、
長遠なる歳月、衆生を救済してきたと説かれているのだ。

戸田城聖は、

「これは、威音王仏の名を冠した『組織』『和合僧団』とはいえまいか」
と鋭く洞察していた。

個人の今世の寿命は限られている。
しかし、広宣流布に戦う根本精神が師匠から弟子へと脈々と受け継がれ、
一つの組織体として活動し続けるならば、
それは、民衆を救済し続ける恒久的な仏の生命力をもつことになる。

「創価学会仏」とは、
初代会長・牧口常三郎、第二代会長・戸田城聖という師弟に連なり、
広宣流布大誓願の使命に生きる同志のスクラムであり、地涌の菩薩の集いである。

小説「新・人間革命」池田大作
・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・

 

 

『日蓮がたましひ(魂)をすみ(墨)にそめながして・かきて候ぞ信じさせ給へ』
の御本尊のもとに、地球の裏側まで一千万人が24時間絶え間なく題目を唱えている。

その一人一人の誓願の一日一日のすべてが、この御本尊という扉から、
創価学会という和合僧団に流れ込み、誓願の壮大なカルマとして刻み込まれ、
生死を超えて、月々日々に、大きく強固になっていく。

この地球全体を、この深層で繋がる一つの荘厳な生命の連帯が、
奔流・激流となり、逆に、僕ら一人一人を導いていくのだ。