彼の人。


理想が偉大であればあるほど、
一つの世代で、すべてを実現することは難事です。
ゆえに、次の世代への継承が必要となる。

世代から世代へ、着実に社会で根付かせていってこそ、輝きを増す。
その意味で言えば、「師弟」とは、同じ理想を分かち合い、
その実現に向かって戦う最高無二の同志といえる
のではないでしょうか。
~ 創価教育代表協議会(2006年6月4日)

 

 

今日、1月7日の本部幹部会の配信中継に参加した。

聖教新聞には記載されていないけれど。

原田会長は、新年最初の本部幹部会を、弟子の責任で、
『世界青年学会開幕・創立100周年へ』第1回本部幹部会とする、
と語られていた。

彼の人の御存命中の、
『創立100周年へ』第1回本部幹部会は2021年1月。
最後は2023年11月2日の第16回だった。

ご逝去は、11月15日。

 

 

1998.2.3の本部幹部会でスピーチする彼の人の映像が流れた。

そこで、何を話されていたのか。

エジソンの諦めない精神の話をされたあと、
仏教が堕落し狂っていった要因、ガンジーの一人立つ精神の話をされ、
私には「日蓮大聖人」と「戸田先生」以外に何もない、と。
 

 

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【古今の仏教界は師匠を軽んじて滅亡】

日本の仏教が、なぜ堕落し、狂ってしまったのか。
日蓮大聖人は、「それは師匠を軽く見たからだ」と明快におっしゃっている。


日本の仏教の中心地であった比叡山。
その創始者である伝教大師について、弟子たちは、こう思った。
今、真言宗がもてはやされている。われわれも流行に乗りたい――。

「我が師・伝教大師はいまだ此の事をばくはしく習(ならわ)せ給わざりけり
漢土に久しくもわたらせ給わざりける故に
此の法門は荒唐(あらうち)にをはしけるやとをぼして」


――わが師である伝教大師は、真言宗のことは、
くわしくは勉強しておられなかったのである。
中国にも長くは留学しておられないゆえに、
真言の法門は、おおまかにしか知っておられなかった
――と思ったのである。

要するに、「自分たちのほうが、よくわかっているのだ」
「自分たちのほうが勉強しているんだ」「師匠は、わかっていないんだ」
――そういう心である。増上慢である。
そして師匠である伝教大師を捨て、真言の流行に染まってしまった。

しかし、じつは、伝教大師は、すべて知ったうえで、
「真言はいけない」と言われていたのである。

ここが大事である。こういう歴史については、「撰時抄」に説かれている。

師匠の偉大さを、弟子がわからなかったゆえに、
比叡山は″真言の山″になっていった。

大聖人は「本の伝教大師の大怨敵となる」と仰せである。
すなわち、「伝教大師の大怨敵」となってしまったのである。

邪悪と戦うべきときに、弟子が戦わなかった。
師匠を悪者にして、自分がいい子になり、
戦いを避け、難を避けた。ずる賢い弟子たちであった。

また中国の天台宗でも、同じことが起こっていた。
師匠の天台大師が亡くなった後、新しい経典がインドから来た。
当然、天台大師は、この経典を知らないし、破折もしていない。
そこで、弟子たちは愚かにも、
「この経典のほうが法華経よりも勝れている」という邪義を信じてしまった。

(「而るを天台は御覧なかりしかば
天台の末学等は智慧の薄きかのゆへに・さもやとおもう」等)


愚かで臆病であり、師匠の偉大さを知らず、宣揚もできなかった。
ゆえに正法の清流が濁っていったのである。
これは、「報恩抄」に説かれている。

師匠の権威を利用して、人々から尊敬を受ける立場になりながら、
内心では師匠をあなどり、邪悪と戦わなかった。
戦わなかったどころか、邪悪に染まってしまった。

悪と戦わなければ、悪に染まってしまう。
権力の魔性と戦わなければ、自分が魔性に魅入られてしまう。

御書には、こうした大切な方程式が、はっきりと示されている。
また、こうした仏教界の堕落の構図は、決して単なる″昔話″ではない。
ゆえに、よくよく御書を拝していただきたい。
創価学会も、牧口先生、戸田先生の精神がなくなったら、大変なことになる。
広宣流布は、できなくなってしまう。
それでは師匠に申しわけない。日蓮大聖人に申しわけない。
だから私は、生きて生きて生き抜いて、
厳然と指揮をとり、師弟の″魂″を教えているのである。
 

 

【「師弟」の破壊は「仏法」の破壊】

日蓮大聖人の時も、増上慢の弟子がいた。
「大聖人が大難に遭うのは、大聖人のやり方がおかしいせいだ」
と非難する門下がいたのである。


(「我が弟子等が愚案にをもわく
我が師は法華経を弘通し給うとてひろまらざる上大難の来れるは
真言は国をほろぼす念仏は無間地獄・禅は天魔の所為・律僧は国賊と

の給うゆへなり、例せば道理有る問注に悪口のまじわれるがごとしと云云」等)

罪なくして大難に遭うことこそ「法華経の行者の証明」であることが、
わからなかったのである。
そういう人間は「他宗の謗法の人間よりも、もっと長く、地獄で苦しむことになる。かわいそうなことだ」と大聖人は仰せである。

すなわち「日蓮を教訓して我賢しと思はん僻人等が
念仏者よりも久く阿鼻地獄にあらん事不便とも申す計りなし」
と。

「師弟」の道を壊す罪は、それほど重い。日顕宗も、そうである。
大聖人、日興上人をはじめ、代々の先師を完全に無視している。

ただ「自分中心」である。
「師弟の道」を破壊した宗門に、もはや仏法はない。
日蓮大聖人の「大怨敵」になってしまった。

戸田先生は太平洋戦争が始まる一カ月前(昭和十六年十一月)、
「弟子の道」と題して、講演されている。


そのころ、世のなかは、国家主義の流れが、滔々たる暴流になっていた。

現代と同じである。

今も、日本が危険な国家主義の道に入りつつあると憂慮する人は多い。
「民主主義は形だけになりつつある」と。
だからこそ、民衆による民衆の自立の運動が必要なのである。
私どもの前進を、

「権力の魔性」と戦う「精神界の王者」の前進と見ている識者もいる。
私どもの前進いかんで、日本の将来が決まってしまう。

「弟子の道」として、こう戸田先生は言われた。
(『戸田城聖全集』第三巻、以下、引用は同書から)

「日興上人は、日蓮大聖人様をしのごう(=超えよう)などとのお考えは、
毫もあらせられぬ(=微塵〈みじん〉ももっておられない)。
われわれも、ただ牧口先生の教えをすなおに守り、すなおに実行し、
われわれの生活のなかに顕現しなければならない」

「先生は師匠であり、われわれは弟子である」

「先生のことばづかいだけをまねて、なにになる。
黄金水を流してしまうようなものである」

「弟子は弟子の道を守らねばならぬ。
ことばも、実行も、先生の教えを、身に顕現しなければならない」

戸田先生の遺言である。
簡単な言葉のようであるが、大弾圧があったとき、
これを実行したのは戸田先生お一人であった。
他の弟子は退転しただけでなく、
「牧口の野郎」「戸田の野郎」と、ののしったのである。


人間の心は恐ろしい。師匠を悪者にして、自分のみを守ろうとした。
インチキの信心であり、畜生の心である。
これまでにも、表面だけ、私の「まね」をした人間がいた。
全部、おかしくなっていった。

他の弟子が全滅したなか、
一人、戸田先生は、信念を押し通し、しかも、こう言われたのである。

「あなた(=牧口先生)の慈悲の広大無辺は、
わたくしを牢獄まで連れていってくださいました。
そのおかげで、『在在諸仏土・常与師倶生』
(=もろもろの仏の国土に、常に師とともに生まれる)と、
妙法蓮華経の一句を身をもって読み、その功徳で、地涌の菩薩の本事を知り、
法華経の意味をかすかながらも身読することができました。
なんたるしあわせでございましょうか」


牧口先生の三回忌の時の有名な講演である。
何と崇高な言葉であろうか。
これが学会の「師弟の道」であり「仏法の道」である。

大難を師匠と一緒に受けられて「なんたる幸せでありましょうか」と。
他の弟子と、天地雲泥であった。

仏法を弘めれば難があるのは当たり前である。
「悪口罵詈される」と法華経(勧持品)に説かれている。
大聖人も御書で何度も何度も仰せである。
それなのに、ひとたび難が起こると、迫害を恐れ、
こともあろうに大恩ある師を悪者にする。
師匠を盾にして、自分が難を受けないように、逃げる。
何という卑怯さであろうか。
 

 

【学会は永遠に「師弟不二の正道」を】

私も戸田先生を、ただ一人、お守りした実践者である。
戸田先生を一人で、すべて支えきった。
学会の「伝統の二月」も、
ただ「戸田先生にお応えしよう」という私の一念から始まったのである。

当時(昭和二十七年〈一九五二年〉)は、戸田先生が会長になったものの、
弘教がなかなか進まなかった。

先輩たちは、いばっていたが、何もできない。
そこで戸田先生が、「しかたがない。そろそろ大作を出すか」と決断された。

厳たる師匠の命令である。「やります」。私は師の心を抱きしめて走った。
そして、いっぺんに、弘教の突破口を開き、「道」を開いた。
そこから今日までの広宣流布の「大道」が開いていったのである。

戸田先生は、いつも
「大作にまかせておけば、おれは悠々と、
ウイスキーを飲んでればいいんだから」と言っておられた。
「大作がやれば必ず勝つ」。そう確信しておられた。

この師弟不二こそ、学会の真髄である。

ともあれ、私には「日蓮大聖人」と「戸田先生」以外に何もない。

「御本尊」と「戸田先生」と「誠実」が、私の「三つの宝」である。
私は誠実で勝ったのである。

いちばん、正しく生きて、いちばん、悪口雑言されながら、信心で勝った。
人間として勝った。仏法の目から見れば、三世という目から見れば、
いちばんの勝利者であると自負している。

要するに、「自分中心」は仏法ではない。
「法」によらなければ、仏法ではない。

ドイツの大詩人シラーいわく

「けなげな人間は、自分のことならあとまわしにするよ」。
(『ヴィルヘルム・テル』桜井政隆・桜井国隆訳、岩波文庫)

「不惜身命」の精神に通じる。「身は軽く、法は重し」である。
「法」が中心であり、「広宣流布」が中心である。
ゆえに「学会」が大切なのである。
「広宣流布のために何かしよう」という心に、功徳がある。
「学会に何かしてもらおう」という根性は、信心利用である。
それは地獄の心である。反逆者は皆、この心であった。

 

 

【ガンジー――人に頼るな! 一人立てば君は「自由に」】

さらに、青年のために語っておきたい。
今年はインドの独立の父・ガンジーが殉難して五十年。
(一九四八年一月三十日、凶弾に倒れた)

独立を勝ち取る夜明け前、
ガンジーは一人、インドの村々を、たゆみなく歩き続けた。

私たちの次元で言えば、家庭訪問に、また折伏に、足を運ぶことにあたる。

ガンジーは、インドのために、繰り返し繰り返し、民衆に語り続けた。

「あなたがたは、他人にたよることをやめた瞬間から、自由です。
この自由――それこそが唯一の真の自由です――だけは、
なんぴともあなたがたの手から奪うことはできません」と。
(クリシュナ・クリパラーニ『ガンディーの生涯』森本達雄訳、レグルス文庫)と。

要するに、「人を頼るな」ということである。
人などあてにしない。自分が一人、立ち上がる。自分が一人、戦い抜く。
その獅子の生き方を、ガンジーは教えたのである。

私も五十年、信心をしてきて、よくわかる。
結局、「一人立つ」しかない。そこにしか勝利はないのである。
「羊千匹より獅子一匹」である。

格好だけ、言葉だけ――そんな風潮を断じて、諸君は許してはならない。

ガンジーは、「恐れ」こそ「最大の不幸」であると訴えた。
ゆえに″何も恐れるな!″と叫んだ。

「私は恐怖というものが嫌いだ。
どうして人間が他の人間に対して恐れを抱かなくてはならないのか」

「臆病は、我々が損害を受ける最も大きな悪徳であり、

おそらく最も大きな暴力である」
(『ガンディー 私にとっての宗教』竹内啓二他訳、新評論)と。

ガンジーは、人間の精神の第一の要件として「勇気」を重んじた。
「臆病」は結局、自分で自分を貶め、痛めつけることになる。
だから、臆してはいけない。負けてはいけない。
日蓮仏法も「勇気」の仏法である。
学会も、「勇気」があったからこそ、今日の繁栄がある。

ガンジーは、″本気になって戦え″と呼びかけた。
「何かを『できるだけ』やります、という人は、
その尊大さか弱さのどちらかをさらけだしているのです」
(同前)と。

中途半端なことを言うのは、傲慢か、臆病か、どっちかだというのである。

戸田先生は、「力はありませんけれども――」という人に対して、厳しく言われた。
なぜ「真剣になってやります」「命をかけてやります」
「最後までやりきります」と言いきらないのか、と。

ガンジーの言わんとするところも同様であろう。
″どんな苦労をしてでも、私はやり遂げます!″まず、そう言いなさい、と。
それが「強さの印」であると、ガンジーは弟子たちを叱咤したのである。

二十一世紀まで、あと三年。二十一世紀は、

「創価学会の世紀」にしましょう!(拍手)
われら学会員は、一人も残らず、生きて生きて、生き抜いていこう。
戦って戦って、戦い抜いていこう。
そして勝利して、長生きして、栄光のわが身を輝かせていきましょう!
さらに、「真実の信仰の力」を、
「正義の証」を残していく一人一人になっていただきたい。(拍手)

 

 

【生まれるたびに福徳の大指導者に】

最後に一言だけ申し上げておきたい。

今、宇宙の法則である妙法の広宣流布に励んでいる皆さま方は、
未来、生々世々にわたって、
あらゆる階層の大指導者になりゆく原因をつくっておられるのである。

これは、御書と経文に照らして間違いない事実である。

さらにまた、大宇宙には、地球と同じような惑星は無数にある。
そうしたところにも生まれて、妙法流布の大指導者となっていくのである。

ゆえに、現在の努力も、苦闘も、
すべてが、偉大なる人間指導者になりゆく訓練なのであり、
最大の福徳を積んでいることを確信していただきたい。

仏法は因果の理法である。厳たる生命の理法である。

ゆえに仏法には、一切、無駄はない。
すべてが自分自身の永遠の福徳になっていくことを忘れてはならない。

生命は無始無終であるから、次の世も、また次の世も、生きていくしかない。
そのたびに地獄のような苦しい生命となるよりも、

今、仏道修行して偉大な原因をつくり、
永遠に、生々世々、仏意仏勅の人生を歩んだほうが賢明である。


それでは、皆さま、お元気で!
偉大な青年部が立ち上がった。私はうれしい。
私は諸君のために、「二十一世紀の道」を、厳然と開いておきます。
きょうは、本当に、ありがとう!

(創価国際友好会館)
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